第9話 直弥 in 商社

     直弥の商社生活(初日)


 商社でのインターンシップが決まり、直弥は初日を迎えた。


 面接を担当した服部正則に案内されながら、彼は会社の雰囲気に少し緊張しつつも、なんとなく気になる点があった。


 服部の顔にどこか見覚えがあるような気がしていたからだ。


 仕事を始めて二日目、三日目が過ぎ、徐々に服部の顔の特徴、仕草、口調、そしてあの不思議な声に、どこか懐かしいような感覚を覚えるようになった。


 四日目、とうとう服部の外見が何かと似ていることに気づく。


 それは、ハエとムカデ。

 ――ただし、声だけは、カラス。


 さらに、服部の言葉選びが時々引っかかることがある。


 例えば、事故や事件で家族を失った人に向かって、彼はこんな風に言いそうだった。

「よくあることですけど、ご愁傷様です」


 その一言が、直弥の胸に引っかかる。


 服部は口調も滑らかではなく、言葉をつっかえながら話す。


 自分の名前を言う時ですら、どこかでつまる。


 それでも突然、

「それは却下」

 と奇妙に明確な声で発言することがある。


 そのとき、服部に電話がかかってきた。


 受話器を取った彼の顔に変化が現れる。


 どうやら部下が仕事で行き詰まっているようだ。


 電話越しに話しているが、話が堂々巡りになるばかりだと察せられる。


 最終的に、服部はあっさりと電話を切り、そばにいた誰かに向かって何かを話し始める。


 そこでの会話が途切れた瞬間――


 服部はまるでカラスのような、醜く割れた声で、

「彼、だからダメなんですよ」

 と言った。


 直弥はその言葉づかいに心がざわつく。


 その後、服部は急に声音を変えて、

「あ、そういえば」

 と何かを思い出したかのように言い、手に何かを持って直弥の元へ歩み寄った。


「一応読んどいて」

 そう言って、就業規則が書かれた冊子を机の上に置いた。


 直弥がページを開こうとすると、

「別に特別なことは書いてないけど」

 とだけ言い残し、服部はまた自分の席に戻っていった。


 直弥はその後、数十分をかけて手渡された書面に目を通した。


 その夜は飲み会であった。

 服部に誘われて直弥は参加することに。


 参加者は部署の特定のチームのメンバーで、五、六人ほど。


 みんな三十歳前後で、その中に女性が一人。


 服部の上司も遅れて到着したが、その上司の参加は珍しいことだと、直弥は周囲から聞かされた。


 食事が進み、次々と料理が運ばれてきた。


 おもむろに服部は直弥に向かって、わざと大きな声で言った。

「ねえねえ、彼女いるの?」


 テーブルにいる全員が、あきれた反応を示す。


 近くの男性社員が言った。

「服部さん、いきなりそれ聞いちゃうんですか?」


 女性社員は困ったように笑いながら、

「えー、もう酔っぱらっちゃてるのぉ、服部さーん?」

 と服部をなだめようとする。


 服部は臆面もなく続ける。

「え?だって、こんなにすらっとしてるし、若いから、彼女いるかどうか気になるじゃん」


 直弥はわざと困惑した表情を浮かべる。


「服部さんの聞くことに一々答えなくていいからね」

 と社員に言われ、少し恥ずかしそうに、

「はい」


 服部はへらへらと笑いながら、

「いいじゃん、いいじゃん」

 と続ける。


 周りが何とかして服部を静めようとしても、服部は奇妙にも醜い笑い声を上げていた。


「はい、一応彼女います」

 そう答えた直弥。


 服部は目を大きく見開き、思わず叫ぶ。

「ええええええええええ!」


 さらに連続して服部からの質問が飛び出す。


「付き合ってどのくらい経つの?」


「どこで知り合ったの?」


「その彼女、可愛い?」


「おっぱい大きい?」


「芸能人の誰に似てるの?」


「スリーサイズは?」


 直弥は適当に相手をしたり、うまくスルーしたりしていた。


 服部というオヤジの悪ノリに、次第にムカムカとした感情が湧いてきた。


 それが表情に出ないことを直弥は祈った。


 周りの人々は、直弥が恥ずかしくて顔をこわばらせていると受け取った。


 食事会は午後九時頃に終了。


 居酒屋を出た直弥は、参加者に言い訳をして二次会を辞退し、帰る準備をした。


「猫に夜用のご飯を出さないといけないんで」

 と、ゆるい言い訳をして、直弥はその場を離れた。


 この日の食事会は、直弥にとっていい機会であった。


 服部は酔うとすぐに本音を話し、くだらない話に夢中になるタイプだということが分かった。


 酒に吞まれるタイプで、週刊誌のゴシップ記事が大好物であるのが分かった。


 一方、スポーツに対する興味は薄い。

 まともな本は読まないようだ。


 服部の妻は、若作りが目立つ五十恰好の女性で、かつては歌手を夢見て「マインドスター」という事務所でレッスンを受けていたという。


 彼女の名前はスミコ。

 今では飲食店の開業を目指しているらしい。


 現在は、どこかのレストランでアルバイトをしているらしいが、若い頃、売れない芸能人の卵として、夜の店や路上で必死に営業をしていたという。


 そんな彼女の人生に立ち入ったのが「恩人」と呼ばれる男だった。


 その恩人の介入がきっかけで、服部正則との婚姻関係が始まったのだという。






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