第1話

途中で休憩を挟んだけれど、慣れないレンタカーを三時間も運転していたら、さすがに疲れてきた。肩が張ってお尻が痛い。

 十月中旬の金曜日の午後九時過ぎ、両側に刈り入れ前の田んぼが広がる田舎の一本道には、街灯がほとんどなかった。都会では経験したことのない濃く深い闇が、心細くてたまらない。細く長く延びるヘッドライトの明かりだけが頼りだ。

 柚香ゆずかは目を凝らしてハンドルを握っていた。けれど、この辺りではスーパーマーケットは七時に閉まるし、コンビニさえ徒歩圏内にはない。こんな時間に出歩いている人なんて、きっといないだろう。


(もう少しでおじいちゃんとおばあちゃんの家に着くはず)


 そうしてほんの一瞬、気を抜いてしまった。それがいけなかった。ヘッドライトの光の中に、突如なにか白っぽいものの姿が浮かび上がったのだ!


「えっ、嘘!」


 柚香は思いっきりブレーキを踏み込んだが、その姿は見る見る眼前に迫る。

 このままじゃ轢いてしまうっ!


「ダメーッ!」


 柚香はとっさにハンドルを左に切った。車は田んぼへと続く斜面を滑り落ちていく。ガタゴトと激しい揺れが続いた直後、タイヤが田んぼの用水路にはまり込んだのか、車はさらに大きく傾いた。


「きゃあああっ」


 エアバッグが勢いよく噴き出して視界が真っ白になる。ドンと大きな音がして、頭をヘッドレストにしたたか打ちつけた。


「ううっ……」


 柚香はクラクラする頭を必死に動かす。

 道の真ん中にいたのは……大きくて真っ白な犬だった。無事だろうか? 怪我を負わせなかっただろうか?

 柚香は顔の前のエアバッグを両手で押さえながら、状況を把握しようとする。車は助手席を下にして横転し、車は九十度傾いていた。シートベルトで座席に縛りつけられていて、身動きが取れない。どうにかドアハンドルに右手を伸ばしたが、開けようにも手に力が入らない。


(どうしよう……)


 助けを呼びたいが、スマートフォンは後部座席に置いたバッグの中だ。

 絶望の中、次第に目がかすむ。意識がぼんやりしてきたそのとき――。


 ワンワンワンワンッ!


 激しく吠える犬の鳴き声が聞こえてきた。顔を右側に向けると、サイドウィンドウの向こうに白い犬の顔が見えた。大きな犬だ。狼を思わせる凛々しくシャープな顔立ちで、心配そうに柚香を見つめている。

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