第8話

 ――テンリュウ市、商業区。オオシオ不動産。ビル前。


「わー! ここがわたし達の新しいお家を買うお店なの!?」

「えぇ。そうよシロ。五十嵐様に感謝しましょうね」

「今日はお前らの為にたんまりと金を持ってきた。目当てのエリアも慎重に考えて決めてきたんだ。きっと最高の家が手に入る。楽しみに待ってろよ? シロ」

「にゃあ! ありがとう五十嵐様! わたし、五十嵐様の事だいすき!」


 ――乗って来た車からゆっくり降りると、聞こえてきたのはどよめきだった。


 さりげなく周囲に目を配る。辺りにいるのは身形の整った奴ら。どいつもこいつも如何にも金を持ってそうな連中ばかり。――全部“テンリュウ市の市民”だろう。


「……彼が彼が連れ歩いているのは獣人か?」

「まさか“獣人趣味”? 趣味が悪いわね……」

「あんなのが私達と同じ市民だとは思いたくないな」


 向けられる眼差しは大部分が軽蔑と嘲笑。パオ。ネコミ。ホー。綺麗処の獣人を三人も侍らせた俺を蔑んでいるのだ。彼らからすれば獣人は差別の対象。ダンジョン発生当時より忌避感は薄れたとしても、獣人に対する偏見は未だ根強く残っている。


 彼らには俺が、趣味のよろしくない金持ちの一人に見えているはずだ。


 ……目論みは上手くいった。誰にもスラム街の孤児だと疑われてはいない。


「さ、中に入るぞ。ここで立ち話をしてても家は手に入らない。きちんと契約を交わさないとな。はしゃぎたい気持ちは理解できるが、それは家が手に入ってからだ」

「にゃあ! 分かった!」「はい。五十嵐様」「……ホー」


 付き人に徹するネコタ達を含む全員を引き連れ、俺はビルの中へ入った。


 ――オオシオ不動産を訪れる前に、こういう会話があった。



『……なあ。ボクらがスラム街の住人だってバレたらどうするんだにゃ? ボクらは本物の金持ちって訳じゃない。雰囲気とか仕草で、気付かれるかもしれないにゃ』

『安心しろ。だからこそお前らも連れて行くんだ。連中の注意を逸らす為にな』

『にゃ? ……ど、どういう事にゃ? ボクにはよく分からないにゃ……』

『金持ちには身綺麗な獣人を侍らせて楽しむ、“獣人趣味”と呼ばれる連中がいるらしいな。そいつらのフリをする。大勢の獣人を従えて歩く男がスラム街の住人とは誰も思わないだろ? 大丈夫、人は見た目に騙されるものだ。お前達は偽名も使うしな』



