砂の海
管野月子
流れゆく
風が強い。カタカタとなる窓ガラスの向こうは昼なお暗い砂嵐が、厚く地上を覆いつくしている。
こんな荒れた日にできることなんて、多くない。
どれほどドアや窓の隙間を埋めても砂は入り込み、指でテーブルの面をなぞれば太古の地上絵が描けるほどだ。洗濯なんて以ての外。料理をすればスパイスより多く、ざらついた舌ざわりを楽しむことができる。
寝るしかない。
ふて寝するのが一番、エネルギーを消費しないで済む。
「ススナ、なに作ってるの?」
埃っぽいソファから丸テーブルの方に顔を向けると、最近この
ススナは古い
だがススナは、僕のそんなつまらない発想を見透かすように、「ふふ」と口元に笑みをつくって答える。
「オヒナサン、っていうんだって」
「オヒナサン?」
「そ、こないだ発掘した中にあったの」
千年近く前の階層から、珍しく保存状態のいい遺物が見つかった。
遥か昔の「書物」が微塵にならずに、八割以上の状態を保ったまま復元できたのが先月。そこから教授が解読をすすめ、大方解明できたのが砂嵐の少し前。
ススナはその中の一つ、
「三の月、蛇の日に向けて一対の小さな人形――ヒイナを作りまつる儀式」
「蛇って……蟲? なんか怖い……」
「蛇はともかくオヒナサンは怖くないわよ。思いを込めて無病息災や未来を願うという……まぁ、でも言われてみれば、念がこもるのは少し怖いか」
苦笑する。頭の高い位置で緩やかにまとめた髪が流れ、揺れる。
ススナはこういった古い時代の儀式が好きだ。自分なりに再現して、そこから昔の人々の生活様式や思考を読み解こうとする。それはつまり、世界が砂と岩だらけになった
遥か昔、空は青く澄んで、地上は緑と水に溢れていたという。
果てしないほど巨大な水溜めは「海」とも呼ばれ、海は世界の果てで空と繋がり、同じ色で染まっていたそうだ。
同時に海はあらゆるものが流れつき、眠る場所だと――。
あらゆるもの――いつの日か、肉体から解き放たれた魂と呼ばれるものも、流れつくのだろうか。
「ヒナマツリは、子の成長を祝い、災いや穢れをヒイナ――オヒナサンに託して川に流す儀式なんだって。やがて託されたものは海に至る」
「カワ、って?」
「たくさんの水が流れる道のことだよ」
「カワを行く蟲に持って行ってもらうの?」
「んんん、砂蟲みたいなのが棲んでいるんじゃなくて……水も多いと、風みたいに飛ばして持っていくのだと」
少女は「川に流す」という言葉の意味がピンと来ない。
生まれてこの方、涸れた大地しか目にしてこなかったんだ。両手に掬える以上の水を見る機会など限られている。
街に住む人々の生命線となる、地下に蓄えられた「水瓶」は、限られた者だけが立ち入ることのできる特別区だ。大量の水は人や陸地を飲み込む力があったのだと聞いても、空想することすら難しいのだろう。
その証拠に、少女はよくわからないような声で「ふぅん」と漏らした。
「さ、そろそろ午後の学習の時間じゃない? うまくいけば新しく発掘した資料の範囲も、ダウンロードしてもらえるかもよ」
「うん」
頷いて、少女は部屋を抜け、階下に続く鉄階段を下りて行った。
少女を見送ったススナは「可愛い」と呟いて、手元の作業を再開する。僕はソファの上で寝返りを打ち、瞼を閉じた。
乾いた唇がざらついている。
「ねぇ、テリネ、この子たちが出来上がったら、付き合ってくれない?」
不意に名前を呼ばれた。
付き合う。
誰と誰が? どこへ? それとも、どんなふうにと聞くべきなのか?
