チョコレートコスモス(10)

 次の日も二人で文化祭に向けての作業をした。相変わらず帰宅部の人たちが手伝ってくれることはなかったけど、徐々に平日に休みがある部活の人たちが残ってくれるようになった。ありがたい反面、立山は少し大変そうだった。最初はぐいぐい来るクラスメイトに身構えていた立山だったけど、作業が進んでいくにつれて硬さが取れていった。

「立山って意外と面白いやつなんだな」

 男子のひとりからこんな言葉が出てきたときは本当に嬉しかった。二人のときよりも格段に作業ペースが上がって、なんとか文化祭前日までに全ての準備が完了した。

 文化祭は二日間にわたって行われる。あたしが立山と過ごせるのは二日目の一般公開の日だ。初日の校内発表では、あたしは売り子に、立山は裏方にまわることになった。はじめは立山が参加しなくていいようにしてと伝えていたはずなのに、美紗が「準備ができたんだから裏方くらいならできるでしょ」と勝手に担当に加えた。時間は他の人よりは短いけど、それでも立山にとっては負担になるかもしれない。立山に「できそう? 無理しなくていいよ。美紗は人使いが荒いから」と言うと、「表には小野田がいるんでしょ? しんどいときは声をかけるから、そのときはよろしく」と返された。表情を変えないまま、なんでもないように言うその言葉があたしはたまらなく嬉しかった。頼りにされているから頑張ろうって思った。

 文化祭初日、表で売り子をしながら裏方の立山のことが気になって仕方がなかった。いつ体調が悪いと声をかけられてもいいようにと思っていたけど、結局一度も呼ばれることなく立山はしっかり自分の担当時間を終えた。夕方の前夜祭が始まる前、立山が帰ると言うからあたしは彼を家まで送り届けた。

 その日の夜、あたしは本当に浮かれていた。立山に対する好きの気持ちが最高潮で今にも溢れ出そうだった。ベッドの上でジタバタしていると、部屋の扉がノックされる。弟の誠だった。

「明日の文化祭さ、ひなたちゃんと行ってもいい?」

「いーよ、おいでおいで」

「ありがとう。じゃあひなたちゃんに伝えておかないと」

 そう言って誠が真新しいスマートフォンを取り出す。中学に入学した当初はいらないと言っていた誠だけど、彼女ができたらすぐに意見が変わった。条件に出されたテストの点数も楽々クリアして、誠は当たり前のように彼女と連絡を取っている。ほら、今だってだらしなく口角を上げて……ああ、両想いって本当に羨ましい。

「明日さ、姉ちゃんの好きな人も見せてよ」

「いいけど、なんでよ」

「姉ちゃん男見る目ないから、僕とひなたちゃんでアリかナシか判断してやろうと思って」

「うわ、いらね〜。てか、そんなの必要ないくらい超良い人だから」

「じゃあ別にいいだろ。約束ね」

 誠が部屋の扉に手を掛けたとき、なにかを思い出したように振り向いた。

「そういえばひなたちゃん、姉ちゃんと同じ学年に知り合いがいるらしいよ」

「へえ、誰だろ」

「さあ? 名前までは聞かなかったよ、どうせ覚えられないし」

 そう言って誠が部屋を出て行った。そういえば、誠とひなたちゃんのためにたい焼きの割引券を二枚もらっていたのを忘れていた。明日文化祭で会ったときに渡せばいいか。

 そう考えて再びベッドに横になる。仰向けになってなんの模様もない白い天井を見上げる。明日が楽しみで、心がふわふわとしている。そのまま空も飛べそうで、今ならなにをしても上手くいきそうな気がした。

 明日はどこから回ろうか。立山に食べさせたいものがたくさんあるし、一緒に行きたいところもたくさんある。去年はタケルと別れたすぐあとだったから、美紗と二人で模擬店を回った。柔道部の焼き鳥がおすすめと聞いて買ってみると、本当に美味しかった。お店の焼き鳥顔負けだったことをよく覚えている。何年か前の柔道部の顧問の先生が学生時代に焼き鳥屋でバイトをしていた影響で本格的なものを作るようになったと噂で聞いた。立山にも絶対に食べさせたいな。立山が興味を持ったところも回りたい。立山はなにが好きなのだろう。

 わくわく、ソワソワ。

 そんな気持ちを抱えて、ご機嫌なままお風呂に入って眠りにつこうとした。ベッドに入るとき、案の定恐怖に襲われた。こんなに楽しみで幸せだったら、またあの夢を見てしまう。頭の中がどんどんソファの赤色で埋め尽くされていく。なんとかギュッと目を瞑ろうとしたとき、スマートフォンからメッセージの通知音が鳴った。確認をしようとスマートフォンを持つ手が震える。暗い部屋の中で画面を見ると、立山からのものだった。

『明日はよろしく。迷惑をかけたらごめん』

 いつもどおりの立山の丁寧なメッセージに安心する。自然と手の震えが治まって、不安や恐怖が溶けていく気がした。また立山に救われた。

『そんなの気にしなくていーよ! こっちこそよろしく。明日めーっちゃ楽しみ! じゃあ、おやすみ』

『どうもありがとう。おやすみ』

 立山の返信を確認してスマートフォンを枕元に戻す。再び心の中がふわふわと宙に舞うように軽くなった。溶けきらないで残ったほんの少しの不安と恐怖を抱えて眠りにつく。

 その晩、予想に反して幸せな夢を見た。立山と文化祭を楽しんで両想いになる夢だった。あまりにも幸せな夢だったから、目が覚めたときは嬉しくて涙が出そうになった。正夢になったらいいな、正夢にしたいな、そんなことを考えながら学校へ行く準備を始める。ようやく過去の呪縛から解放されたような気がした。三年前から前進しているようで全く進んでいなかった心の時間が動き出す。今日がその転換期になるのかもしれない。

 前向きな気持ちを抱えて玄関を飛び出した。これからもそんな幸せな夢を見続けたい。それが今のあたしの願いだ。

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