「いかないで。」

村添たばさ

第1話

「今月いっぱいで退職することになりました」



毎月第2金曜日。恒例の飲み会。


右隣には素敵な先輩、左隣には可愛い後輩。

正面で涙ぐむ厳しかった上司に、


ーーテーブルの端でこっちを見た、同僚のアイツ。





「親に結婚急かされちゃいまして」

「お見合いすることになったんですよー」

「もうほぼ断れない状況らしくて」

「私もいい歳だし」

沈黙が怖くて、私はひたすら言葉を続ける。

喋るのをやめたら、私はきっと、アイツを見つめてしまうから。






「先輩がいなくなったら私誰とランチすればいいんですかぁ…」

「男っ気のないアンタが結婚かー、どうせすぐ音をあげて戻ってくるんじゃないの?」

両隣から聞こえる言葉に愛想笑いを返し、正面の上司に酒を注ぐ。









「寂しくなりますね」





頭に響くアイツの声。


この声が欲しくて、恋しくて、

ーー私は、地元から遠く離れたこんな所まで、追いかけて来てしまった。






「ーーくんは確か地元近いでしょう?会おうと思えば会えるんじゃない?」

事情を知らない先輩がアイツのグラスに酒を注いでそう言った。


「近いと言っても接点はなかったですし、俺も仕事で中々帰れないですしねー…」









職場の中で私とアイツは、ただの同僚だった。

地元が近いと言っても、母校も違えば歳も違う。

新卒入社のアイツと、中途入社の私。

たまたま同じ時期に、同じ地域から入社しただけの、関係。




ーー私がアイツを追っかけてきたことは、私とアイツしか、知らない。


それで、良かった。

今までは、それで良かったんだ。

…私に罪悪感なんて、うまれなければ。





「わざわざ地元帰って私に会ったりしたら、彼女に妬かれちゃうもんね?」

「あっそうだよ!遠距離の彼女!最近どうなのよ、結婚とか考えてないの?」

「えっ急に俺の話!?ちょっと勘弁してよ」

私の皮肉は隣の後輩に拾われ、必死に話をはぐらかそうと苦笑いするアイツを先輩と笑う。



みんなの前で敬語を使われない、ただそれだけの事が羨ましくて、可愛い後輩すらも刺したくなるほどに、私がアイツを愛してしまっていることは、ここにいる誰も知らないんだろう。



私は笑って、泣いている上司にお酒を注ぐ。

お世話になった先輩に、結婚のアドバイスを貰う。

笑って後輩に激励をおくる。



時刻は23時。

そろそろアイツが、抜ける時間。









ーーブブッ


私の携帯が振動して、さりげなく通知を確認する。




『俺、今日行ってもいいん?』




画面に表示された一文。

差出人は、アイツ。



『いいんじゃない?』


送った瞬間つけられる既読。




「…さて、俺そろそろ終電やばいんで帰りますね」

既読がついたのを確認すると同時に響く声。


お疲れ様、と、やまびこのような声を背に、アイツは席を立ち、携帯を操作しながら店を出る。



『早くな』

返ってくる返信。





すぐに抜けたら、気付かれるだろうか。

もういいか、まだダメか。

時計を確認しながら、酒を注ぐ。





ーー23時半。頃合いか。


「…私もそろそろ酔いが回ってきました、明日約束あるので早めに帰りますね」


やまびこ。お疲れ様。

もう聞こえない。

店を出る。走る。タクシー。












「…ただいま」

「おっせ」

「ごめん」



私の家、アイツの姿。

部屋着に着替えて寛ぐアイツを、きっと上司も先輩も後輩も知らない。




「…こっち来いよ」




着替えてない。私、きっと、お酒臭い。

ああ、でも、それはお互い様か。

さっき走ったから、汗が。

ああ、もう、でも、







「…すき」



私の横で眠る彼にそっと呟く。


その声で起き上がる彼は私を見つめて、「結婚すんの?」と他人事のように問いかけた。



「じゃあ、もう会えないね」

そう言いながらキスをしてくる彼を、私はきっとこれから先も一生愛してしまうんだろう。



彼と会うのはこれが最後。

来月の飲み会に、私はもういない。



「今日は、いっぱいしよっか」

押し倒される。

私は手を伸ばし、彼女も触れたことのない彼の肌に触れる。





苦しかった。好きでいることが。

苦しかった。恋人になれないことが。

苦しかった。こうして肌に触れることが。



私は、この苦しさから、逃げたかった。



欲しかったのは、彼のこの温もり。


それよりも欲しかったのは、私を愛してくれる人。





でも、本当に欲しかったのは、彼のたった一言。

聞けなかった、聞きたかった、大切な、一言。







ーーー「いかないで。」fin

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「いかないで。」 村添たばさ @tama_3922

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