第5話 女将が産んだもの
俺は大浴場に着いた。洗い場で身体を洗い、大きな風呂に入った。温かい風呂の中でガラス窓を通して遠くに見える、煌びやかに水面を輝かせている池を見ながら思う。
果たして、彼女たち六六六つ子は何者なのだろう。
蛭子化現象が起こったということは女将が言うように、神に近い存在であるのだろうが、何故六六六人もいるのだ。その時、お爺さん(?)と最初に会った時に彼が発した言葉を思い出した。
―――うーむ、まあ、三百二十一個の祠があることと、後、”むむむつご”の
そう、三百二十一個の祠からすぐに、六六六つ子の話題になっていた。
そのことから、六六六つ子の正体と三百二十一個の祠、『古事記』に出てくる神の数と同じ祠、が彼女たちに関係しているのではないかと思われた。
俺の足りない頭で考える。666、321、666、321、666、321…
「あっ!」
その時、俺の頭に閃きの電流が走った。
666÷321=2余り24
じゃないか!
そして、女将の話では、六百六十六つ子の中には、力を持たない者と力を持つ者がいるらしかった。そして、神に近い存在というワード。俺はある仮説に辿り着いた。
※※※
女中さんの置手紙の通り、宿泊部屋に戻ったら、女将さんと女中さんは、旅館の窓側にある、あの長方形のスペース内の向かい合った椅子に座っていた。二人とも青ざめた表情を浮かべている。彼女たちの間には、窓を通して、依然、奇妙に光り輝く池が見えた。
「すいません!遅くなりました。こちらで話し合いませんか」
俺はそう言い、畳上にある大きな黒いローテーブルを指さした。
俺がローテーブルに体を向けて腰を下ろすと、彼女たちは椅子から立ち上がり、のっそりとローテーブルを挟んで、俺の向かい側に並んで座った。
「ひどいことになりましたね…」
俺が神妙な面持ちでそう語ったが、二人とも返事をしなかった。自分たちの家族が一気に六百六十五人も亡くなったのだ。かなり疲れているのだろう。
「この事態を解決するにはどうすれば良いのでしょうか?女将さん」
俺は女将さんに顔を向けて、そう聞いた。いきなり話を振られると思っていなかったのか。女将さんは少し狼狽している様子だった。
「…な…なんでわ…私に聞くんですか?」
女将さんは重い口をどうにか開けて声を発した。この返答は予想通りだった。女将さんは自身や周辺の情報を容易に開示するような性格ではないと俺は会った時のよそよそしい態度から思っていた。
「女将さんは俺の仮説だと、さっきあの六六六つ子たちに起きたものと同じような事件を目の当たりにしたことがあるんじゃないですか?、以前に。そして、その事件の時、そこにいる女中さんと同じく生き残りの一人だったんじゃ?」
クーラーがガンガンにかかっているにもかかわらず、女将さんの額に大粒の汗が浮かんできていた。この反応から言ってこの俺の予想はビンゴに違いない!
「そして、一人になったあなたは愛する人に出会って、六六六つ子を復活させたんです。この旅館を産んで」
女将さんの顔に、一瞬、驚愕の表情が浮かんだ。
女将さんは俯き、多量の汗を垂らしながらも、少し口角を上げて話し始めた。俺の仮説を聞き、彼女の中で何かが吹っ切れたのかもしれない。
「まさか…そこまで気づいていたんですね。すごいです。私は元々、あの子たちと一緒で六六六つ子の内一人だったんです。当時は体育館なんてなくて、山の中の空き家、今も村にあるんですが、そこで男を捕らえていました。そして、あの時も、運悪く、あなたみたいに女性経験が無い人を捕らえてしまい、我慢できなくなった姉の内の一人が男を襲いました。すると…その姉は今日のあの子と同じく、身体の中心が爆発して溶けてドロドロになったんです。その現象は周りの人にも伝播していきました」
女将は、一度話すのを止め、深呼吸した
「私は偶然、空き家の外にある便所で用を足していたので、その現象に巻き込まれませんでした。捕らえられた男はこの村を抜け出そうとしましたが、三百二十一個の祠による結界で抜け出せませんでした。神に近い存在を犯すことは人間界では許されません。私たちと交わった時点で三百二十一個の祠に祀られている神の怒りを買い、村から出られないようにされるのです」
その事実も俺の予想通りではあったが、改めて考えてみてもクソゲー過ぎる…
なんで相手から襲われても、そんな縛りが存在するんだ…
「交わった者は死ぬまでこの村から解放されないというわけです。これは私たちに都合の良い風にできています。私たちは人間の遺伝情報を食べて生きているのですから」
それを聞き、俺は自分が彼女たちと交わりをしなくて良かったと深く思った。
ごほんと咳をして、気を取り直して俺は自分の仮説の続きを話すことにした。
「あなたは、その村から出られなくなった相手のことを好きになってしまったんですね。それで、色仕掛けを使ったのかは、わかりませんが相手から今度は誘われて、交わり、この旅館を産んだ」
「色仕掛けというか、こんな何も無い村でやることと言ったらそれくらいで、若くて美人だった当時の私は彼の関心を惹き、彼からの誘いで交わった。それだけです。そして、私はすぐに妊娠し、国産み神話でイザナミが島々を産んだように、この旅館を産みました。彼は旅行好きで、特に旅館を巡ることが好きで、私によく旅館の魅力について話してくれていたのです。そして、ゆくゆくは私と旅館が経営できたらな…なんてことも言ってました。旅行の途中で道に迷ってこの村に訪れた彼は旅行雑誌も持っていて、そこに掲載されていた旅館を元に建物の外部と内部を想像したら、ここが産み落とされました。旅館が創造された瞬間に私の大きかったお腹は引っ込みました」
