9-1

「告発するよ」


草津敏夫が自供して検察庁へ送検され、捜査も一段落ついた後、渡は光嬢の携帯へ電話をかけた。繋がったところをみると、彼女は大分落ち着きを取り戻したようだった。 


「――そう」


しばらく沈黙が流れた後、光嬢の暗い返事が聞こえてきた。


「でも今じゃない」


「え?」


「光嬢が今よりもっと大きくなって、気持ちに整理がついたときに。光嬢が告発してもいいと思ったときに」


押し黙り、それから確認するように彼女は言った。


「巡査はそれでいいの? だってお父さんがどんなことをしていたって、私はお父さんの身内だよ。一生そんなことないかもしれないよ」  


「それでもいい。光嬢の納得するまで、好きにしていい」


乗り越えたから。事件のことも、ゆかり姉さんのことも一生忘れない。


傷も完全には癒えていない。それでも渡の中では確実に、止まった置時計が動き始めている。


二十年分の虚無を埋めるために、昨日よりは今日、今日よりは明日と、少しずつ、未来へ向かって生きていける。


「ファイルはそれまで預かっておくよ。悩んだ時にはいつでも電話して。留守録に入

れておいてくれれば、かけなおすから」


「――うん」


光嬢の声は涙にかすれていた。ファイルを持っていたら、渡の身が危なくなるかもしれない。


だが、光嬢の尊さに比べたら、自分の命など惜しくもなかった。


どれだけこの子に救われてきたか。ゆかり姉さんの死を悲しんでいた時、唐突に目の前に現れた無垢で純粋な赤ん坊は、渡に生命の喜びと大切さを教えてくれた。


光嬢がいたから、今の渡がいる。数え切れないほどの感謝を、彼女にはしなければならない。


「じゃあまず、咲田さんのお墓参りに行きたい。それからご両親に会って全てお話しする。私一人で全部決められることじゃないから」


「そうだね。命日も近いし」


墓参日と待ち合わせ場所を決めて、渡は電話を切った。


あの事故現場を通っても、気持ちが揺らぐことはないだろう。


「ゆかり姉さん、これでよかったよな」


アパートから見上げた空は、青々と澄み渡っていた。

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