第14話
レインリットが割り当てられた部屋で新聞に目を通していると、帰宅したエドガーからお茶に誘われた。結婚についての返事をしなければならないと気が重くなる。それでも支度を整えて階下に降りると、そこには機嫌の良さそうなエドガーがいた。
「ここ数日忙しくしていてすまないね」
「いいえ、エドガー様。私が退屈しないように美術書などをお貸しいただきありがとうございます」
「礼には及ばないよ。エファの方も随分回復したと聞いた」
「はい、お薬がよく効いたみたいです」
執事がお茶の準備をしていく間、レインリットはいつ打ち明けようと心がはやった。さほど広くない食卓に様々な種類のクリームやジャム、そしてお菓子の箱まで置かれていく。二人分にしては多すぎるそれに、自分の他に誰か客がやってくるのかと思ったが、カップやお皿は二人分しか用意されていない。思わずエドガーを見ると、何故かあちらもこちらを凝視していた。
執事が茶器に湯を注ぎ終えると、そのまま部屋を出ていく。人払いをしたとわかったレインリットは、大事な話があるのだと少し身構えた。二人だけになってしまい戸惑うレインリットに、エドガーがたくさんの菓子を示して促してくる。
「さあ、どうぞ。食べたいものからいくらでも選んでくれ」
「こんなにたくさん……どれを選べばいいのか迷ってしまいます」
「今日はしきたりなんか気にしないでくれ。ほら、これなんてどうだろう」
エドガーはお菓子箱を開けて中を見せる。そこにはふんわり焼き色のついた焼き菓子が詰まっていた。定番のものからシャナス公国にはないお菓子まで、全て味わってみたい。エドガーが勧めてきたジャムが挟んである焼き菓子も、もちろん美味しそうだ。
「あの……全部はとても味わえそうもないので、悩みます」
全部食べたいのは山々だがお腹いっぱいになりそうだ。正直に述べたレインリットに、エドガーが声を上げて笑った。とても楽しそうなので自然と笑顔になる。
「本当に、好きなだけどうぞ。こう言ってはなんだけど、この間、不躾なことをしてしまったお詫びも兼ねて、ね」
笑顔を引っ込めて真顔になったエドガーが、レインリットを真っ直ぐに見る。銀色の瞳は、どこか緊張しているようにも思えた。
「軽々しく、結婚などと提案して申し訳なかった。これでは君を苦しめている男と同じだと気づいたんだ。あの話は撤回させてくれ」
「謝罪なんて必要ありません! それにエドガー様があの男と同じなんて、そんなことは絶対にありません」
エドガーとクロナンが同じだなどと、レインリットは露ほども思ったことはない。あくまでも自分を守るためだと説明してくれたではないか。
「それよりも、自暴自棄になった私を諌めてくださいましたことに感謝したいくらいです」
「私は、君が思うような立派な男じゃないよ」
自重気味に呟いたエドガーは、顔を曇らせて視線を外した。その様子に、レインリットは今しかない、と思った。図々しいお願いかもしれないが、エドガーの方から謝罪し、結婚の話を撤回してくれた今なら肩肘を張らずに素直になれそうだ。
「エドガー様、お話があります。聞いて、いただけますか?」
レインリットの声が幾分硬くなる。それに気づいたエドガーも、ハッとしたような表情になった。
「恥を忍んで、エドガー様に知恵をお借りしたく思います」
「私でよければ……いや、そうじゃない。私はいつでも、君の力になりたいと思っている」
その言葉に勇気づけられたレインリットは、最大の秘密を話し出した。
「私の本当の名前は、レインリット・メアリエール・オフラハーティ。第十六代ソランスター伯オーウィンの娘にございます。跡継ぎがいない現在、私がソランスター伯の称号の権利を有しており、私の夫となる者に受け継いでいかねばなりません。レイウォルド伯エドガー様、どうか、ソランスターを守るために、知恵をお貸しください。どうか、ご助力くださいませ」
