どうせ死ぬ前に
如月一月
第1話 明暗の北宮(1)
――それが貧乏籤だなどと、『もうひとつの記憶』を使わずとも、察する程度の頭はあった。
ある意味、それが不幸だったのかもしれないが。
断るつもりであった。
逃げるつもりであった。
成程、子は親を選べぬ。それがこのように世襲を常とする社会であればなおのこと。
とはいえ、「あれ」は一種の怪人であった。確かにその傍にいたのは己であるが、それを継ぐ気も、継げる気もなかった。
故に、己は断るつもりであった。辞するつもりであった。
これがそれを己の意思で出来る、最後の機会であると判別出来たが故に。
「めいず」
まだ舌足らずな声であった。然もあらん。市井であればまだ母の元でいくらぐずっても許される年頃である。
それがなんの因果か、この国の至尊に座している。
なにが悲しいか。なにが辛いか。
それは分からぬ。
分からぬ。が、しかし。
寄る辺なき顔であった。
今にも泣きそうな顔であった。
その上で、理解出来ていない「なにか」を受け入れるしかない、と本能で察したのであろう顔であった。
それを見た瞬間、己の決意に嗤った。
――なら、一生をかけてやるか。
誰にも語らぬことのない決意のまま、男は平伏した。
かくして帝国史上、間を空けずに人臣の最高位を占めた親子が誕生した。
子である男がその時なにを思ったか、史書には記されていない。
ただし。
以降の彼は、帝国で最も嫌われる男となった。
――フィア・スロラトニケの八年・夏五旬の二。
ヴァンティア帝国・カリニコス。
かつて西方世界には、千年に渡る大帝国があったという。
そう語られるのは既に五百年は昔のこと。しかしながら、その大帝国は未だ東側だけが残っている。
数多の玉座の主と、国制の幾度かの変容とを超えて。
その帝国の名を、ヴァンティア、と人は呼んだ。
国名の元となったという帝都ビュアスにて。
八年に渡って、幼帝をほしいままにする執政がいるという。
宰相、外務卿、太傅。
顕職を兼ねる人臣の最高位。
帝国の第二代宰相、ヨハン・スタンリー。
当代一の嫌われ者である。
そんな彼に対し、『心ある』領主、四家が挙兵。
家兵や領兵を糾合し、その数三千を集め、ここカリニコスを経由して帝国ビュアスに進軍しようとしていた。
そう、して「いた」。
何故過去形なのか?
答えは目の前の光景にある。
即ち、――彼らの敗走という形で。
――スタンリー! この逆賊!!
四家の首魁たるポンペイウスの叫びが剣戟にかき消されるのをほのかに聞きながら、その対象たるこの男は、暫し目頭を押さえていた。
「御主君?」
配下の問いを手で制止すると、ヨハンは顔を上げた。
「家宰、あとは愚弟に任せる。……俺は先に帝都に帰る」
「反逆者の始末はよろしいので?」
「いらん」
「それに、あれでは生き延びておらんだろうよ」と言い捨てると、早々に馬上の人となった。
瘦せた男である。
それでいて、背の小さい男である。
貴人として馬には乗るし、武器の扱いは知らぬでもない。
だが、とてもではないが武人として大成せぬ。
鎧に慣れておらぬ文官の姿そのものである。
陰気、というよりは生気のないような目でいる。
そんな男が、兜を早々に外し、東方風の冠を被っていた。
帝国一の嫌われ者たる宰相、ヨハン・スタンリーとはそのような容貌であった。
「どうせ愚弟のことだ。あのまま近衛で決着を付けたがろう。お主は適当なところで突き合っておけばよい。問題があれば主命と言っておけ」
「このままでは、どうせ見物で終わりそうですな」
「構わん。俺であれば嚙みつくかもしれんが、お前であればろくに怒りもせんだろう」
「帝都は?」
「史官がおります。家兵はそちらにて」
「結構」
それだけで主従の話は終えて、スタンリーは馬を走らせていった。
――フィア・スロラトニケの八年・夏五旬の三。
ヴァンティア帝国・帝都ビュアス。
この日、帝都は明朝より常ならぬ喧騒の襲われている。
正確に述べるのであれば、帝都の中でも、宮城。その北宮と呼ばれる一角である。
この区画は宮城にあっても、皇帝とその一家の私的な時間を過ごす場であった。
ただし、である。
この八年。この北宮はたった一人の少女のために運営されている。
フィア・スロラトニケ。
若干十三歳にして、東方世界盟主たるヴァンティアの皇帝である。
そんな少女皇帝のもとに訪れた者を評するのであれば、カリニコスで敗れたポンペイウスとの同調者だ。
さらに言えば、その多くは皇帝直属たるはずの宮廷魔術師たちである。
彼らはその対立するスタンリーが、帝都外の反乱軍対処のために出兵するのを待ち望み、こうして事を起こした。
宮廷魔術師の特権をもって、宮城を一時的に制圧したのである。
だが、そこから頓挫があった。
「先君の亡き後、国政をほしいままにした家々を討ち果たさんが為、我らは挙兵しました」
「どうか陛下におかれましては、衛兵に宮城を封鎖させ、信頼のおける心ある貴族をお集めになり、これらを討伐するように、とお命じください」
とうやうやしく告げた。
それを聞いた少女の反応は明確であった。
幼子のように、顔を横に向けたのである。それも、一言も発さずに。
その瞳に嚇怒が灯っていることに、彼らは困惑した。
――所詮は小娘か。と誰ともなく、呆れた雰囲気が座を支配しようとした、その時である。
北宮の門が破壊される轟音が、宮中全体に響いた。
どうせ死ぬ前に 如月一月 @kisaragiituki
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