第4話


―――ピンポーン



来客を知らせる電子音に、うっすらと意識が浮かび上がる。誰かが来たということは分かったけれど、起き上がる体力も気力もなかった。

眠ってたのか。でも、奏に呼ばれてきただれかなら、鍵くらい借りてきてるだろう。もしなかったら、申し訳ないけど仕方がない。


少し間を開けて、金属音が聞こえてきて、玄関が開けられたことが分かった。物音とともにガサガサというビニール袋の音が聞こえて、途中から足音だけになる。近づいてくる足音に視線だけを反応させた。


――え、なんか知らない人だったらどうしよ、


一抹の不安が、時すでに遅しで湧き上がる。瞬間、ドアが開いた。



「佐紀?起きてるの?」


「……恋?」



開いたドアから顔を覗かせたのは、恋だった。期待していたのに、会うと今までのことで心臓が縮む。私が少し驚いたせいで、恋は困り顔をする。



「起こしちゃった?ごめん、」


「ううん、ぼーっとしてただけ。…こっちこそごめんね、来てもらって…」


「気にしないで。体調どう?」



そう言いながら、私のベッドの横に膝を着く。膝立ちの恋からは、なんだかいい匂いがした気がした。



「頭痛いし、まだ寒い。」


「あら。じゃあまだ熱あがるね」


「んー、」


「寒気落ち着いたらご飯食べよ?今は暖かくして体休めた方がいいよね」


「…うん」



恋がズレた布団を直してくれる。誰かがいてくれるだけで、安心する。でもきっと、これは誰でもない恋だからだと思う。



「薬は?」


「のんだ。……、恋は大学大丈夫なの?」


「うん。まだ余裕あるから平気。気にしないで、休んで…ご飯食べるまでいるから」



さすが。大学もだけど、私が気にしていることも不安に思っていることも、恋にはわかっているんだ。ふっと気が緩む。体は寒さで震えているのに強ばったものが解れていく気がした。



◇◇◇


佐紀の規則的な呼吸が聞こえ始めて、少し安心する。寒さで辛そうな表情ではあるけれど、自分が来たことで休めなくなったらどうしようかと思っていた。

私が来て少しも安心してくれたかな…。そう自惚れてしまっても許されるだろうか。散々淫夢で惑わせて困らせてしまっている自分が思えることではないかもしれないけれど、寝るなんて、無防備な姿を許してくれたことに少しの安堵がある。警戒され、気を張られることだって、普通の反応だから。



「ふう。お粥かなんか作ろうかな、」



勝手に台所を使うのも気が引けるけれど、奏にも言いつけられたことだし構わないよね。ただいるだけというのも、良い印象はないし。

そう思って、部屋から出ようとドアに手をかける。人の気配が遠のいたことに気づいたのか、佐紀がモゾモゾと動き出す音が聞こえて振り返る。けれど、佐紀の目は未だ閉じられていた。



「……かわいい」



子どもみたいな寝顔。無防備な姿。夢の中のような、強い姿とはかけ離れていて、気づけばにやけていた。どっちも佐紀であることは間違いない。なのに、本当の姿はどっちなのだろうと考えてしまって、いい加減にしようとお粥作りへ思考を傾けた。



 ◇◇◇


夢は、見なかった。正しくは、あの灼けるような熱の篭った夢を見なかった。

私は安心した。自分でも制御出来ない程の欲は、怖い。夢の中だとしても、本能に突き動かされるあの感覚は自分ではないようで、いつか相手を。恋を、壊してしまうんじゃないか。


夢の中だからいい。そんな風に割り切れたら良かった。

現実にはならない。そう思えたら楽だった。


恋人でもない君をそんな風に手を出すことなんてないと信じたいけれど、夢は潜在意識の表れだと聞いたことがあるから。どこかで恐ろしく思うんだ。

いつか、恋を。泣いて嫌がる君を、自分の欲望で呑み込んでしまう、そんな現実が来るのが恐ろしくてたまらない。



意識が引き上げられる瞬間、それこそ瞬く間に普段考えられないくらいの量の思考をたどり、視界に情報が映るとともに思考が弾けた。ここはどこだと、ぼやけた脳が記憶を探す。



「佐紀?」


「…れん、?」


「うん。寝ぼけてる?奏に頼まれて看病に来たんだよ」



熱の篭った体を起こす。怠さは変わらないけれど、寒気は引いて代わりに熱が体を巡っていた。熱くて仕方がない。



「………あぁ、そ、か。……」


「?、大丈夫?」


「うん。、ちょっと暑くて、」


「寒気引いたんだね。少し体冷やそうか」



恋が部屋を出ていく。寒気があった時にはなかった、熱に伴う頭にモヤがかかったような違和感。それは汗で張り付いたインナーを動かすくらいじゃ誤魔化せなかった。



「………あつ、」



でも、身体の熱は上がりきっているようだった。あとは下げるだけ、そう考えていた。



「氷枕なんてもうないよねぇ。氷、袋に入れてきたから、タオルで包んで枕にしよ」



困ったように笑う恋が、手づくりの氷枕を持ってくる。その片手には冷えピタの箱が握られていた。確か常備なんてしていなかったから、買ってきてくれたのかもしれない。



「どっちかでいいかな?どっちがいい?」


「……、どっちもやる」


「大丈夫なの?」


「せっかく作ってくれたんじゃん。熱いし、使いたい」


「ありがと。無理しないでね」


「うん。ありがと」



枕を退かして、タオルに包まれた氷枕を置く。額には冷えピタを貼ったところで、恋から声がかかった。



「お粥作ったけど、食べれる?」


「………んー、」


「少しでいいから、」


「……うん」



あまり食欲はなかったけど、食べなきゃかな。そんな気の進まない返事にも、恋は笑顔を見せてくれた。また部屋から出て、帰ってくる。スポーツドリンクとともに、器に盛られた卵がゆが湯気を立てて運ばれてきた。



「あ、卵、」


「少しは違うかなって。食べれる分だけでいいから。味は保証できませんが」


「ありがと。……いただきます、」



息をふきかけて、熱を伺う。人に見られながら食べるのって緊張する。でも、自分が作る側だったら、傍で見てしまうかもしれない。私、変な顔してないかなぁ。でも、今更顔を洗うのもおかしいし、もうどうしようもないか。



「、おいしいよ」


「ほんと?えへへ、ありがと」


「ほんと。食べれそう」



恋のお粥は優しかった。無味でもなく、特に強くもない。卵の柔らかさもある。体が弱ってるとか、好きな相手の食事だとか、そういうのもあるけど、普通に美味しい。一緒に持ってきてくれたスポーツドリンクもありがたい。しかも常温。


恋は、いいお嫁さんになるんだろう。今時そんな風に思うことは、なんちゃらハラとか言われるのかもしれないし古いとか言うんだろうけど。こういうのに、相手は惚れるんだ。弱った時の、優しさは何倍にもなると痛感する。私は、それ以前から恋が好きだけれど。

そして、私はその立場にいないんだと急に思考が落ちる。同性同士が、とか、そういうのが珍しくないとはいえマイノリティであることに違いはない。


だからきっと、恋は―――


瞬間、腹の奥をかき混ぜられるような、心臓が掴まれるような感覚に襲われる。きっと風邪のせいだ。ここのところ見続けた夢のせいだ。

熱くて、苦しい。恋から、いい匂いがする。視線を上げれば、恋の優しい表情があった。



「佐紀、?」



その表情で。声で。


だれかを求めて、腕を伸ばし、その隣に立つのか。



酷い、嫉妬と独占欲。そして、性に塗れた欲が、蓋を開ける。



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