深夜0時のライブ配信
わんし
深夜0時のライブ配信
「みんな、準備はいい?」
スマホの前で微笑むアヤの表情には、不安と期待が入り混じっていた。
登録者数わずか1000人ほどの彼女のチャンネル『アヤのホラーチャンネル』は、ここ最近伸び悩んでいた。
特に、同じホラー系配信者の中には、一晩で何万人ものフォロワーを獲得する者もいる。その中で埋もれ続ける自分に焦りを感じたアヤは、思い切って視聴者のリクエストに応えることにした。
『心霊スポットで24時間生配信』
都内の外れにある、廃病院——通称『K病院』。
かつては精神科病棟を備えていたが、十数年前に閉鎖されたまま放置されている。
ネットでは
「夜中に行くと誰もいないのに足音がする」
「白衣を着た女性が廊下を歩いている」
といった噂が絶えない。配信者にとっては絶好のネタであり、実際に多くのYouTuberが肝試し動画を投稿していた。
「怖いけど、これでバズれたらいいな……」
アヤは深く息を吐き、スマホのカメラを固定すると、配信を開始した。
『【生配信】真夜中の廃病院で24時間過ごしてみた【心霊スポット】』
コメント欄にはすぐに視聴者が集まり、
——チャット——
「がんばれ!」
「怖すぎwww」
「幽霊に会えたらスパチャする!」
といった言葉が並ぶ。
——問題は、これがただの肝試しで終わるかどうか、だった。
廃病院の入り口はすでに壊れており、鍵もない。錆びた鉄扉を押し開けると、ひんやりとした空気が流れ込み、湿ったカビの匂いが鼻をついた。
「……うわ、雰囲気やばいな」
懐中電灯を照らしながら、アヤは慎重に院内へと足を踏み入れた。床には落ち葉や割れたガラスが散らばっており、壁にはかすれたカルテの紙が張り付いている。
配信画面のコメントは相変わらず盛り上がっていた。
——チャット——
「結構ガチじゃん」
「なんか奥の方暗すぎない?」
「一人で行くとかヤバいwww」
それでも、特に異変はなかった。ただの廃墟。噂ほどの怖さは感じない。
しかし、深夜0時を迎えた瞬間、空気が一変した。
「……え?」
コメント欄が異様な速度で流れ始める。
——チャット——
「画面の隅、見て!」
「今、何かいたよね?」
「アヤちゃん、後ろ!!!」
アヤは慌てて振り返る。
しかし、そこには何もいない。ただ暗闇が広がるだけだった。
「……気のせいかな」
そう呟きつつも、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
次の瞬間、イヤフォン越しに微かに何かが聞こえた。
——ざざ……ざざざ……
ノイズのような音が、スマホのスピーカーから漏れ出していた。
「みんな、今の聞こえた?」
しかし、コメント欄の流れは止まらない。
——チャット——
「画面の右下、マジでなんかいる」
「さっきよりはっきり見える」
「アヤちゃん、やばいよ」
アヤの指が震え始める。スマホの画面を見返すと、確かに何かが映っていた。
画面の隅に、ぼんやりとした影。
アヤはそれを、気のせいだと笑い飛ばしたかった。
しかし、その影は時間が経つごとに、確実に形を成していった。
アヤはスマホのカメラをじっと見つめた。
最初は影のようなものだったが、次第に輪郭がはっきりし始めていた。白っぽい何か——まるで長い髪の女のように見える。
「……気のせい、だよね?」
震える声で呟いたが、視聴者のコメントは彼女の不安を煽るように流れ続ける。
——チャット——
「もうはっきり見えるぞ」
「ヤバいって、逃げろ!!!」
「え、今笑った?」
アヤの心臓が跳ね上がった。
「笑った……?」
確かめるようにスマホを握り直し、カメラを向ける。光の加減かと思ったが、画面の中の「それ」は確かに少しずつ顔を見せ始めていた。
白い顔、ぼやけた輪郭、そして……微かに歪む口元。
それは、まるで笑っているかのように見えた。
アヤは恐怖を振り払うように、首を振った。
「や、やめてよ……こういうの、ただの錯覚だから……」
カメラを別の方向へ向け、必死に気を紛らわせる。視聴者のコメントを見れば安心できるかもしれない。
——そう思ったのに。
——チャット——
「後ろ!!」
「もうすぐそこにいる!!!」
「アヤちゃん、本当に逃げて!!!」
文字が埋め尽くしていく。
その瞬間、アヤの耳に異音が届いた。
——コツ……コツ……
明らかに、人の足音だった。
この廃病院にはアヤしかいないはず。
なのに、確実に誰かが歩いてくる音がする。
「だ、誰かいるんですか?」
震えながら問いかけるが、返事はない。
それどころか、足音は徐々に近づいてくる。
画面の向こうの視聴者は騒然としていた。
——チャット——
「音、聞こえた……?」
「もうマジで無理、これヤバいって」
「アヤちゃん、逃げて!!」
アヤは息を呑んだ。これは、もう配信どころではない。
「終わる、終わるね……! ちょっと待って……」
配信を切ろうとスマホを操作する。
しかし、画面がピクリとも動かない。フリーズしたのか?
