R:em_ainder

洒落骨カル

君が見た夢

雪乃が事故に遭ったと連絡を受けた時、俺は世界が何か薄暗いものに浸食されていくような、悪夢の中に引きずり込まれるような、そんな感覚に囚われた。

よく覚えている。春先の、雲一つない晴れた日だった。

信号無視の車が横断歩道を渡っていた雪乃に突っ込んできた、と聞いた。目撃者の中には、車はまるで雪乃を狙っていたように見えたという人もいたが、真相はわからない。

犯人はすぐに逮捕された。事故当時の記憶が曖昧で、心神喪失の疑いもあるらしいが、今はそんなことどうでもいい。

雪乃を、雪乃と幸せに過ごすはずだった二人の未来を、ただただ返してほしい。それだけだ。


「雪乃、川原の桜がつぼみを付け始めたよ」

反応はない。無機質な機械音だけが、病室に響く。

眠り続ける雪乃を見つめていると、彼女が元気だったころの思い出がよみがえる。

大学のサークルで初めて出会い、勇気を出して声をかけたこと

真夏の帰り道に二人で星を見たこと

新婚旅行で行った海辺の町

クリスマスに一緒に飲んだ暖かいココア

何もかもが、遠い過去のように思えた。あの穏やかな日々はもう二度と帰ってこない。

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「ねえ、きいてる?葉介君」

「え?ああきいてるよ。僕はミルクも砂糖も入れる派。美咲さんはブラックだよね」

「うん」

「これから行きたいところとかある?もし良ければさ、美咲さんと一緒に行きたいところがあるんだけど、いいかな」

「どこ?」

「海がすっごく綺麗に見えるところがあるんだ。ここから車で1時間くらいなんだけど」

「ふーん」

「そこの近くにおしゃれなイタリア料理屋さんがあるから、夜はそこで食べようよ」

「ほんと?うれしい」

「今日は、夜まで大丈夫なんだよね?」

「うん」

「じゃあ、行こうか!」

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「……また、あの夢か」

雪乃が事故に遭ってから、周期的に見るようになった夢。

夢の中で俺は「葉介」という名で呼ばれており、「美咲」という女性といつも一緒にいる。

葉介と美咲は、どうやら恋人関係にあるらしかった。

夢の中の俺は、葉介の体を通して、二人の幸福な時間を傍観者のように見守っている。

葉介が喜びを感じれば俺も同じように嬉しいし、葉介がそう考えているのと同じくらいに美咲を幸せにしたいと考えている。

夢は、かつての幸福な日々を追体験させてくれているようで、慰めだった。

だが、夢から覚めた俺を待っているのは……

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「もうすぐ葉介君の誕生日だね」

「あ、そうだね。覚えててくれたんだ」

「4月1日だよね?」

「うん。あと2週間くらいかな」

「何が欲しい?」

「え?プレゼントくれるの?」

「当たり前じゃない」

「ええ、嬉しいな。美咲さんが選んでくれるなら何でも嬉しいけど……」

「この前買い物行ったとき、時計見てたじゃん。あれにしようか?」

「え!いや悪いよ。あれすごく高いから」

「大丈夫大丈夫」

「いや悪いって。もっと安物でいいんだから」

「いいの、私があげたいんだから」

「それじゃあ、今日は美咲さんのやりたいことたくさんしよう!今日も、時間大丈夫なんだよね?」

「うん大丈夫!それじゃあねえ……」

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またあの夢だ。

最近、自分と葉介の境界が曖昧になっているように感じる。

葉介の行動や口から出る言葉が、自分の思考と全て一致する。

夢の中で美咲に触れる指が葉介のものなのか、自分のものなのか、わからなくなってきた。

……幸せだった。

叶うのなら、ずっと夢の中にいたい。そう思う事さえあった。

そしてその度に俺は、目の前で眠る雪乃に対して、焼けつくような罪の意識を覚えた。

「また来るよ、雪乃」

まともに雪乃の顔を見られなかった。最近はこんな日がずっと続いている。

甘い夢は慰めでもあり、劇薬でもある。こんなことではいけない。

俺は、もっとちゃんと、雪乃と向き合わなくては。現実から逃げる事は、出来ないのだから。


「……ただいま」

扉を閉める音が妙に響く。誰も待っていない家に帰るのも、大分慣れた。

「そういえば、何か書類が必要とか言ってたな」

雪乃の入院以降、様々な手続きに追われていた。こうした現実的な雑務をこなしていると、雪乃の事も夢の事も忘れられる。

「こういうことは、全部雪乃に任せっきりだったからなあ」

苦笑いしながら、心当たりの引き出しをあらためる。

が、目当ての書類は一向に見つからない。こうなると「そんなところにあるはずないのに」と思いつつ、家じゅうの収納という収納をひっくり返すことになる。

寝室にある雪乃の化粧台も例外ではない。

その引き出しの中には、小さな紙袋が入っていた。

何となく高級そうな雰囲気がある。恐らく何かブランドのものだ。

そのブランドロゴは、俺のこれまでの人生では全くなじみがないものだった。しかし、俺は、それをよく知っている。

あの感覚がよみがえる

現実が浸食されていく、あの薄暗い感覚。

「俺は、何を考えている」

自分でもバカバカしいと思う。まだ、夢と現実の区別は付いている。俺は今、現実の世界を生きている、はずだ。

紙袋の中には、メッセージカードが入っていた。そうだ。そこには俺の名前が書いてあるはずで、これは雪乃が用意した、俺へのプレゼントに違いないんだ。

カードをゆっくり開く。指先が震える。この震える指は俺の指だ、他の誰のものでもない!

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「ねえ、きいてる?葉介君」

「え?」

「聞いてなかったでしょ?」

「君は、美咲、か?」

「何言ってるの?」

「……違う、君は美咲じゃない。これはただの夢じゃない。僕は……俺は葉介じゃない!」

「葉介君?大丈夫?」

「どうして、どうしてこんなことになったんだ。どうして」

「ねえ葉介君、聞いて?」

「……ごめん、今日は君と一緒にいる事はできない」

「……わかった。また連絡するね」

「こんな夢、終わらせないと……。こんな夢があるから俺は……」

僕は朦朧とした意識の中で、はっきりとした意志を持ってハンドルを握る。

俺の視線の先には、歩く女の姿が映っていた。

美咲さん、駄目だ。逃げて!

雪乃、もう終わらせよう。こんな夢にすがっていてはいけない。

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「おはよう、雪乃」

目が覚めると、俺はまたいつものように雪乃の病室にいた。

「ひどい夢を見ていたよ。本当に、ひどい」

言いながら、少し笑いがこぼれた。悪趣味な夢だったが、今となっては喜劇にすら思える。

「でももう大丈夫だ。全部終わらせたから」

そうだ。もう全ては終わった。あの時、夢は終わって、現実が始まったんだ。俺と雪乃の現実が。

「これからは、ずっと君の側にいるよ」

俺は指先を雪乃の髪にそっと這わせる。雪乃は俺だけのものになった。愛しみがあふれてくる。

もうあの夢を見ることはない。

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