むむむつごの村

村田鉄則

第1話 実家近くの村

 民俗学オタクの俺は、夏休みに実家に帰省するついでに地元近くの山奥にある村を訪れることにした。

 車で実家から一時間程度かかり、他の交通手段は無いというこの村に俺は昔から興味津々で。今まで何度も連れて行って欲しいと親にねだったが、親は「あそこは近づいちゃいかん…」と言って首を振るばかりだった。

 だが、今は違う。先月運転免許証を取った俺は、一人だけで運転し、その村まで行けるようになったのだ。

 そして、今日、映画の『猫神家の一族』のテーマ曲をかけながら、俺は村に向かっていた。

 出発してから一時間弱、雑草が生い茂った場所に着いた。一目見ただけだと行き止まりのように見える。しかし、マップアプリはこの先に道があることを示している。じっと、目を細めて、奥の方を見ると木でできた看板のようなものが見えた。

 親に買ってもらったおニューの車を雑草で傷つけるのは嫌なので、道路の端の邪魔にならないところに停め、エンジンを切り、スマホとリュックを車から取り出し、雑草を掻き分けて先に進んだ。

 雑草の生い茂った道は意外と長く続き、十五分くらいかけて漸く抜け出せた。

 抜けた先には木でできた看板がやはりあり、それには”蛭子村ひるこむらへようこそ!”と経年劣化で薄くなっている、ゴシック体の文字が書かれていた。

 看板の奥には田んぼと数件の民家、そして大きな池のにある白くて高いビル、その隣にある体育館のようなものが見えた。それらの周りを覆うようにして夥しい数の祠もあった。

 マップアプリを見てわかったのだが、ここから見えているその白いビルは”蛭子旅館”という旅館だった。こんな村に泊まる人が居るのだろうか?そう思って、ビルを目を細めて、じっくり眺めてみると、その横には送迎バスらしきものが停まっていた。実は密かに人気で団体客が来るのかもしれない。

 先ほど俺が通った雑草は車で踏みつけた跡も無かったので、マップアプリには表示されていないが、俺が来た道以外にも村に入るルートがあるのかもしれない。

 看板から離れ、周りを見ながら、ゆったりと道を歩いていると、田んぼに居た麦わら帽子の似合うお爺さんが突然話しかけてきた。

「ありゃ、観光客か?珍しいのう?車で来たんか?」

 大きな声で声色も明るく、声を聞いただけでもう、お爺さんがフレンドリーな性格の持ち主だと感じ取ることができた。

「そうです。雑草があって通れなかったので、車は雑草の手前に停めちゃいました」

「大丈夫やで、誰もそんな道通らへんし。せやけど、なんでそっちから来たんや?もっといい道あるで」

「いや、マップアプリになかったんで!」

「マップアプリ?」

 お爺さんは訝しげな眼を浮かべて首を傾げた。この村ではスマホがまだ普及していないのかもしれない。

「まあ、いいです。俺、こういう古い村が好きで、この村を調べに来たんです。この村の特徴ってありますか?」

 俺は大きな声で質問してみた。

「うーむ、まあ、三百二十一個の祠があることと、後、”むむむつご”の…ありゃこれはあんまり言ったらあかんのやった」

 三百二十一個の祠はまあ、古事記に出てくる神様の数だけあるのだろうが、”むむむつご”?”むむむつご”ってなんだ。俺の頭はハテナでいっぱいになった。八の字眉を浮かべて聞く。

「”むむむつご”ってなんですか?」

「はあ、口が滑ってもたからしゃあないのー、あそこに旅館があるやんけ。あそこの娘さんが六百六十六人姉妹なんよ。それで皆、同時に産まれたから、ろくろくろくって書いて、六六六むむむつ子やねん」

 俺は正直なところ、お爺さんが何を言っているかよくわからなかった。

 六六六つ子?どういうこっちゃ…そんな数を同時に産めるわけないだろ…

 俺が頭の中で、突如襲って来た膨大な量の情報を整理していると、お爺さんはいつの間にか姿を消していた。

 村の秘密をボロっと言ってしまった後ろめたさからだろうか。

 三百二十一個の祠についても、少し聞きたかったが…まあ、他の村民に聞けばいいか…

 そういや…この村の名前は蛭子村、そして蛭子旅館もある・・・多分、『古事記』や『日本書紀』に出てくるあのヒルコを祀っている村なのだろうが…はて…

 そのような考え事をしながら歩きつつ、俺は村にある複数の家を回ったが、どこも留守だった。

 そうこうしている内に、祠以外で訪れていない建物は、残るは、蛭子旅館だけとなった。

 ドアを開けて旅館の中に入る。

 なんと意外にも、押しボタン式の自動ドアだった。

 フロントらしきところに目をやると和服を着て、黒髪を後ろに流した女将さんらしき人が居た。

「あの~、俺は…」

「ああ、聞いてますよ。村を調べている学生さんですね」

 女将さんは切れ長の目で俺をキリっと一瞥して、そう言った。少し怒っているようにも見えた。ってか、俺がお爺さんに言ったことはすでに女将さんのもとにも情報が回っているのか…

 田舎って怖い。

「そうです。俺、こういった村とかの情報を調べるのが好きで、それで、女将さんにも尋ねて宜しいでしょうか?」

 女将さんは、はあ~っとわざとらしく大きく溜息をついて、俯きながらこう言った。

「とは言いましても、情報をあげるにはただって訳には…」

「お金ですか?」

「お金ではなく、…この旅館に泊まって欲しいのです」

 この旅館はこんな狭い辺鄙な所にある村には似合わない程ド級にデカい。

 隣に体育館みたいな建物もあるし、維持費が大変なのだろう。

 僕が泊まることで、少しでも維持費の足しにしようという魂胆なのか。

 しかし、俺は一人で旅館に泊まるのは初めてで旅館の宿泊費の相場が分からない。また、今日中に家に帰るつもりだったので、財布には五千円しかなかった。

「QRコード決済って利用できますか?」

 ダメ元で聞いてみたが、女将さんは勢いよく首を振った。

「じゃあ、村の情報は諦めます。俺、今、五千円しかなくて」

 その言葉を聞いて、女将さんは俺をまた、キリっとした目で一瞥した。

 そして、暫く沈黙の後、また、わざとらしく、はあっと息を吐き、こう言った。

「いいですよ。食事代だけでいいんで、五千円で」

 俺の頭はパニックになった。

 訳が分からない。

 事が良い方向に進みすぎている。

 何か裏でもあるのではないか?

 しかし、この村の謎のことが気になった俺は何も収穫がないまま帰るのは嫌で、結局、五千円を払い、宿泊名簿に名前を記入したのだった。

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