ヒナあられ、ハルあらし。

暁明夕

あられを一つ。

 三月三日、月曜日。



 世間にとっては憂鬱な月曜日で、三月に入って三日目で、そして――――。

 …………あぁ、そういえば今日という日はひな祭りだっけ。

 そうして私は、カラフルに彩られたプラスチックの包装を開ける。


 ――そんな、憂鬱の筈であったはずの月曜日。それでも、今日という日は私にとって晴やかな気分だった。


 もう誰もいない一年教室。夢であり、憧れであった『女子高生』という存在に辿り着いたと同時に、大きな不安が押し寄せた四月七日。でもそんなものは杞憂で、正しく新たな出会いを迎えることが出来るのだと知れたあの日。そう、あの日から高校生である私は形作られていったのだ。

 中学から続けて入った吹奏楽部、新しくできた先輩。やっぱり、『先輩』という存在はどうしても私には大きく映った。

 そんな新鮮な日々の懐古と共に、赤色のあられを一つ口にほうった。

 ――――甘い。それでいて塩味もある。

 ちょっとした後味を慣らして、階段を上る――。


 整然と机が並んだ二年教室。そんな、頼もしい先輩に少し近づいた学年。それでも、私にはそんな責任染みたものが苦しくて。色んな悩みをもって夏を過ごした。一年生のコンクールで見た先輩の涙を胸に、また今年も去年よりも努力して迎えた。それでも、ダメだった。去年よりも強く悔しさが残った音楽室。そしてまた、先輩から何かを託されて。それでも、今度は前を向くことが出来た私は、努力を続けられた。そんな中で、人間関係の錯綜もあった。未だに幼さを無くすことはできなかったけれど、それでも前は向けた。

 そんな成長と伴に緑色のあられを一つ口にほうる。

 今度はきちんとしょっぱかった。そう、まるであの時みたいな――――。



 ――涙に似た味覚を噛締めてまた、階段を上る。



 三年教室には、まだ人が残っていた。

「お! ハルまだ残ってたんだ」

「うん、最後だしね」

 一年からの学友であるリカが、声をかけてくれた。

 最後…………そう、最後なのだ。昇降口を通るのも、階段を上るのも、この教室に入るのも。

 ――――この学校に来るのも。

 黒板には、私たちの門出を祝うアートが大きく描かれている。

「…………なんか、ちょっと寂しいかも」

「まぁね。でも、誰だって必ずいつかは大人になるんだからさ」

 笑顔でそう答える彼女。写真にとって飾りたいものだ。

 でも、そんな彼女にも、涙の跡はあった。

「そういえば、ハルは四月から上京でしょ? 羨ましいな」

「でしょ? 大学受験頑張ったんだから」

 そんな羨望の目を向ける彼女も、四月からは大阪の会社に勤めるらしい。

「ま、今の時代コレがあるから、連絡は取れるからね。別に今生の別れとかではないけどさ、次会うとしたら同窓会かもね」

 そう言って、リカは私とのツーショットを壁紙にしたスマホをこちらにを向ける。

「あ、それ!」

「いいでしょ、後からハルにも送っとくよ」

「ありがとう!」

 そんな、どうってことない会話が私たちの別れだった。今らしいって言えばそうなんだろうけど、やっぱりちょっと寂しさはある。



 会話が終わり、私一人が取り残されたこの教室で私はまた、私という設計図を顧みる。


 遂に色々な責任から逃れられなくなった去年の四月、それでも私は幼稚さを捨てきれずに、それでも自分なりの『大人』を取り繕った。頑張って、『憧れ』を被ってみた。虚勢を張るみたいに、良い『未来』を望んだ。


 ――それでも私は小さかった。

 未だ高校生という括りに隠れて、成人する今年を見て見ぬふりをした。そんな私の弱さが、望みを果たしたコンクールの後に降りかかった。


 楽しかった。嬉しかった。心の底から沸き上がった喜びを、私は忘れることが出来なかった。


 そして、終わりと同時に、何かが始まった気がした。これまで何かを言い訳にして逃げ続けていた自分の未来を自分自身に問われた。「私は何を犠牲にして、何になりたいのか」、「どんな『未来』を生きて、どんな『大人』になりたいのか」、と。


 そんな、物心ついた時から抱いていた筈の疑問の解決から逃げ続けて。季節は移り替わって、見慣れた通学路は私に時の流れの速さを実感させる。そんなこんなで、私は今日を迎えてしまったんだ。


 上京して、ちょっといい大学に行くからって、別にそんな事では私の未来は決まらない。そんなことは分かっている。



 だけど、私は何処かで、もう少しだけ今のままでいたいと感じていた。


 門出の寂しさ。それは親しい友人、三年という月日を共にした校舎、一生残り続けるであろう三年間の思い出と決別するかのような、そんなところもあるけれど、やっぱり私は――。



 ――大人になってしまうのが、堪らなく寂しいんだ。



 窓から見える体育館、その入り口に置かれていた看板が撤去され始めている。

 スマホのバイブレーションが鳴り見てみるとそこには、リカからの一件のメッセージと伴に送られてきた一枚の画像。


 私の思い出写真フォルダがまたひとつ増えた。私はその青春の一ページを忘れないうちに写真アプリに保存する。



 そして私はまた、白色のあられを一つ食んだ――。



 ――甘い。まるで今の私みたいだ。


 こんなちっぽけなコンビニの菓子に、同じくちっぽけな自分を照らし合わせてみる。

 何故かはうまく言葉にできないけれども、少し笑えてしまった。

 ただ、今年も『終わり』と『始まり』の雰囲気を纏う校舎は、未だに残る冬の寒さがこびり付きつつも、確実に春の訪れというのも私に感じさせる。



 ――私は…………



 私は、沢山のものをくれたこの場所に何を残していくべきだろうか。


 壁に遺された先輩達の存在証明の仲間入りをしてみる? 黒板の裏に紙切れを一枚隠しておく? 


 ――――少々考えてみたが、私はやっと、ここに何も遺していけないことに気が付いた。


 ここに来て得た感動も、感情も、後悔も。何もかも形に、言葉にすら表現できないのだから。


 でも、そんな私でもできることはある…………と思う。



 無人の教室。私は徐に、教卓から見て真ん中から少し右の列の三番目の席に立った。


 静まり返った空間、私はそれを断ち切る。



「ありがとうございました!」


 私は、笑顔でそう頭を下げた。


 もう先生のいない教卓に向かって、彩られた黒板に向かって。


 ただ、その部屋で虚しく私の声が残響し消えていく。



 そうして私はまた、黄色のあられを喫した。


 ――まだ甘い。でも、それでいい。


 私の人生という私の回答用紙は、『大人』というものさしに囚われなくてもいいのだから。

 …………なんてね。


 ***


 私は昇降口を後にする。もう私のほかに出遅れた人間はいなかった。

 手には卒業証書をもって。私はそれを無意識にそれを開いた。

 達筆な字と共に、薄紅の花弁が出てくる。

 桃の花。私はそれを手に取ろうとしたのだけれど、強い風が攫って行ってしまった。

 私の表情が不意に綻んだ。


 校門を出て重荷が取れた私は、笑顔で学校を離れた。

 右手に空になった包装袋を握って。

 私――雛見波留は、今日風間高校を卒業する。

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ヒナあられ、ハルあらし。 暁明夕 @akatsuki_minseki2585

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