三月三日【KAC2025】
葉月りり
雛祭り
父の命日は三月三日、雛祭りの日だ。父が亡くなってからお雛様はしまったまま、ずっと飾っていない。
私と妹が結婚して家を出てからも母は三月三日には、お雛様を飾ってちらし寿司を作って、私たちをよんでくれていた。でも七年前からは、この日は女の子の節句ではなく父の命日になってしまった。私と妹は父にお線香をあげるために毎年三月三日に実家に集まる。そして、母と三人でお茶を飲みながら父の思い出を語り合ったりしていた。
と、いってもほとんど父への恨み言や悪口なのだが。
「本当に飲兵衛だったよね。」
「親戚からもらった私たちのお年玉まで飲み代にしちゃうし。」
「酔っ払うと気が大きくなって、みんなに奢っちゃって明日のご飯にも困ったことがあるってお母さん言ってたよね。」
「すっごい酔っ払ってタクシーの運転手さんに抱えられて帰ってきたことも一度や二度じゃないよね。三人で着替えさせて布団に運んだの大変だった。」
「間違えて隣の家のドアをドンドン叩いて、開けろーって騒いだこともあったね。」
悪口がどんどんエスカレートしてきて、
「ほどほどにしときましょ。お父さんは言い返すことができないんだから。」
と、母に止められた。
母がキッチンからお茶菓子を運んできてくれた。とっておきの皿に乗せられたそのお菓子は桜餅をアレンジしたもので、お雛様の形をしていた。
「角の和菓子屋さんの新作なんだって。可愛いから買っちゃったの。お父さん亡くなって七年も経つんだから、もう雛祭りでいいじゃない。本当はお雛様も出したかったんだけどね、天袋から出すのが大変になっちゃって。」
「お母さん、お雛様好きだったもんね。私たちのお雛様だけど、飾るとお母さんが一番喜んでた。」
「お母さん、お雛様持ってなかったから。うちにお雛様があるのすごく嬉しかったのよ。」
「ねぇ、今からでも飾ろうか。お雛様。七年しまいっぱなしで無事かどうかわからないけど。」
「防虫剤だけは箱の蓋をちょっと持ち上げて入れてたんだけど、どうかしらね。」
母ももう七十近い。天袋から物を下ろすのは大変だろう。もっと早くに私たちでやってあげなくてはいけなかったかもしれない。
七年ぶりのお雛様はあちこち痛んでいた。お雛様たちの持ち物を固定していたノリが剥がれていたり、道具の塗りにヒビが入っていたり。
「しまいっぱなしのせいだけじゃないよ。このお雛様ももう四十オーバーだもん。」
「そうね。お姉ちゃんの初節句の時、お父さんが十五人揃ったのがいいって、酒代削って貯金して買ったのよね。」
「えー、お父さんがお酒を我慢することなんてあったんだ。信じらんないー。」
私たちは次々と人形を包んでいた薄紙を広げていった。
「あ!」
妹が声を上げた。
「見て、この子、口が無い!」
三人官女の一人の口が剥がれ落ちてなくなっていた。
「乾燥で割れちゃったのかな。どうしようこれ。」
「あ、口、ここにあるよ。」
薄紙のなかから唇の形の赤い塗料のかけらが出てきた。少し端が欠けている。
「修理に出すほど新しいものじゃ無いし、ボンドでくっつけちゃおうか。」
「うちには木工用とアロンアルファしかないわよ。木工用じゃもったりしちゃうかしらね。」
母が瞬間接着剤を持ってきた。妹は接着剤をほんの少し三人官女の欠けたところに乗せる。そして薄い小さな唇をそっとピンセットで挟み人形の顔に乗せ微調整を…
「あー! 固まったー!
きゃー! 曲がっちゃったー!」
片側の口角を上げたニヒルな女官になってしまった。
「もう剥がせないよね。あー、口の曲がったお雛様なんて、かわいそうなことしちゃったー。」
三人で悲しいような可笑しいような気分でお雛様を見ていて私は、はっと気がついた。
「あれ? もしかしてこれって、散々お父さんの悪口言った罰じゃないの?」
「人の悪口を言うと口が曲がるって?」
「死人に口無しとか?」
私と妹は顔を見合わせて、笑いながらも急いで立ち上がって仏壇へ向かい、線香をあげて手を合わせた。
おしまい
三月三日【KAC2025】 葉月りり @tennenkobo
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