一気に言い終えたレインリットは、ふぅと息をつく。言ってしまった、と思う反面、胸のつかえが取れたような気分になる。もし断られたとしても、嘘を抱えていくよりずっといい。エドガーはというと、信じられないとでも言うように、身を乗り出して凝視していた。
「レインリット・メアリエール・オフラハーティ。君が、ソランスター伯の娘だって?」
「信じていただけるだけの何かを、今の私は持ち合わせておりません。だから、お知りになりたいことは全てお答えします」
「ソランスター伯は、シャナス公国の西の海軍をまとめる重要な役割を担っているはずだ。そのソランスター伯が亡くなられた……そんな」
「事実なのです。大公様に直訴しようにも、ずっと見張りがついていたので叶いませんでした」
結婚式の日にクロナンの気が緩んだことで、ようやく逃げ出すことができたのは奇跡だった。立地条件がよければ大公の住まう公都へ向かうことも考えたレインリットだったが、流石に山越えはできないとマクマーンを探してエーレグランツへとやってきた。結果的にエドガーに救われることになったのは不幸中の幸いだ。
「メアリ、いや、オフラハーティ伯爵令嬢」
「エドガー様、私のことはレインとお呼びください。家族もそう呼んでおりました」
「レイン……では、戦争で亡くした兄というのは、その、君の兄君が第十七代ソランスター伯の称号を継ぐはずだったのか?」
「はい、兄が生きておりましたら」
「どこの戦場で亡くなられたのか、聞いても?」
「ティルケット砦だったと聞かされました。その戦闘は激しく、亡骸すら戻って来れないほどであった、と」
エドガーが口に手を当て、早口で何かを呟く。銀色の瞳に浮かぶのは涙だろうか。エドガーのあまりの動揺ぶりに、レインリットも動揺する。
――そういえばエドガー様も、戦争でご友人を亡くされたとおっしゃられていた。
そのことを無理矢理思い出させてしまったのかもしれない。何を言っていいのかわからず、レインリットはおろおろとするばかりだ。ぐっと目頭を押さえ、エドガーが立ち上がる。そしてレインリットの横まで回ってくると、手を差し出してきた。
「レイン、君に見せたいものがある。私について来てくれ」
反射的に手を乗せたレインリットは、強い力で引っ張り上げられた。エドガーの様子は怒っている風ではない。しかし、手を引いて歩き始めたエドガーは、口をひき結んで何も話そうとしなかった。
大広間を抜け二階に上がると、連れてこられたのは書斎と思しき部屋だ。ソランスターの屋敷の書斎とよく似た作りの部屋は整然としていて、本棚には何やら難しい題名の本が並んでいる。
その一つ、
「これに見覚えはあるか?」
そこには、金と銀で作られた小さなチャームがあった。金色の小さな人の背中に銀色の羽根が生えた、妖精の形をしたそのチャームに、レインリットは確かに見覚えがあった。
「これは……エドガー様、どうしてこれを?」
震える手を伸ばし、レインリットはそっとチャームに触れる。指先ほどの小さな妖精の隣には、希望を表す文字が彫られた長方形のチャームがついている。
「このチャームは、お兄様が成人なされた時に私がお贈りしたものです。ティーナの工房で作った、世界に一つしかないミァンの妖精なんです」
「そうか、やはり君は……」
チャームを渡してくれたエドガーが、レインリットの手を引いて一人がけのソファに座らせる。彼はその側に立つと、大きく深呼吸をした。
「私も、戦争で友人を亡くしたと言ったね。私と彼は、ソルダニア帝国連合軍としてクリムゾール准将が指揮する重騎兵旅団にいたんだ。彼の名前はファーガル。ファーガル・ノイシュ・オフラハーティ」
レインリットの唇がわなわなと震え出し、それは止まりそうにもなかった。そんなことがあるなんて、と声に出したいのに、言葉が出てこない。レインリットはチャームに目を落とす。ファーガル。その名前は、兄のものだった。
「ようやく見つけたよ、彼の幸運の妖精。レインリット」
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