3501 僕と黒猫の夜明け前

梛猫ブラン《勇者774》

3501 僕と黒猫の夜明け前

「だから言ったわよね。無理についてきたら、後悔するわよって。ねえ、最近の子って、中坊みたいなもやししかいないわけ?」

「ええっ、もやし!? これでも人より鍛えてるほうなんだけど…… 」

「クモの巣に五回も顔から突っ込んでるくせに。もしかして笙真が鍛えてるってのは鼻っ柱のこと?」

「なんでそうなるんですか。背丈の違いを考慮しないあなたについていくのって、結構骨なんですよ?」

「ありゃ。中坊のくせに、いうようになったじゃない? なら、このルートもついてこられるかしら?」

 言うやいなや、僕から一歩ほど前の路面を、小刻みな歩調で小走りしていた彼女は、足を止めた。

 身を伏せ、僅かな溜めを推進力にして、飛んだ。一瞬で塀の向こうに消えた、彼女のしなやかな変わり身の速さに、いくつも魔法を使えるわけじゃない僕は、苦笑いするほかなかった。

『私より二分遅れ以内に、何時もの場所ね。負けたら、分毎に、一缶六百円のゴハンで手を打ってあげるわ。精々健闘をいのる』

 いのるのあとに、捺された肉球マーク。僕は息を吐いて、アスファルトを強く蹴った。

 時刻は、午前一時半。目的地への最短ルートと、この界隈の防犯カメラの位置を頭に浮かべながら、僕は既に駆け始めている。


『遅かったじゃない? 約束通り、三缶カートに入れてあるから、あとは頼むわね?』

 汗だくになって肩を上下させた僕と違って、取り澄ました口調で、彼女は当然のように呟いた。

 真っ黒な前足が、僕のスマホを当然のようにタップして、注文を完了すべしと強請ゆすってくる。

 息切れが過ぎて、反論がただの口パクに変わってしまった僕に、黒猫は言った。

『半分に負けてあげたわけじゃないわよ。次の小遣いまで待ってやってるだけだし、勘違いしないようにね。あ、トイチで増えるからね? もちろん十秒毎に……嘘々! そんな顔したら私がただのタカリみたいだから、やめなさいって?」

 たかってる自覚はあるんだ。思った僕に向かって、頭の先から爪先までの色彩は同じまま、五年生くらいの女の子に姿を変えた彼女は、両手を返して、迫力満点な片えくぼを浮かべてみせた。

「ほっとこー、いる?」

 促されて渡されたボトルの飲み口から立ち上る湯気には、僕の大好きなコーラの香りを思い起こさせる要素なんて、まるで見つからなかった。どうやら聞き間違えたみたい。温かい前足ホット・ポウなんて、変なネーミング。感想とともに飲み込むと、少し濃くされたスポドリみたいな甘味が、お腹のそこまでじんわりと染み渡った。

「おいしいっしょ。さ、補導される前にうちに帰るとしましょ?」

 流れるような真っ直ぐな黒髪。ゆきそっくりの、僕と全然違う、いかにも日本人然とした長い髪を翻して、六音さんはもう歩き出していた。

 二、三歩の大股ですぐに追いついた僕に、再び大きな黒猫の姿をとった彼女は、迷いなく飛び乗った。

 七キロ分の体重が掛かる爪をまともに喰らった僕が涙目になるのは、まあ、僕が六音さんの背丈を越してからの、ここ五年ほどの長休みにはいつものこと、だし?

 なんとなく諦念交じりで思案しながら、僕は、 ゆきやおじさんたちが寝静まっている、銀葉アカシアが目印のわが家へ、六音さんとともに急いだ。

 眠気まなこの僕が、アジトを名乗る黒猫姿の六音さんに頭突きで叩き起こされる、出逢いから三千五百と一回目の朝まで、あと、四時間――

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3501 僕と黒猫の夜明け前 梛猫ブラン《勇者774》 @naginagi22

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