蜘蛛のカビ糞玉

白芯木 波音与

蜘蛛のカビ糞玉

 片田舎の豪邸に、一匹の蜘蛛がいた。梁の上下横を這い回り、獲物を探している。彼は梁から梁へ、ぴょいん。ぴょいん。と、跳ね渡っては、そこらかしこにくっ付いた埃の欠片やカビ胞子やらを突き、なんとか食えやしないものか。と、試行錯誤を繰り返していた。

 その日、蜘蛛はカビ胞子と鼠の糞を見つけたので、それらを混ぜ合わせてみてはどうか。と、考えた。

 考え始めると、なかなか愉快な思いつきだ。もしかしたら、鼠が食った物の中に虫の卵でも混ざっていて孵るかもしれない。あるいはカビからキノコが生えてくるかも。いやいや、カビの毒が、糞の毒と混ざり合った途端に芳しい香油になるかもしれないじゃないか。

 蜘蛛が思いつきをダニに話すと、ダニは呆れて爪を噛んだ。


「やれやれ、まったく懲りない奴だ。お前は以前にも似た様な思いつきで、住まいをゴミだらけにしたじゃないか。その前はなんだ。確か埃をエサにシラミを釣ろうとして、結局、一日を無駄にしただけだったじゃないか。そんな馬鹿な思いつきは忘れて、糸でも出したらどうだ」

「そうしたいのはやまやまさ。だけどねぇ、私は生まれつき体が小さくて、弱っちい。巣づくりを女郎蜘蛛嬢に教わってみたけれど……。センスが無いらしい。彼女、困った顔して『あんたにゃ無理だね』と、それっきりさ。行っても羽虫の脚を一本くれるばかりだ」


 事実、女郎蜘蛛は蜘蛛に乞われて様々な技を教えたが、身につくことは無かった。

 そもそも、蜘蛛は巣を作れるほどたくさんの糸を作れなかったのだ。

 蜘蛛の言い訳を聞き、ダニは言った。


「じゃあ、アシダカ蜘蛛のように身体を大きく強く鍛えれば良い」

「もちろん、それも試したさ。だけどねぇ、私の脚は短くて、太い。アシダカ蜘蛛郎に言わせれば、適性違いだそうだ。彼、諦めた顔して『お前じゃ無理だな』と、それっきり。行ってもササっと居なくなってしまう」


 事実、アシダカ蜘蛛は蜘蛛に様々な訓練を施したが、身になることは無かった。

 そもそも、身体の構造がアシダカ蜘蛛と蜘蛛とでは違っていたのだ。アシダカ蜘蛛の訓練は例えるなら、『イルカがサメに泳ぎを教えるようなもの』だった。

 ダニはしきりに爪を噛み、とうとう怒鳴った。


「まったくお前は屁理屈ばかり! 俺はお前のように、技を教えてくれる師さえいなかったっていうのに! なんて贅沢なやつだ、勝手にするがいい!」

「ああ! そうしよう」


 早速。蜘蛛はカビと糞を二本足で持てるだけ持ち帰り、作業に取り掛かった。彼は混ぜ合わせたカビ糞玉を棲家で一番目立つ所に飾ると、ちょうど人間が写真立てに貼った思い出を愛でる様に、大事に扱った。

 乾いてひび割れたりしない無いよう、紙屑に水を含ませ運んではカビ糞玉の表面を拭き。興味本意にカビ糞玉を持ち去ろうとする虫を説得し、追い払ったりしながら、カビ糞玉が膨らみ育っていく様を見守って過ごした。

 蜘蛛は毎日繰り返す。それは、カビ糞玉が二本の足で持てないほど大きくなっても変わらない。もはや、習慣の一つだ。


「まあるいまあるい、カビ糞や。お前は一体なんだろう? 単なるゴミか。はたまた金か。どっちにしたって構わない。お前は私の宝物。膨らむ膨らむ、カビ糞や。お前が一体なんになろう? 単なる毒か。はたまた夢か。どっちにしたって構わない。なにが育つかわからない。未知なお前は宝物……。いやはや、いつの間にやらこんなになった!」


 蜘蛛はいつものように歌い、自分の身体よりも大きく膨らんだカビ糞玉の表面を拭いた。拭きながら、浮かび上がった暗褐色や緑茶色、黄土、紫紺網、赤斑点、青唐草模様を楽しんでいると、唐突に、カビ糞玉が蠢いた。

 蜘蛛は驚き、ぴょぴょぴょいーん。と、後退りする。


「何事だい?!」


 丸くなった目を向ける蜘蛛に、カビ糞玉が答えた。


「もうじき わたしが うまれます」

「うまれる? それは一体、どういう意味? もしかして……虫の卵が混ざっていたってことかい?」


 蜘蛛は半歩、カビ糞玉に歩み寄った。

 カビ糞玉が、朗らかに笑う。


「いいえ わたしは むし ではありません」

「じゃあ、なにかキノコになるってことかい? 食べられる美味しいキノコに! やった、ついにやったぞ!」

「いいえ わたしは きのこ ではありません」


 蜘蛛は一歩、カビ糞玉に歩み寄る。


「はてな? 虫でもキノコでもないなら、お前から何が生まれるだろう……。そうか! とうとうお前は香油になったんだな! きっとそうだろう!」

「いいえ わたしは こうゆ ではありません」


 蜘蛛はまた一歩、カビ糞玉に歩み寄る。とうとう、前脚が触れた。


「それじゃあ一体、なにが生まれてくるのだろう……。なんであれ。でも、きっと素晴らしいものに違いない!」

「--いいえ わたしは すばらしいもの ではありません」


 蜘蛛はカビ糞玉を抱き寄せ、口付けた。


「なに。それは許せないぞ。お前自身が素晴らしいと思えないものになるなんて、私は絶対に許せないな」

「もうじき…… わたしが うまれます」


 カビ糞玉が激しく蠢き、爆散した。

 蜘蛛の身体が破裂した糞の破片に弾き飛ばされ、中空へと舞い上がる。

 途端、ありとあらゆる眩しい光が蜘蛛の視界を覆い尽くした。蜘蛛は歓喜で全身を震わせ、言葉にならない祝福を叫んだ。


 輝きで満ちた、良い景色‼︎


 顎を引き裂かれた蜘蛛の顔には、砂埃よりも小さいカビの粒子がいっぱいにくっついていた。



 彼方で乾いた炸裂音を聞いたダニは、音の方へ顔を向けた。そして、破裂したカビと糞の破片、全身をバラバラに引き裂かれて中空へと舞い上がっていく蜘蛛の様を、小さな目で見届けた。


「やっと死んだ! 奴め、やっと死んでくれたぞ!」

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