第40話

それは、レインリットが必死に守ってきたものと相反する想いだった。それに気づいたエドガーは、小刻みに震えるレインリットの身体に両腕を回した。


「言ってくれ、大丈夫だから、何度でも聞きたい」


「愛しています、エドガー様、いつからなんてわかりません、でも、私、その銀色の瞳も髪も、温かい手も、低い声も」


 レインリットは、貴族としての義務と責任を重んじていた。それは美徳であったが、同時に枷となるものだ。エドガーが一方的に押し付けてきた好意が、どれだけその心を苦しめてきたのだろう。


「すまない、レイン。でも好きだ、愛してるんだ」


「私も、愛しています……ですが」


「今さら拒否なんてしないでくれ! 約束する、君と結婚できるように、必ず迎えに来る」


 エドガーは言葉を切ると、その唇を塞ぐようにキスをした。温もりを分け合うように、甘やかな唇を食む。レインリットの甘い吐息がエドガーの情熱を煽り、いつまでも貪っていたいくらいに酔いしれる。


「待っていてくれ。絶対に君を迎えに来るよ、約束だ」


 瞼に、頬に、鼻にキスの雨を降らせ、エドガーはレインリットの頬を両手で包む。柔らかで滑らかな頬は、ふんわりとして熱を持っていた。


「はい……いいえ、エドガー様」


「レインリット?」


「エドガー様、待てません。貴方が約束を守ってくださることは、頭では理解しているのです……ですが私は、確たる証が欲しいのです」


 今度はレインリットがエドガーの頬に手を伸ばし、それから同じように、顔中にキスを落としていく。そして、とうとう唇に触れる瞬間、


「エドガー様、私の心を、貴方に捧げます」


 レインリットが、ソランスターの地に古くからある愛の言葉をエドガーに贈り、そしてゆっくりと唇にキスをしてきた。


 エドガーの唇の温もりを感じた時、レインリットは身体の奥底から湧き出てくる何かに気づいた。触れるだけのキスは、やがてエドガーが主導権を握り始める。


「エドガー、さま」


「レイン、私のレイン、私を受け入れてくれるのか?」


 戯れるように触れる唇が、じんわりと熱を伝えてくる。エドガーは返事を待っているのか、背中に回した手を上下にそろりと動かした。レインリットはキスに必死で応える。


「エドガー様」


「レイン」


「私のすべてで、エドガー様を、感じたいのです」


 そう言い終えたレインリットは、エドガーの頬に手を当てようとしてハッとした。指先に淡い光が灯っている。こんな時にと身を硬くしたレインリットだったが、エドガーはその指先を優しく握ってきた。


「隠すことはないよ。怖がらないで、レイン。君のこの力のお陰で、私は二度も命を救われたんだ」


 レインリットの唇を塞いでいたエドガーは、今度は指先にまでキスを落とし始める。軽く触れたり、ちろりと舐められたり、レインリットは指先から伝わってくる刺激に顔が熱くなってしまった。


「君は『ソランスターの妖精』と呼ばれているそうだね」


「は、はい……私には生まれた時から不思議な力がありました。シャナス公国では、時々こうした不思議な力を持つ者が生まれるのです」


 そうした者たちの中でも、レインリットの力は強いものだった。動物と意思の疎通ができるのはまだいい、しかし、レインリットはその手から放たれる光に人を傷つける力を持たせることができるのだ。エドガーもその力を見ており、どう思われるのか怖かった。


「君と私を守ってくれた力に感謝するよ。私の妖精、レインリット。君の正しくあろうとする清らかな心が起こしてくれた奇跡を、私は決して忘れない」


「気持ち悪く……ないのですか?」


「何故? この力も君を作り上げた一部だ。愛しいと思いこそすれ、いとうことなどありはしない」


 エドガーの熱い銀色の瞳がレインリットを捉え、そこに色が込められる。嫌悪など微塵も感じられないことに安堵したレインリットは、普通とは違う自分を受け入れてくれたエドガーにすがりつく。もう、隠していることは何もなかった。


「エドガー様、愛しています。愛しています……私、こんなにも、貴方を愛しているのです」


「私もだよ。全てを賭けてでも君がほしかった。レイン。今夜、君の部屋を訪ねる許可を」


「今夜……はい、はいっ!」


 何度も頷くレインリットに、エドガーは再びキスをする。今度のキスはゆっくりと。


「レイン、君に花を咲かせていいかい?」


「あ……エドガー様」


「私に任せてくれ」


「エファに、知られたら」


「大丈夫。聡い君の侍女は、すべてわかっているさ」


 そう言うと、エドガーは少しだけずらしたドレスの胸元に熱い唇を付ける。


「その、以前エドガー様からいただいた花は、消えてしまって」


「消えた分も、たくさん咲かせてあげるよ」


「んっ!」


 チクンとする小さな痛みが胸元に走る。自分の胸元は中々見えないが、レインリットは今まさに愛の花がたくさん咲き誇っていくのを感じていた。


「また、今夜。今は君が落ち着くまで、ずっと抱き締めていたい」


 一人がけのソファから抱き上げられたレインリットは、そのまま三人がけのソファに連れて行かれる。そして、抱き込むようにして座ったエドガーに包まれ、顔を寄せては軽いキスを交わす。

