EP.2 caelum_3

「私は地下三層の『エルメス・クラブ』というダンスクラブで産まれたわ。母親がクラブのトップダンサーだったの。私の命と引き換えに死んでしまったそうだから、本当のことかは知らないけれど。母に代って、私の面倒はクラブの支配人が見てくれた。彼は私を母の跡継ぎ、つまりトップダンサーとして育てたかった。そうね、大体十二歳くらいの頃かしら。私は彼に生涯『エルメス・クラブ』に尽くすという契約を結ばされたわ。そして、その時にこの脚も与えられた」


そう言ってエリオットは本物と見間違うくらい艶やかな肌をなぞった。


「さっきは嘘をついてごめんなさい。実は、この脚は元あった足を切り落とされて、人工的につけられたものなの。フェアリーダンスって知ってる? 先ほどアイルが『地上で空を飛びながら踊るダンスが流行っていると聞いた』と言っていたけれど、それは本当のことで、発祥は『エルメス・クラブ』よ。あのダンスは女の子の義足に推進装置を取り付けて、空を飛びながら躍らせるものなの。下着と見間違うような衣装も相まって、遠くから見ればまるで妖精が躍っているように見えたはずよ」

「じゃあエリオねえさまのその脚はダンサー時代の名残ですか?」

「ええ。不思議なことにいつまでたっても燃料が尽きないから、きっと生涯この脚でしょうね」

「そんな……。可哀想すぎます~」


アイルは今にも泣きだしそうに目を潤ませた。だが、ラヴィのむき出しの敵意は変わらない。


「だから何? それがヴァイマリに落ちる原因にどうつながるの? まさか、ダンスが下手だったからとかそういう理由?」

「いいえ。むしろ、私は支配人の期待通りにトップダンサーになったわ」


しかし、ラヴィに何を言われようとも淡々と話を進めるエリオットの態度も、また変わらなかった。


「結論から言いましょうか。私の罪状は姦淫罪よ」

「姦淫罪?」

「そう。たしか、法廷では善良な市民の数多の心を弄んだ売女と罵られたかしら」


エリオットは長い銀髪を手慰みに弄びながら続ける。


「『エルメス・クラブ』は表向きはただのダンスクラブ。でも、実はダンスは隠れ蓑で、本当は年頃の娘との逢瀬を謳った娼館なの。キャッシュバックされるお金なんて微々たるものなのに、ダンサーは客から枕営業を求められたら春をひさぐしかなかった。でも、ごくごく稀に地上の貴族様がやって来て、気に入られれば愛人として迎え入れてもらえたわ。私もとある貴族に引き取られて、地上へ上がった。そういう意味では、私は家畜小屋の中でも恵まれていた方なのかもしれない。結局、一年もしないうちに飽きられたけどね。クラブでの出来事を大袈裟に取り上げられて、法廷に連れていかれ、ヴァイマリアード送りという形で処分されたわ。これが私の罪と、それに至るまでのあらましよ。これでいいかしら」


エリオットは息を吐くと、ラヴィに視線を向けた。


「あっそ」


ラヴィは頬杖をつき、そっぽを向いた。ラヴィだけではない。その場にいた誰もが口を噤んで、エリオットからあからさまに目を背けている。まるでどう反応したら良いのかわからない、とでも言うように。


 そんななか、バンだけが「なるほど」と相槌を打った。


「では、貴女はヴァイマリアードに落ちてからも同じようなしていたのですか?」

「いいえ。魂の洗濯をしていたわ」

「魂の洗濯……。聞きなれない単語ですね」


訝し気に「魂の洗濯」という単語を繰り返すバンに、エリオットはゆるゆると首を振った。


「要はただのカウンセリングよ。『エルメス・クラブ』には、お客さんの相手をするのに疲れ切ってしまう女の子が沢山いた。そういう子は年長者の私に相談してくるから、その経験を活かして、ヴァイマリアードでも己の罪に苦しむ人たちの懺悔を聞いていたわ。そして、お礼にちょっとだけ食料を分けてもらっていたの」

「そうだったんですね。教えていただきありがとうございます。お礼と言っては何ですが、私の罪もお教えいたしましょう。隠すことでもありませんし、冤罪という点では貴女とよく似ている」


