第27話

「裏口から出た方が早いですよ」


「ありがとうございます、教導師様」


 礼拝堂に降りてきたレインリットは、なんの疑いもなく教導師に続いて裏口から外に出た。従僕たちが建物の裏側に馬車を移動させていたらしい。 慌てていたレインリットは、馬車の中で困っているであろうエファを呼んだ。


「エファ、大丈夫?」


 しかし、覗き込んだ馬車の中にエファの姿はない。それどころか、内装が微妙に違っている。馬車を間違えてしまったのかと思ったレインリットの背中に、ドンという衝撃が走った。いきなりのことで声を詰まらせ、痛みにむせ返る。そして床に倒れたレインリットは、そのままの状態で誰かに脚を掴まれ、馬車の中に押し込まれた。


「痛い!」


「大人しく言うことを聞いていた方が身のためですよ」


「今すぐ離して!」


「それはできかねますね。レインリット・メアリエール・オフラハーティ。お久しぶりです」


「何故、教導師様」


 レインリットの後ろから馬車に乗り込んできたディーケン教導師は、人のよさそうな顔を引っ込め、愉快そうに笑う。エドガーの心配が的中してしまったことを悟ったレインリットは、信じられない思いで教導師を見た。


「叔父に、何か言われたのですか?」


 震える声で質問をしたレインリットだったが、教導師は答える気はないようだ。それどころか、まるで観察するかのようにレインリットをジロジロと見てくる。やはり、先ほど顔を見られた時に正体を悟られてしまったようだ。レインリットは自分のおかした小さな失敗に歯噛みした。


「結婚式から逃げ出したと思ったら、別の男を連れてきたわけですか」


「ち、違います」


「貴女のその瞳、私はよく覚えておりますよ。何せ、ここフィゲンズは退屈な場所ですからね」


 扉が閉まり、馬車が揺れ始める。大声をあげようと口を開いたレインリットに、教導師は拳銃を突きつけてきた。聖職者の服に、ゴツゴツとした鉄の武器は似合わない。


「おっと、騒ぐと穴が空きますよ」


「せ、聖職者ともあろう人が、なんというものを」


 回転式の拳銃のようだ。海軍の軍人たちが持っているところを見たことがある。父親も拳銃を書斎に置いていたが、レインリットは一切扱わせてもらったことはなかった。


 レインリットは起き上がると、教導師から精一杯距離を開ける。エファに何かあったと思わせてレインリットを一人誘き寄せたようだ。まんまと罠に引っかかってしまった、と悔しい気持ちでいっぱいになる。昨日、あれほど考えてから行動しなければと反省したばかりなのに、まったく活かされていなかった。


 ――エドガー様、ごめんなさい。


 レインリットが攫われてしまったことを知ったら、あの優しい人は己を責めることだろう。そして残されたエファは、どんなに心配することか。馬車はどこかに急いでいるようで、多分そこは今のレインリットにとって一番行きたくない場所に違いなかった。


「私をどうするおつもりですか」


「知りたいですか? 貴女のご想像通りの場所にお連れして差し上げますよ」


「わ、私が、今までのように黙っていると思うのですか? ソランスター伯の称号も、この土地も、これ以上好きにはさせません!」


 この旅の中で、レインリットの心は格段に強くなった。どんなに脅されたとしても、エドガーたちがいると思うと強くなれる。


「私は強気な女性は好きですよ。しかし、あの方はどうでしょうね」


「ディーケン教導師様、どうかこのようなことをおやめください」


「本物の聖職者であればこんなことはしなかったでしょうね。あんな片田舎の教導師など、私はこんなところで燻っているわけにはいかないんだ」


「教導師様?」


 慣れた手つきで拳銃を扱う教導師は、小窓の外へと視線を外すと、レインリットの質問には答えなくなった。


 途中の町で馬を変える時も隙はなく、レインリットは狭い馬車の中でなんとかしてエドガーに知らせようと考えたが、何の手立ても思いつかない。そうこうしているうちに、ついにソランスターの屋敷へと繋がる街道に差し掛かってしまった。