探らせるようにわざと重要な言葉を抜いたな。
「ザツロに頼めよ」
「テリネがいいの」
即答する。面倒な。けど、こういった時のススナは絶対に引かない。何度も問答を繰り返すのも時間の無駄だろう。
「どこに付き合えって?」
「屋上」
「嵐だよ」
「だから飛びそうじゃない?」
瞼を開けて丸テーブルのススナを見ると、片ひじをついて微笑む姿があった。
「この世界にオヒナサンを流す川は無いから、嵐に運んでもらいましょう」
「本気かよ」
「もちろん。付き合ってくれるわよね」
嫌だと言っても、きっと僕が折れるまで説得を繰り返すだけだ。
はぁ、とひとつ息をついて起き上がった。そのまま低温保存庫に収納していたボトルの貴重な水を、コップに半分ほど注いで乾いた喉を潤す。
嵐の風音と窓の鳴る音。砂色に染まった鈍い西日。
誰もが息を潜め思い思いに過ごす午後。
ゆっくり検討しているフリには、このぐらいの時間が限度だ。
「わかったよ。言っとくけど、陽が沈む前にしてよ」
「もう出来上がるわ。私も蟲がうろつく夜に出るほどバカじゃない。まだ死にたくないもの」
そう言って糸を引き結び、ススナは二体の人形……オヒナサンを完成させた。
まだ陽がある時間だろうと砂嵐の外に出るなんて、正直、よっぽどのバカか物好きだ。バカと認めるのは嫌だから、物好きということにしておく。
ゴーグルとスカーフで目と鼻と口を覆い挑んでも、あっという間にざらついた空気が肌の隙間に入り込んできた。それでも不快な感覚に意識を向けず、手すりをしっかりと掴んで屋上の端へと行き、並ぶ。
ススナは完成したばかりの人形を手に、僕の方へ向けた。
「何?」
「動かないで」
人形の一体を僕の体にこする。これも儀式の一つなのだろう。
「そして人形に息を吹きかけるの」
「呪われないだろね?」
「逆よ、呪いを移すの。人形に災厄を受け持ってもらう。そうすればもう、死ぬような目に遭わないで済むかも」
言葉通りに受け止めていいだろうか。
ゴーグルやスカーフに覆われたススナの表情は読み取れないが、声音に他意は感じない。確かに、目の前で仲間が喰われる姿は見たくないが。
たとえここで呪われようとも、明日には蟲の餌になるかもしれない砂の世界だ。ススナが少しでも安心するなら断る理由は無い。
言われた通り軽く息を吹きかける。
ススナは「ありがと」と軽く微笑んで、残ったもう一体を同じように自分の体に軽くこすってから息を吹きかけた。そして二体がばらばらにならないように、しっかりと繋ぎ合わせる。
それ自体が僕とススナを繋ぐ呪いのようにも見えたが、以下略だ。
人形を手のひらほどの凧にくくりつけてから、ススナは腕を伸ばした。
「遠く、果てしない海まで……流れゆきますように」
人形を掴んでいた手を離す。風を孕んだ凧は瞬く間に高く舞い上がり、オヒナサンは砂嵐の中へ消えていった。
ススナの願い通り、果てしないほど遠くまで飛んで行くかもしれないし、直ぐ近くに落ちるかもしれない。どちらにしろ世界を飲み込む砂が、あっという間に全てを覆い隠してしまうだろう。
そういう意味で、僕らは砂の海の上で生きている。
「いつか見てみたいわね」
嵐の空を見上げ、ススナが呟く。
「砂色の海ではなく、本物の、青い海」
「この世界に残っているかよ」
「あるわよ、絶対、どこかに」
嚙みしめるように呟く。
そんなススナを横に、嵐の空を見上げた。
青い海を見失った僕たちは、一体どこへ流れゆくのだろう。
願うならヒイナたちが世界の果てまで飛び行き、空と繋がった青い海を見つけ出してくれたらと思う。
そしていつか僕らの魂を、呼び寄せてくれないだろうか。
砂の海 管野月子 @tsukiko528
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