バンはすらりとした長い足を組み替えた。


「私の場合は反逆罪です。テロリストみたいな言われようですが、ようは政治に負けました。我がアンジュー家は代々内務卿を務めていたのですが、ある日不幸な事件に巻き込まれ、両親が揃って他界してしまいました。長年アンジュー家と対立していたグラハムベル家、つまり軍務卿はそれをアンジュー家を追い出す好機と見ました。そして、ありもしないテロ行為をでっちあげて、私をヴァイマリへ追いやったのです。でも、ヴァイマリに落とされたおかげで陰湿な貴族社会からは逃れられたので、そこは感謝していますよ」


バンは自嘲的とも本心からとも区別がつかない、のっぺりとした笑みを浮かべた。


「ラヴィさんたちは確か詐欺でしたっけ?」

「まあね。地上のいけ好かない貴族から金を巻き上げて、貧しい地下の平民に配っていた義賊だよ。……姉さんがガサツなせいで、やってることはほぼ強盗だったけど」

「誰がガサツだ! 大胆と言え!」


アドラはラヴィの頭に拳骨を落とした。相当痛かったのだろう。ラヴィは声を押し殺して地面にうずくまった。


 アドラはラヴィの頭頂部をさすりながら「そういえば」と首を傾げた。


「さっきから気になっていたんだけど、ショーカンとか、春をひさぐ?とか、カンインザイってなんだ? 俺バカだからよくわかんねぇけど、派手な格好して踊ってるだけで罪に問われるって、そんなにヤバいのか?」


とぼけたアドラの発言に、その場にいた全員が一斉に降り返る。双子はにやにやと目を細め、バンは「そういえばアドラさんは方面には疎いんでした」と頭を抱え、ズィヤードは眉間に皺を寄せ、ラヴィは耳まで顔を赤く染めた。


 エリオットは悟ったように口元を緩めた。


「あら? アドラは意外と無知なのね。可愛らしい」

「か、かわいい……!?」

「ええ、とっても。その照れた表情、もっと見たくなっちゃう」


そう言ってエリオットはアドラの頬に手を伸ばした。普段の強気な態度とは打って変わって、伏し目がちに、口をもごもごとするしおらしい姿は、エリオットの悪戯心をくすぐった。加えて、先ほどから「本当の家族は俺だけ」などと、姉への独占欲が垣間見えるシスターコンプレックスを拗らせた弟に、ちょっとした意趣返しをしたくなった。


「そうだ。私がこの身を以て男たちに何をしてきたかを教えてあげましょうか」


エリオットはアドラの珊瑚色の唇をなぞった。


「バカ、姉さんを汚すな! 姉さんは綺麗なままでいい。そんなこと知らなくてんだ!」


ラヴィはアドラからエリオットを引きはがそうと、黒いストールに手を伸ばす。だが、エリオットはまるで動きを読んでいたとでも言うように華麗に避けた。そのまま後ろからアドラを抱きしめ、頬から首へ、首から胸へと指を這わせ、曲線美を堪能していく。


「心配しないで、ラヴィ。私はアドラの女ですもの。アドラが嫌がることはしないわ」

「ね、姉さんの女!? それは本当かい、姉さん」

「あ、ああ。俺の女になれ、とは言ったがそういう意味じゃ」

「アドラってば恥ずかしがり屋さん。でも私たち、命が尽きるまで傍に在り続けると将来を約束した仲だわ。その証拠にほら。私たち、こんなに仲が良いの。アドラ、少しだけ目を閉じていて」


エリオットは耳元で蠱惑的に囁くと、艶のある銀髪をかき上げた。再びアドラの唇をなぞり、ぽってりとした赤い唇をすぼめ、長いまつ毛を伏る。


 そして、そのままゆっくりと顔を近づけてキスを一つ落とした。


 ただし、自分の指に。うわぁっ、とラウンジにどよめきが広がる。


 エリオットは笑いをこらえられず、くつくつと声を漏らした。これは『エルメス・クラブ』の枕営業でよく使った手である。客の中には自分がダンサーと交わるより、ダンサー同士の絡みを見る方が楽しいという酔狂者もいた。彼らの前で、こんな風に顔を近づけてやれば、客はあたかもキスをしたと錯覚するのだ。よほと近くで見ない限りわかるはずもない。


