第7話 俺のこと ~ 商社に電話
俺のこと
当時、日本語と英語を操ることは、まるで珍しいスキルのように感じられた。
そんな時代背景があったからこそ、俺は少し奇遇に恵まれたんだろう。
でも、最初からそんな環境だったわけじゃない。
最初の頃、俺にとっての「言葉」は、どちらかというと「画」だった。
アメリカの小学校に入ったばかりのころ、七歳の俺は漫画を描くことを得意とした。
言葉はほとんど話さず、日本語も英語もほとんど使わなかった。
休み時間になると、ひたすらノートに落書きして、その絵を誰かが見に来てくれる。
それがきっかけで、極端な引っ込み思案だった俺にも友達ができた。
小学校二年生になった頃、俺には一人、呪術が得意な同い年の女の子がいた。
彼女は、毎日のように俺に特別な好意を示し、いつも寄り添ってきた。
彼女には、すでに成人したお兄さんがいて、南アフリカで働いているらしい。
そのお兄さんから手に入れたという二冊の呪術書の話がとても面白くて、実際の本は決して見せてもらえなかったけれど、俺が描いた漫画をあげる代わりに、彼女は少しずついろんな秘密を見せてくれた。
そのうち、呪術模様が俺の「言語」になっていった。
小学三年生になって、俺は突然言葉を話し始めた。
まるで長い間封印されていた何かが解けたかのように、急に口が動き出した。
それまでは、まるで言葉が俺の中で寝かされていたかのように、何も言わずに過ごしていたのに、ある日を境に、言葉が自然に口から溢れ出した。
まるで、言葉の扉がバキッと開いた瞬間を目の当たりにしたような気分だった。
今でも、俺は呪術と語学がまるで左右の車輪のように回っている感じがする。
どちらも、俺の中で何か大事な役割を果たしていて、切り離すことはできない。
実際、そう感じる体験を幾度となくしてきた。
呪術が言葉と絡み合い、そして言葉が呪術を解き放つ――そのバランスが、俺の中でしっかりと根付いている。
日本の中学に進学すると、俺は英語のニュース番組をよくビデオに録って、同時通訳の練習を始めた。 反射神経を鍛えるつもりでやっていた。
その当時、日本、特に地方では、二ヶ国語を使える人間は珍しく、少しだけメディアに取り上げられることもあった。
ちなみにP太郎とツルむようになったのは、この頃からだ。
高校に入る頃、ちょうど日本はバブル景気の真っ只中だった。
近所の大学生たちは自由で騒がしい日々を送っていた。
そして、フィリピンからの短期留学生が同じ学年に入ってきた。
彼らは日本語が全く話せなかったので、俺が通訳を頼まれた。
その後、今度はニュージーランドからの留学生がやってきた。
彼は一年間の留学で、世界史と日本史の授業では、俺が教師の説明を英語に同時通訳していた。
実は、俺は授業中、よく居眠りしていた。
だから、教師が俺にしゃべり続けることを義務づけてきた。
その頃から、俺は企業の製品カタログを英訳したり、外国人に同行して通訳をしたりするようになった。
そんな仕事に興味を持つようになったのは、学校の図書館で『通訳になるには』という本を読んだのがきっかけだった。
その本には、ヨーロッパのあまり馴染みのない国で行われているビジネス会議の様子が描かれていて、その中である通訳者が三つの言語を操りながら編み物をしている場面があった。
その通訳者は、言葉を途切れさせずに会議を進めながらも、手元では編み目を数えていた。
それを読んだとき、俺は子供心に感動して、
「こんな人生、楽しそうだな」
と思った。
現実的ではないかもしれないけれど、そんな働き方を自分で追求してみたいと思った。
今思うと、この頃から、俺の職業に対する姿勢や考え方が育まれたんじゃないかと思う。
どうすれば、こんな風に仕事を堂々とできるようになるんだろうって、ずっと考えてきた。
商社に連絡
ある天気のいい昼下がり――
俺はウィング高輪内のCDショップでモーツァルトのバイオリン協奏曲の二曲が入ったCDを買った。
ちなみに、この年はモーツァルト没後二百年。
メディア業界や音楽業界などでは何かと取り沙汰された。
寮に帰る道すがら、自分は品川プリンスホテル前の電話ボックスに入り、テレホンカードを使って、服部悠真の父親が勤めているという商社に電話を入れた。
受話器の向こうから事務員風の女性の声がした。
「服部さんにつないでいただけますか?」
と俺が告げる。
先方は、
「あの、部署名はご存知でしょうか?」
と丁寧に尋ねてきた。
俺は取り繕うかのように、