 ――場面は戻る。オオシオ不動産。ビル内部。


 第一段階は成功。警備に止められる事なく、ビルの中へ入る事が出来た。あとは家を買うだけ。わざわざ高い金払ってモノノベ商会から高級車小道具を借りた甲斐があった。


 俺の隣を歩くのはパオ。緊張した様子で声を掛けてくる。


「これは……上手くいっているの? トウカさん」

「今のところはな。なに、この調子なら誰にも気付かれ――


「――そちらのお客様。少々お待ちください」


 受付窓口まで歩く途中。不意に俺達は呼び止められた。


 呼び止めたのはスーツを着た男。整えられた七三分け。高そうなメガネ。ピンと伸びた背筋。如何にも仕事が出来そうなエリートビジネスマン。そんな風貌の人物。


 彼の周囲にはガードマン。たった今呼び寄せられたばかりな様子。


「……チッ。気付かれたか? 流石に優秀な人間は誤魔化せなかったか」

「……どうするの? 私達はボロが出ないようにするので精一杯。あの人を上手く誤魔化す余裕なんてないわ。厳しく問い詰められれば、すぐに正体がバレちゃう」

「……任せておけ。この程度のトラブルは慣れっこだ。上手く対処してやる」


 鋭い目付きで俺達を見る七三分け。その正面に立つ。


「オオシオ不動産へようこそ。お客様、本日はどのようなご用件で?」

「家を買いに来たんだ。そこそこ広さのある家を、な。見ての通り、俺には沢山の家族がいる。彼らに不自由のない生活を送らせてやりたいんだ。良い家はあるか?」

「失礼ですが、資金はお持ちでしょうか。当社の物件は少々値段が張りますが……」

「なんだ、俺が金を持ってるか心配なのか? ――見せてやれ。クロ」


 ネコタが前に出て、持っていたスーツケースを開く。

 その中には大量の万札が。最低でも数千万円はある。


「とりあえずこれだけ持ってきた。良い物件があれば、追加も検討しよう」

「……失礼しました。貴方は確かにお客様のようです。こちらへどうぞ。ご無礼を働いたお詫びに、特別価格で対応させて頂きます。希望の物件を提案致しますので」

「分かればいいん。お前達、行くぞ? 彼が特別な対応をしてくれるらしい」


「特別な対応? すっごーい!」「良い物件があればいいのですが」「……楽しみ」


 姦しく。喧しく。


 はしゃぐネコミ達と黙して語らないネコタ達。彼らを従え、俺は案内する七三分けの後ろに付いて行く。背中に突き刺さる、金持ち連中の様々な視線を感じながら。





 ――テンリュウ市、商業区。オオシオ不動産。商談室。


 案内されたのはビル内にある商談室。革張りのソファー。上品なテーブル。調度品も金が掛かった物ばかり。緊張したネコミが、そわそわと部屋の中を眺めている。


 俺達と七三分けはテーブルを挟み、向かい合うようにソファーへと座った。


「改めて、先程は申し訳ありませんでした。お客様に大変なご無礼を……」

「いい、いい。それより早く商談に入ってくれ。楽しみにしてたんだ」

「……分かりました。では、お取り引きの前にまずお客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか? 私はオオシオ不動産の営業部部長。財部マスオと申します」


 財部マスオ、ね。イメージ通りだ。堅苦しいビジネスマン。

 まさにビジネスマンになるべく生まれてきたような名前だ。


「五十嵐トウカだ。今日はあくまで一客、肩書を名乗るつもりはないが」

「五十嵐様ですね。それでは五十嵐様、本日はどのような物件をお求めに?」

「俺が欲しいのはダン近だ。不人気なエリアだし、当然余らせてるよな?」

「だ、ダン近物件ですか? あそこは命の危険があるエリアですが……?」


 まあ驚くか。当然だな。普通の人間は絶対にダン近物件を選ばない。


 ダン近物件はパレードの被害を受ける可能性が極めて高い。発生源のダンジョンがすぐ近くに存在するからだ。他のエリアと違って、常に命の危険に晒されている。


 更に副次効果として、ダンジョンのあるエリアは治安も悪い。


 ――金のない貧困層が大量に流入しているからだ。


 頻繁にパレードに晒されるとはいえ、全ての建物が破壊された訳じゃない。中には被害を免れる建物も存在する。そういった建物に金の無い連中が入り込む。必然、周辺の民度は悪化。ダンジョンに近いエリアはどうしても治安が悪くなってしまう。


 そんな場所に家を買おうとするなんて、変わり者以外にはいない。


「ダン近がいいんだ。前々からあの辺りには目を付けていてな」

「……分かりました。すぐに物件の資料をお持ちいたします」


 一旦商談室から出る財部。しかし数分後には戻ってきた。


「現在我々が抱えるダン近物件はこれで全てです。周辺環境こそ最悪ですが、建物自体は定期的に手入れを行っています。明日からだろうとご入居頂く事が可能です」

「ほーん? 結構良い物件ばかり揃ってるな。これなんかかなりの豪邸だぞ」


 ただ、どの物件も驚くほど安い。格安と言っていい。


 他のエリアなら数十億の値が付きそうな家が、ダンジョンの近くにあるというだけで一千分の一の値段でも売れ残ってる。酷いと百万以下の物件すら、ちらほらと。


 それだけ安全が重要視されてる、って事か。誰でも命は大事だからな。


 ――まあ俺は買うが。こんな格安物件、見逃す理由がない。


「よし。この物件にしよう。場所もいい感じだ。幾らになる?」

「この物件ですと五百万円になります、が……本当によろしいのですか? 一度購入されれば返品は受け付けません。その後の管理はお客様の責任になりますが……」

「心配するな。当てはある。問題なく管理できる予定だ」

「そう、ですか。……であればお売り致しましょう。ご購入、有難うございます」


 代金を支払い、権利書と鍵を受け取る。

 無事に取り引きは成立。家を購入する事が出来た。


「「「ありがとうございました!!!」」」


 大勢のオオシオ不動産職員に見送られ、俺達はビルを後にした。


 迎えの車の中。演技の必要が無くなったネコタ達はぐったりしていた。はしゃぎ疲れたネコミは既に夢の中。俺も少しだけ疲労を感じている。久々に緊張もした。


 誰もが声も出さずに休憩する中。ネコタが静かに口を開いた。


「……にゃあ。さっきのやり取りで少し気になった事があるんだけどにゃ」

「ん、さっきのやり取りか? どの部分が気になってるんだ?」

「管理の当てがある、って財部とかいう七三分けに言ってたにゃ? 一体どんな当てがあるんだにゃ? せっかく買った家だし、ボクは長く住みたいんだけど……」

「なんだ、そんな事か。安心しろ、家に着いたらすぐに見られると思うぞ」


 にゃあ? 首を傾げるネコタ。俺は小さく笑った。

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