 エファたちが帰ってくるまでずっと睦み合っていた二人は、夜が来るのを待ち遠しく思い、夜になるまでそれぞれ悩ましげな溜め息をついていた。




 ◇




「お嬢様、おやすみなさいませ」


「おやすみなさい、エファ」


 エファが静かに部屋から出て行くと、レインリットは長い息を吐いた。日が暮れるまで、ずっとドキドキしていたのだ。ついに夜が来てしまい、レインリットは一度は寝台に入るも、すぐに降りて部屋の中を意味もなく歩き回った。


 ――エドガー様は、また窓からいらっしゃるのかしら。


 エーレグランツでは、エドガーはバルコニーを伝って来てくれた。しかしこの海軍の施設にはバルコニーはない。レインリットは窓の鍵を開けて、外を覗き込む。隣の窓にも足をかけるような場所はなく、上を向いても窓から入ってくるのは難しそうだった。


「夜風が、気持ちいい」


 ふわりと揺れるとばりと共に、レインリットの背中に流した髪も揺れる。ソランスターではお馴染みのルティスという甘い香草の匂いが漂うと、レインリットは少し濃すぎたかしら、と気になってきた。

 少しでも綺麗にしておきたくて、今日の夜着や下着は真新しいものだ。髪も艶が出るまで梳いてもらい、普段はしたことがない寝化粧までしてみた。エファはいつもとは違うことをするレインリットに、何も言わずに従ってくれた。エドガーの言う通り、きっとすべてを承知しているのかもしれない。


 鏡台の前に座り明かりを灯す。それから、寝台の枕元や、部屋の四隅にも明かりを灯していく。明るすぎては恥ずかしいと、その内の幾つかを消してまた寝台に戻ってきた、と――


「レイン」


小さなノックの音と共に、エドガーの囁き声が聞こえた。窓の方ではなく扉の方だ。レインリットは慌てて扉を開けると、黒っぽい服を着たエドガーが部屋の中に滑り込んできた。


「こ、こんばんは」


「こんばんは、レインリット……君を貰いに来たよ」


「エドガー様、お待ちしておりました」


 ぎこちなく挨拶をしたレインリットを、エドガーが流れるような動作で抱き寄せる。自分とは違う、爽やかで安心できる匂いに、レインリットはうっとりとした。


「私が窓から来ると思ったのかな?」


「まさか、とは思いましたが、一応……」


「もう、誰にも隠すつもりはないからね。君の隣に立つのは私だ」


 エドガーがレインリットの左手を持ち上げると、指の一本一本にキスを落としていく。


「レインリット・メアリエール・オフラハーティ、私の花嫁。今宵、私の愛を受け入れてくれ」


「はい、エドガー・レナルド・フォーサイス様。私のすべては、貴方のものです」


 小指までキスを終えたエドガーが、レインリットをゆっくりと横抱きにする。そして鼻先にキスをすると、足早に寝台へと運んだ。


「怖くはないかい?」


「大丈夫です。少しですが、勉強をしました」


 夜の営みについて、少しだけわかったつもりだ。寝台に横たえられたレインリットは、エドガーを迎え入れるために両手を伸ばす。


「いい子だ。そのまま首に手を回して……そうだよ、それでいい」


 エドガーの手が、レインリットの夜着の結び目を器用に解いていく。シュルシュルと衣ずれの音がして、身体の前がすべて露わになったレインリットは心細くなった。綺麗だと思ってくれるだろうか。


「花が咲いている……ああ、綺麗だ」


 エドガーが胸元に咲いた愛の花に指を滑らせてくると、レインリットは身体を震わせた。


「キスをしてもいいかい?」


「は、はい」


「そんなに緊張しないでくれ。大丈夫だよ」


 ぼんやりとした明かりに照らされたレインリットの唇に、エドガーがそっと唇を合わせる。じわじわとレインリットの胸に広がっていくのは、どうしようもないくらいの多幸感だ。愛しくて切なくて、どうしようもない想いを乗せて、レインリットはキスに応えた。そして、嵐のようなキスの合間に、エドガーから謝罪と嘆願の言葉が紡がれる。


「すまない、レイン……君をもっと愛させてくれ」


「はい、エドガー様、私ももっと貴方に包まれていたいのです」


「愛しているよ、私の妖精」


 レインリットの「愛しています」という言葉を、キスによって閉じ込めたエドガーが、飽きることなく貪り尽くす。


 夜は更けていき、さらに夜明けの鳥が鳴いて知らせるまで、二人はずっと愛を捧げ合っていた。

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