「えーっと、名刺をなくしちゃって忘れちゃったなぁ。確か、情報システムかシステム・インテグレーションだったかなぁ」
と斜め上を見上げながら言った。
電話応対の女性は、
「少々お待ちください」
と告げ、待ち受け音楽に切り替わった。
それはバッハのメヌエットから抜粋された電子音メロディだった。
二分も待ったであろうか、
「大変お待たせいたしました。えっと、SI部の服部ではないかと存じますが、申し訳ございません、ただ今、打ち合わせ中でございまして、もう十分程度で終わるとのことでございます。あの、誠に恐れ入りますが、お名前とご用命、ご連絡先を頂戴してもよろしいでしょうか? 服部の方から折り返しご連絡差し上げたいと存じます」
とのこと。
ならば、ということで、俺は、
「あ、そうですか。でしたらまた十分後ぐらいに電話します」
と言い残し、いったん電話を切った。
十分後、別の公衆電話から再び電話を入れると、さっきと同じ女性――。
「SI部の服部さんはいらっしゃいますか?」
と尋ねる。
「恐れ入りますが、会社名とお名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」
と女性は尋ねる。
「品川東警察署の高橋と言います」
と俺は名乗った。
「はい、すぐお繋ぎいたします。少々お待ちください」
と女性は言い、再び同じ待ち受け音楽――
今度は五秒ほどの待ち時間であったか。
中年男のダミ声で、
「はい、服部です」
と応答があった。
「えー、品川東警察署の者ですが、息子さんの悠真くんの件でお伺いしたいんですよ」
と俺が言う。
すると、服部はウ、ウン、ウンと不規則に息を詰まらせて、
「うちには息子はいないんですけど」
と決然と答えた。
そして、
「もしタチの悪いイタズラをしているのなら、警察に突き出しますよ」
と言い残して、一方的に電話を切った。
夕方になって、珍しく坂本が深夜前に高輪寮に戻ってきた。
俺は、服部の口から聞いた内容を彼に伝えた。
「そんなんアイツの嘘ですわ。アイツ、悠真の住んでいる家に入って行きおりましたもん。ボク、この目で見ましたもん」
と坂本は声をあげた。
「この目で見たって、なんだよ、先回りして確認してたのかよ」
と俺は言った。
「あ、すんません」
と坂本は悪びれずに頭をペコリ。
「じゃあ、もう一回行って確かめてみるか。俺も行くから」
と俺は言った。
その晩、坂本の手引きで服部の家に出向いた。
堂々と玄関のチャイムを鳴らしたところ、若作りしたおばさんが出てきた。
「服部正則さん、いらっしゃいますか? 同じ会社の者です」
「あ、少々お待ちください」
とおばさん。
おばさんの声が、家の奥にむかって、
「おとうさん! 会社の方がいらっしゃってるわよ」
と伝わった。
この時、俺たちは服部正則の顔を初めて見た。
髪の毛が整っていない上に、所作が奇妙――
息子である服部悠真の一件について述べ伝え、聞き込みを開始。
しかし、向こうも日頃からどうも警戒はしていたようで、服部家の誰かが手際よく警察に通報。
坂本と俺は警察署に連れて行かれることになった。
さいわい逮捕はされなかった。
しかし、後日、警察がずかずかと高輪寮に入り込み、坂本と俺は車に乗せられた。
署の狭い部屋に別々に閉じ込められ、三人の警察官に両側からギューギューに挟まれ、取り調べを受けることになった。
商社へGO
そんな中、直弥は商社へのインターンシップの手続きを進めていた。
知名度的には地味な大学ではあったが、その年の参加枠に入り込むことができた。
すべては彼の父親の尽力のおかげである。
これほどの道楽を支え続けた父に、直弥は一生感謝すべきだろう。
それはただの援助ではなく、彼の血となり肉となり、成長を支えてくれたからである。まことに親の恩は、ものさしで測れるものではない。当時の直弥は、その重みをまだ実感しきれていなかった。それでも、父の深い愛は惜しみなく注がれ、知らぬ間に彼の心の奥深くに刻まれていったのだが――
……これはまた別に語られるべき話だ。
さて、高輪寮があるマンションの玄関を出て脇に目をやる。
石畳の階段が上へと続いているのが見える。
階段を上り切った先には数本の樹木の並び。
そこからハラハラと落ちた枯れ葉が、階段のステップに散らばっている。
人が歩けば、乾いた音を響かせ、秋風が吹けば、落ち葉は曲線を描いて舞い上がるのであった。
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