俺はこの”国産み”ならぬ”旅館産み”の仮説に辿り着いたとき、どういう理屈で産まれるのかさっぱりわからなかったが、今彼女の話を聞くことでますます理解ができなくなった。
息をフーっと吐き、気合を入れて俺は他の仮説も話し始めた。
「次は、六六六つ子の復活の仮説を話します。六六六つ子は神に近い存在なのですよね?」
「はい」と呟くように女将さんが言う。
「けど、力を持たない者と持っている者がいる。最初この話を聞いたときは、よくわからなかったんですが、大浴場の湯の中で頭の中をフル回転したら漸く答えが出ました。六百六十六を三百二十一で割ると二余り二十四になります。このことから、俺が導いた結論は、六六六つ子は二人で一柱の神の力を持っているということです。そうすれば、六六六人の内、六百四十二人は神の力を持つ者になります。しかし、二人で漸く神と同じ力を得られるので一人では神に近い存在のままというわけです。そして、残りの二十四人は神の力を持たないが、彼女たちも人間ではないわけで、大きく考えると神に近い存在となります。違いますか?」
「そこまでわかっていたとは…合ってます」
「神の力を持っていない者は二十四人で、これは旅館の従業員としてはちょうど良い人数です。あなたは、祠で寝泊まりできず、住むところの無い彼女たちを旅館に匿った。ここで、疑問が出てきます。彼女たちはどうやって産まれたか?
『古事記』では、イザナギの涙や目、鼻、イザナミの便、尿、吐しゃ物から子供の神様が産み出されている描写があります。あれは言ってしまえば、自身のDNAを含むものから子供が産まれているともとれるわけです。イザナギとイザナミより前の原初の神には少しあてはまりませんが、それは置いときましょう。あなたたちはイザナギ、イザナミ以後の神に近い存在なのでしょうから。
それで、本題です。捕らわれた男はDNAを含むもの、例えば髪の毛二本としましょう、それらを全ての祠に奉納します。すると、神の力が働き、その二本の髪の毛から一祠につき二人の子供が産まれます。
けれども、ここで俺は残りの二十四人はどう産まれたんだろう、と。最初疑問が浮かびました。しかし、少し考えてみたら簡単なことだなと気づいたのです。彼女たちは一カ月に一回は女将さんに捕らわれた男の身体から産まれたんです。神に近い者を犯すという、男は人間界でやってはいけない禁忌を犯しました。そのことによって、彼は天罰で、人間でありつつも神に近い存在になってしまったと思ったんです」
女将は少し驚いた様子で俺に対して目を見張っていた。暫くすると、重い口を開けて女中さんが口を挟んできた。
「大体は、お客さんが言う通りですね。はい、確かに月に一人、私たちの内の、力を持たない者は父の精液から沸き立つように産まれました。あの人は一人であれするのが月一回ペースだったので…」
生物学的に言えば、これは単為生殖であろう。しかし、『古事記』では神一人から他の神が産み出される様子はまるで当たり前のように描かれている。神と人間の生殖方法は違うのであろう。六六六つ子だと俺が思っていた彼女たちは、実は神に近くなった父親一人の同じDNAにより全く同じ姿で生まれただけに過ぎなかったのだ。交わりの際に出された精液に関しては、彼女たちが食事として飲むことで、外界には完全には排出されず、子供が産まれることはなかったのだと考えられる。六百六十六人はともに神に近くなった人間の持つDNAから産まれたとも取れる。DNAを含む物質から産まれた者たちだからこそ、DNAを摂取し続けて生きているのかもしれない。
「しかし、あなたが愛した人は、彼一人が生んだ子供の人数を考慮すると約二年後に死んでしまいました。彼の死因はあの中年男性と同じく腹上死だと思います。あれだけ多い人数との交わりに常人で耐えられる人なんていませんからね。二年持ったことが奇跡です。そして、あなたたちはその後、数十年間、男を何人も捕らえ続けた。勿論、相手側から誘ってくる性欲たっぷりの男をね。しかし、あなたが愛した人とは違い、その者たちはすぐに腹上死してしまった。そのことで、あなたたちは焦って、従業員として外部の者を雇い、宿泊者用に送迎バスまで用意し、普通の旅館としての運営も始めた。客を捕食するために。しかし、旅館に泊まりに来た独り身の男性客を何人も捕らえ続けたことにより、この村周辺で失踪者が出る噂が流れ始め、やがて、この村は忌み嫌われる土地となり、旅館業もうまく行かなくなった。従業員も減ったに違いない。あの今日腹上死してしまった中年男性はここの最後の従業員だったのでしょう。自分たちが雇った従業員に手をつけるまで、あなたたちは落ちぶれてしまった」
女将さんと女中さんは肩を寄せ合い、涙を流し始めた。自分たちは生きるために、男達を捕らえただけだったのだろう。しかし、それが、自分たちが忌み嫌われる現在の状況を産み出してしまったのだ。その悲劇を彼女たちは泣いているのだろう。
そういや…
俺の頭につとある疑問が浮かんだ。
なので、女将さんに聞いてみた。
「女将さんだけ老けているのは何故ですか?」
鼻を啜り、目元に涙を流し、かすれた声で彼女はそれに答えた。
「人間を心の底から愛してしまったからですよ」
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