5-2


詫びる人間は、光嬢じゃないだろう?   


会議室の中をざっと見渡した。有馬のひき逃げを知っている者は、この中にもいるかもしれない。


米倉は? 目の前に座っている古参の刑事は? 誰も信じられない。  


組織ぐるみの隠蔽工作。頭に浮かぶのは、そればかりだった。


調書は過去に、何人もの警察官が目を通しているはずだ。


当時の監察官は当然の如く知っているだろう。


なのに、刑事のひき逃げ事件が一切表に浮上しなかったということは、上級幹部がこぞって加担し、有馬の罪をもみ消した可能性が高い。


証拠は握っている。


内部告発、或いはマスコミに垂れ流すこともできる。有馬を辞任へ追いやることは可能だ。


だが、そうしたら光嬢はどうなる?

 

公表したら、彼女もマスコミの餌食だ。確実に学校生活や今後の進路にも影響が出る。


苛立ちを抑えきれずに、渡はテーブルを二度、拳で軽く叩いた。


二十年という月日を思い知らされる。既に個人の怒りや怨恨だけでは解決できないほどの年月が過ぎ去っていた。これは渡一人でどうにかできる問題ではない。


あの時犯人を捕まえるからと青空に小指を差し出し、ゆかり姉さんに誓った約束は、時効と共に灰になってしまっていたのだ。


「ちゃんと聞いているか、渡」


隣に座っていた上司が、耳元で囁いた。


「あ、はい」


会釈をして背筋を伸ばし、手帳に文字を書き込んでいく。 


渡――苗字を呼ばれ、ふと父の顔が頭に過ぎった。


父は有馬のひき逃げを知っていたのではないか。


有馬が実家へよく来るようになったのは、ゆかり姉さんの亡くなった翌年からだ。


有馬の弱みを握った。父は有馬に脅しをかけた。だから、最初はひき逃げの犯人探しに協力的だった父はある日突然冷たくなった。


隠蔽に加担したか、あの男も。


言い訳には、俺のためとでも言うつもりか。


今回の通り魔殺人と過去のひき逃げ事件が、両肩に重くのしかかる。


犯人は渡が警察官になった瞬間から、ずっと胸の中に二人いる。目の前の犯人と、心の中の犯人。


あの事故の犯人が分かった今も、未消化の灰は溜まっていく。


「被害者が同じ地区に出たということで、新たな情報が入ってくるかもしれない。どんな些細なことでも見逃さないように」 


会議の終わりに有馬が言った。


渡は頭を抱えた。今回の事件は、あの時渡が男を取り逃さなければ避けられた殺人だったかもしれない。


目に見えない重圧をひしひしと感じる。


頭の中は、ふたつの事件のことで一杯だった。

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