流し雛拾い

　これは私が、まだ小さかった頃の話です。

　両親が共働きで帰宅も遅く、近所に住む母方の祖父母が私の食事の面倒も見てくれていました。

　もちろん有難かったです。

　ですが、小さい子どもに食べさせることを考えたメニューではなかったと言うか。

　煮物とお浸しが多かったですね。焦げた焼き魚も。

　いま思えば、贅沢な話だとは思いますけれど。

　子ども心に、もう少し名前のわかる洋食だったり色味もキレイなものが良いなぁ、なんて思っていたんです。

　そんな子ども時代。

　少し離れた父方の祖父母の家に行くと、豪勢なものを食べさせてもらえたんです。

　お祝い事などがあると呼ばれて行って、お泊りをして帰って来たり。

　離れていると言っても歩いて行ける距離なので、いくつか歳上の従兄（いとこ）が迎えに来てくれていました。

　当時は、お祝い事とも知らずに楽しんでいましたね。

　雛祭りには彩りも華やかなちらし寿司を作ってもらったのを、とてもよく覚えています。

　その年の雛祭りの日も、晩御飯のちらし寿司を楽しみにしていたんです。

　昼間は、従兄と川原で遊んでいました。

　水底を覗き込んだり、川縁（かわべり）で咲き始めたばかりの春の花を探したり。

　夏場には泳げるような場所でしたが、３月の初めはまだ寒かったので。水には触らずに遊んでいました。

　水鳥はいないかと川上に目を向けると、何かピンク色の塊が流れてきました。

　なんだろうと目で追っていると、すぐ近くの岩の隙間に引っ掛かったんです。

　それは、ピンク色の着物を身に着けた人形でした。

　市松人形や雛人形のような、しっかりとした作りではありません。手足もなく、薄い板に布を着せたような。

　顔や髪は日本人形っぽいと思ったのですけど。私には見慣れないものでした。

　川を流れてきたわりに、汚れもなくキレイです。

　なんだか可愛いく見えてしまって、両手に抱いて持ち帰ったんです。

　祖父母に見せながら、人形が川を流れてきたと話すと、

「それは流し雛じゃないか」

　と、言われました。

「この辺りではやらないが、地域によっては女の子の厄を移した人形を川に流す風習がある」

　と、教えられました。

　当時は『厄を移す』という意味もよくわからず、そういう種類のお雛様もあるんだなぁと軽い気持ちでいました。

　祖父母には、川へ流して来るように言われたのですけど。

　人形を私が気に入ってしまっていたので、従兄が、

「あの川の上流には、誰も住んでないじゃないか」

　と、言ってくれたんです。

　祖父母も、それもそうだなぁ、と首を捻っていました。

　後から聞いた話では、両親が忙しすぎて子どもに玩具を買ってやる時間も無いと思われていたようです。

　その時は、

「気に入った人形を見付けたら買ってあげるから、今は川から流れて来た人形を大事にしよう」

　という話になりました。

　でも、やっぱりそれは流し雛だったんですよね。

　人形を持ち帰った日から、祖父母の家で妙な事が続くようになったんです。

　瓦屋根の古い家屋に、祖父母と従兄家族が住んでいました。

　私が泊まりに行ったときも、生活音はそこかしこから聞こえていたのですけど。それとは違った異音が増えた事が、一番気になりました。

　地下室など無いのに、１階にいて床下から足音が聞こえたり。何も見えないのに、部屋の中をパッパッパッという音が宙を通り抜けていくのが聞こえたり。

　音の他にも、棚に飾られていた写真立てが全て俯せに倒れていたり。

　床の間に立て掛けられていた和琴が、バーンと倒れてきた時は驚きましたね。

　私が異音などを経験したのは、お泊りをした雛祭りの夜だけでしたけど。

　その時は、人形が原因なんて想像もしませんでした。

　祖父母も、小さい孫に怖い話はしないでいてくれたんです。

　翌日の朝には母が迎えに来て、私は人形を祖父母の家へ置いたまま、自分の家に帰ってしまいました。

　数日が経ってから、従兄が困惑の表情で私を迎えに来ました。

　やっぱりあの人形は変だから川へ返しに行こう、と言って。

　誰かに害があったという事ではないのですが、その数日間、異音や妙な出来事が続いていたそうです。祖父も、

「流し雛を拾って来てからだ。これはさすがに変だ」

　と、話していました。

　私は祖父と従兄と一緒に、人形を川へ流しに行きました。

　すっかり乾いていたお雛様は、拾った時よりとても軽く感じたのを覚えています。

　引っかかっていた岩の近くから川に浮かべると、人形は流れに乗ってすぐに見えなくなりました。

　その後、妙な音や物が倒れる事も無くなったそうです。

　大きくなって、呪い人形やラップ音なんて言葉も知りましたけど。

　あの時、それ以上の不幸はありませんでした。

　災厄や穢れを吸い込んでいる雛人形が『流さなくちゃダメだよ』って、教えてくれていたのではないか、と思っているんです。

　もっと大きな災いを招く前に、知らせてくれたのではないかと。

　川の上流に民家が無いのは事実でした。

　あの流し雛は誰が流したものだったのか。本当に流し雛だったのか。

　それは今でも、わからないままです。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　了