「お出迎えが来ましたよ。貴女に逃げられたことがよほどこたえたのでしょうね」


 レインリットの乗っている馬車が止まり、ガチャガチャという金属の擦れ合う音が聞こえてくる。お伺いの言葉もなく開いた扉の外には、公国海軍の制服を着た男たちが並んでいた。見知った顔を探したが、レインリットが会ったことのある父親の部下たちはいないようだ。


「レインリット・メアリエール・オフラハーティ様でいらっしゃいますね」


 将校らしき男が前に進み出てきて、レインリットの顔を確認する。もう隠し通せるわけもなく、レインリットはヴェールを外して真っ直ぐ前を見据えた。


「貴方たちは、誰に仕えているのですか?」


 ノックガル港に詰める公国海軍は、総督たるソランスター伯爵と共にある。この軍人たちが今誰の指揮のもと動いているのか、知らなければならなかった。


「当然、貴女もご存知の通り、ソランスターのでございますよ」


 そう淀みなく答えた将校は、レインリットの両脇に屈強な軍人を配置し、まるで罪人のように連れて行った。




 ◇




 ウィリアム・キーブルはソルダニア帝国のスタンリール男爵の三男として生を受けた。


 何かに秀でているわけではなかったが、勉強も運動もそれなりにこなせるような、器用な少年時代を送った。しかし三男では爵位を継げるはずもない。どこかの貴族の令嬢と結婚するか、軍人として生きていくか選択を迫られた時、ウィリアムは軍人を選んだ。理由はこれといってなかったが、敢えて言うならば自分の能力如何で階級を上げ、のし上がることができる点がよいと思ったのだ。


 フィゲンズにいるディーケンから、ソランスターの小娘が見つかったという早馬が来た時、ウィリアムはようやく運が戻って来たと思った。ひと月前に逃げた時には、怒りのあまりしばらくは他に何も手がつかなかったが、今はそれも些細なことだ。


「まさか男連れでおめおめと戻って来たとはな」


 しかもその男と共に教会に保管している後見人名簿を探りに来たらしい。あの後見人名簿は、ウィリアムが精巧に作られた偽物の書類を、特殊な技法で貼り付けている。小娘ごときがどんなに探ろうとも何も出てきはしない。

 それよりも、今後のことを考えなければならない、とウィリアムはフォルファーン大公殿下の元に連れて行く算段をつけ始める。ウェルシュ子爵は若い女に目がなく、逃げたレインリットが手に入るのであればそれでいいと言っていた。跳ねっ返り娘の鼻っ柱を折ることを楽しみにしているような、酷く加虐的な男だ。連絡を入れれば喜んで大公殿下の元にやってくるだろう。

 問題は小娘の方だ。自分を蹴り飛ばして逃げたあの小娘が、素直に言うことを聞くとは思えず、ウィリアムはしばしの間、様々な方法を考える。


「そうだ、もし死んだはずの兄が生きている、と聞いたらどうなると思うか?」


 返事が返ってくるとは思ってもいないが、ウィリアムは背後に控える執事に聞いてみる。案の定、無言で首を横に振る執事を鼻で笑い、ウィリアムは立ち上がる。


 かつての部下でもあったファーガル・ノイシュ・オフラハーティは、生きていればソランスターの正当な後継者であった。しかし、戦死した。自分が見捨てたことにより。戦場に散ったのだ。


「失礼いたします、閣下。リーネイ大尉がお戻りです」


「来たか。下へ降りる」


 この屋敷にかつての使用人たちは誰もいない。小娘を知る者がおらず、誰一人として味方がいない中でどれだけ気丈に振る舞っていられるか、ウィリアムは楽しみで仕方がなかった。

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