 案の定エリオットの演技にラヴィも騙されたようだ。ラヴィは目を血走らせ、歯をむき出しにした。そうかと思えば、すぐに深いため息を吐きながら目を閉じた。まさに百面相である。


 ラヴィはゆらりゆらりと幽霊のようにエリオットに近づくと、踵を浮かせ、ドスの聞いた声で告げた。


「いつか絶対殺して、殺して、殺し尽くしてやる」


 ラヴィはジャケットを羽織り直して、右手を軽く振った。


「行くぞズィー。今、俺は非常に気分が悪い。他の奴らも散れ! これは幹部命令だ!」

「うわっ! ラヴィが荒れてらぁ。おっかねえおっかねえ」

「キース、茶化しちゃ可哀そうよ。さっさとアイルたちも部屋に帰りましょう」


ラヴィの号令に、ある者は不服そうに頬を膨らませて、ある者は面白そうに目を細めて、各々が元いた場所に帰っていく。バンも何か言いたげにエリオットを見つめたものの、ズィーに声をかけらえて、結局は何も言わずに皆の後をついて行った。


 残されたアドラとエリオットの間に気まずい沈黙が訪れる。


ラヴィだけでなくアドラも流石に揶揄いすぎただろうか。


エリオットは何となく声をかけ辛くて、アドラに背を向けて立ち上がった。だが、その腕を強く掴まれる。


「アドラ? ええと、あの、先ほどは――」

「あれは本当か? 本当に俺にキスをしたのか?」


エリオットが謝罪を口にする前に、アドラが疑問の言葉を重ねた。まっすぐにエリオットを見つめるその表情は真剣そのものだった。


エリオットは「いいえ」と頭を振った。


「演技よ。傍からはキスをしているように見えたでしょうけど、実際は自分の指に唇を押し当てただけ。だからあなたの純潔は守られたわ」

「……そうか」


だが、エリオットの答えにアドラはどこか不服そうだった。まるで、それが本当のキスであってほしかったと言わんばかりに。


「どうかしたの?」


エリオットは小首を傾げたが、アドラは


「何でもない」


とエリオットの腕を離した。


「それよりもエリオに寝床を用意しないとな。今空いてる女子部屋が俺の所しかないんだが、俺と相部屋でいいか? ラヴィが言うには、俺の寝相はすごく悪いらしいから、寝ている間蹴り飛ばしちゃうかもしれないけれど……」

「構わないわ。私も寝相が悪いもの。それに、もしベッドを占領されたら浮いて寝ればいいから」

「ははっ。そりゃ心強いな」


アドラは口を開けっ広げにして相好を崩した。



 夕食だというパサパサのパンと缶詰のスープを平らげ、冷たい水で体の汚れを軽く洗い流した夜。エリオットは体をゆっくりと起こすと、うんと伸びをした。隣には頭まですっぽりと布団を被っているアドラがおり、気持ちよさそうに寝息を立てている。


 エリオットはアドラを起こさないようにそっとベッドから降りた。窓の外を見上げてもそこに月はない。あるのは永遠の暗闇と、重力制御装置が取り付けられた天井だけだ。せめて星座のホログラムでも投影してくれれば夜を実感できたものの、生憎ヴァイマリアードにそんなロマンチストはいない。だが、エリオットはこの退廃的で血塗られた世界が好きだった。


「お父様、あと少しで五年よ」


エリオットは地上にいるであろう、否、父親の顔を思い浮かべた。


「もう少しで約束の五年が来る。お迎えが来るまで、私、ちゃんとお行儀よくしているわ。だから最後にこの地下最下層での思い出作りを赦して頂戴ね」


窓枠に飛び乗って体を強化ガラスに預ける。ぶらぶらと脚を揺らすのは彼女の癖だった。


「今日ね、面白い人たちに出会ったの。お父様の騎士団と殺し合う無謀な革命軍よ。その中にアンジュー家の生き残りもいたわ。久しぶりにグラハムベルの名を聞いたから、勢いで返事をしそうになっちゃった。今はエリオシェードじゃなくて、エリオットなのにね」


エリオットは、まるで満点の星空でも眺めたかのように、翡翠色の眼をきらきらと輝かせた。その笑い顔には、幼女のような無垢なものが感じられた。


「早くお父様に会いたいわ。お土産、いーっぱいお聞かせするからね」

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