パニックに陥ったアヤの指先が震えながら画面を何度もタップするが、全く反応しない。まるで、誰かに操作を邪魔されているかのように——。
——コツ……コツ……
足音がさらに近づく。
いや、もう「近づいている」ではない。
——すぐそこに、いる。
アヤの呼吸が浅くなる。恐る恐る振り返ろうとした、その瞬間——
スマホのライトが、一瞬だけ暗くなった。
画面の明かりが揺らめく。その影の中で、何かが動いた気がした。
アヤの心臓が高鳴る。喉がカラカラに乾く。逃げなくては——でも、どこに?
「……っ!」
次の瞬間、耳元で、囁くような声が聞こえた。
「見えてる?」
アヤの全身が凍りついた。
その直後——視聴者のコメントが、一斉に「もう逃げろ!!!」で埋め尽くされた。
しかし、どこへ?どこに逃げればいい?
そして、恐怖に駆られたアヤが、一歩踏み出した瞬間——
配信画面が、ノイズとともに一瞬、途切れた。
アヤは叫びそうになるのを必死にこらえ、スマホを握りしめたまま走り出した。
「出口……出口は……!」
配信画面に映る自分の顔は青ざめ、瞳は恐怖に揺れている。視聴者のコメントはもう読めない。
画面を見ている余裕がない。
——コツ、コツ、コツ。
足音が追いかけてくる。一定のリズムで、静かに、しかし確実にアヤの背後に迫っていた。
長い廊下を走り抜け、角を曲がる。
しかし——
「……え?」
目の前に広がるのは、さっき通った場所と全く同じ風景だった。
——白いタイルの床。ひび割れた壁。錆びついたロッカー。
たしかに走ったはずなのに、振り向くとスタート地点に戻っていた。
「そんな、どうして……!?」
息が荒くなる。
心臓が壊れそうなほど脈打つ。
スマホを確認しようと画面を覗き込んだ——そして、異変に気づいた。
視聴者数:0人
「え……?」
さっきまで数百人が見ていたはずの配信に、もう誰もいない。
コメントも完全に消えていた。
「そんな、嘘でしょ……? さっきまでみんないたのに……」
ありえない。
もしかして、電波が悪くなった? それとも、みんなが一斉に退出した? だが、そんなことはありえない。いくら怖くても、一瞬でゼロになるなんて。
「……おかしい。何かが、おかしい……!」
ガタガタと震える指で配信を終了しようとする。
しかし、またしてもスマホが動かない。電源ボタンを押しても反応がない。まるで、何かに支配されているように——。
「どうして……!」
アヤは叫びながら、もう一度走り出した。
——コツ、コツ、コツ。
背後からの足音が、確実に近づいてくる。
「いや、もう……いや……!」
力いっぱい扉を押し開けようとする。しかし、ビクともしない。まるで何かに封じられたかのように、どの扉も開かない。
——ガクンッ。
突然、スマホが強制的にカメラモードになった。
「……え?」
画面が真っ暗になり、やがてノイズが走る。そして、ゆっくりと映像が映し出された。
それは、アヤ自身だった。
だが——
「なに、これ……」
画面の中のアヤは、血まみれだった。
頬から首にかけて黒ずんだ血が垂れ、服は赤黒く染まっている。足元も、壁も、すべて血の跡がついている。
「……嘘でしょ……?」
画面の中のアヤが、不気味に微笑んだ。
そして——
スマホから、さっきの囁き声が響いた。
「どうして終わらせるの?」
次の瞬間、アヤの視界が暗転した。
翌朝、アヤのチャンネルは完全に消えていた。
配信アーカイブも残っていなければ、アカウント自体が存在しない。まるで最初からそんな配信者はいなかったかのように——。
彼女を知る友人や配信仲間が連絡を試みたが、電話もメッセージも返ってこない。アパートを訪ねても、彼女の姿はなかった。
アヤは、跡形もなく消えてしまった。
事件から数日後——ネット上では、ある噂が急速に広まり始める。
「深夜0時に検索すると、アヤの最後の映像が流れる」
はじめはデマだと思われていたが、ある日、匿名掲示板に一つのスレッドが立てられた。
「これ見たやついる? ヤバすぎる……」
スレ主によれば、深夜0時ちょうどに「アヤ 廃病院」と検索したところ、削除されたはずの配信が表示されたという。
画面には、あの夜のアヤが映っていた。
——暗闇の中で震える彼女の姿。
——視聴者のコメントが次々と流れる異常な映像。
——そして、最後に映った血まみれのアヤの笑顔。
スレ主は途中で動画を閉じたが、翌朝になって異変に気づいた。
「俺のスマホのカメラ、勝手に起動するんだけど……」
「しかも、カメラに映ってる俺の後ろに……変な影が……」
それ以来、スレ主はネットから姿を消した。
しかし、その噂は消えるどころか、ますます広がっていく。
「実際に映像を見た者の一部が、謎の失踪を遂げている」
「アヤの声が聞こえた、という報告が増えている」
やがて、「アヤの呪い」と呼ばれるようになり、多くの検証動画が投稿された。
しかし、最後まで視聴した者は、例外なく行方不明になっていた。
深夜0時の配信は、決して終わっていなかったのだ。
深夜0時のライブ配信 わんし @wansi
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