第36話 もはや神など信じていないが

我々は多少急ぎ足で来た道を戻っていき、蔦で出来た橋へと差し掛かった。

行きに皆で受けた印象と同じく、あと数度、人が渡れば橋は落ちるだろう。

下は落ちたら助かりそうもない深い崖だ。

しかし迷っている時間は無い。


まず、手ぶらのゲオルグから先に渡り無事渡り切ったので、荷物を持った私が続き、最後にアダムがボルソフを背負って渡り始めた。

かなり軋んだが、彼も何事も無くこちらの谷近くまで渡って来て、安心した私とゲオルグが

「追撃を断ち切るため、落としておくべきですね」

「そうじゃな。それに住民が不用意に使うかもしれぬ」

などと話をしている時だった。

あと1メートルという所で、アダムに背負われていたボルソフが、縄抜けしたらしき両手で突如暴れ出し、橋の蔦が振動で急激に切れ始めた。

アダムは咄嗟に身体をよじり、暴れるボルソフから逃れこちらへと来たが、取り残されたボルソフは橋の崩落に巻き込まれた。


私は、自分でも何故、そうしたのか分からないが、身を乗り出して落ちていく彼に必死に右手を伸ばしていた。

そしてその手は奇跡的に届き、彼が伸ばした手を握った。

私の両足は怪力のアダムとゲオルグが咄嗟に握っていて、あっさりとボルソフは私の身体ごと谷の上へ引き上げられた。


「なぜだ」

ボルソフは恨みがましい目で我々を見つめる。私は

「分からない。もはや神など信じていないが、神の御手だとしか思えない……」

ゲオルグが快活に笑いながら

「暴れる元気があるなら自分で歩かんかい」

ナイフを突きつけてボルソフを立たせ

「アダムさんや、此奴に目隠しをしてくれ」

アダムは私が荷物から出して渡した布をボルソフの目に何重にも巻いた。

更に私が縄抜け出来ぬよう、複雑に両手を縛り付ける。


手ぶらのゲオルグが先頭でボルソフの縄を引き、私と荷物を持ったアダムが後ろから彼を監視しながら続くという隊列で来た道を引き返していく。

追撃も危険な気配も一切ない森の様子に拍子抜けしながら洞窟の前までたどり着くと、ゲオルグは黒装束の男に近づき小声で合言葉を交わした後

「上首尾じゃ。変わりは?」

「こちらは無いです」

少し話すと私が火を点けたカンテラを手に洞窟内へと入って行き、縄を引かれたボルソフと我々も続く。


「ふー……議会がバルボロスからの情報に踊らされねば……」

洞窟内でボルソフが悔しげに呟き、ゲオルグが

「大方、王国の有能な人材は辞めさせたとかじゃろ。当たっとるよ」

私は苦笑するしかない。

「……タオ将軍を失ってから……私は……」

彼はまた口惜しそうに呟き、もう喋らなくなった。


長い洞窟を出ると黒装束の男が

「動きがありました。共和国軍は崩れているようです。付近に逃走中の兵が多く居ます」

「気をつけるとしよう」

ゲオルグはそう答えると、カンテラを消し私に渡し、ボルソフの縄を引き出した。

私は用心のためアダムに

「敵兵の気配があれば、早めに倒して来てくれ」

「わかりました」

彼は頷いて辺りを警戒し始めた。私も樫の棍棒を右手に握っておく。


フェアリーフライへの獣道を進んでいくと、月明かりが漏れた木々の間で、アダムが

「止まってください。行ってきます」

そう言うなり木々の上を伝って前方へと出て行った。察知した敵兵の掃討に行った様だ。

ゲオルグが感心した様子で

「大したもんじゃ」

「私としては彼に武器の真の使い方を覚えてほしいのですが」

「槍は得意じゃろ?」

それくらいは姫の命令で監視していたならば知っているはずだが

「……格闘が奥の手であるという意識が、彼の武器への探求を鈍らせているのですよ」

ボルソフが急に笑い出して

「どこの国も若者には苦労しているな」

ゲオルグが表情を崩し

「若者への愚痴は年寄りの特権よ」

「まさにまさに。所でトーバン・コウエルという退役軍人の行方を知らぬか?」

ゲオルグは私をチラリと見て

「知らぬが、どうした?」

ボルソフは大きく息を吐くと

「私は元々はジゾール・タオ将軍の副将でな。タオ将軍はクラーク河でコウエルに敗れたのは知っておろう?」

ゲオルグは私をまた見ながら

「そうじゃな。王国東部地域の住人は今でも言っておるよ。トーバン様さえ戻られれば、とな」

私が驚いているとボルソフは苦笑いし

「まあ、鬼神の如き将だった。何故王国はあの大勝の後、彼を起用せず、辞めるまで騎士団に留め置いたのだ?」

ゲオルグは堪えきれず噴き出すと

「あの男は面倒じゃったそうじゃ、戦うのが。王から直々の昇格の誘いも断っとる」

彼の冗談を真に受けたボルソフは唸りながら

「うーむ……とてつもない変人か……タオ将軍からの遺言があるのだが、聞くだけの耳があれば良いが」

私がまた驚いていると、ゲオルグが前方を眺めながら

「後にしよう。若者が戻ってきた」

無傷のアダムは少し焦った様子で

「急いだ方が良いかもしれません」

ゲオルグは黙って頷くと

「行くぞ」

ボルソフに声をかけ、縄を引き出した。

我々も続く。


足早に獣道を抜けると、フェアリーフライの町と城から煙が立ち上っているのが見え

「悪いが、任せた」

ゲオルグはそう言うなり、町へと駆けて行った。私はアダムに

「助けになってくれ。本気を出すのも許す」

彼は頷いて風の様にゲオルグの後を追う。

目隠しをされたボルソフは笑いながら

「子供が突撃しおったか」

私はボルソフの縄を持ちながら、月明かりに照らされたほぼ無傷の町と城の様子を見回し

「確かに。しかし、既に駆逐された後のようだ」

ボルソフは鼻で笑って

「戦争は一か八かでやるものでは無い。若いヒラギナはそれが分かっておらん」

「愚痴は後で聞こう」

私は彼の縄を引く。


町まで行くと、城方面から馬車が走って来た。御者のふくよかな若い兵士が

「ゲオルグ様のご命令で参りました。どうぞ」

私は目隠しをしたボルソフを先に乗せ、横に私が座る。

馬車が動き出すとボルソフが安堵した様子で

「長い散歩だった」

私が黙っていると

「すまんな。命を救って貰った」

「いや、たまたま手が伸びただけだ」

「そうか。フェアリーフライの町は美しいかね。私は見たことがなくてな」

「……共和国にも噂が?」

「特に夕暮れ以降の景色が、この世のものではないと言われている。本当にそうならば我軍も手を出し辛かったはずだ」

「どうだろうか」

東側の数カ所から煙が上がっているが、町の大通りは傷一つない。外周部で侵攻を止めたようだ。

「娘達と孫に自慢したかったが、もう難しいかもしれんな」

その言葉は聞かなかったことにした。

本国に二度と帰れないかもしれないこの老将の目隠しを外してやりたいが、それは元騎士としては出来ない。この戦場の王国側責任者であるゲオルグの指示で付けたものを勝手に外すことは出来ない。


城は城門が開いていて、馬車が城内へと乗り入れると、直ぐに兵士が出迎えてくれた。

ボルソフは目隠しをされたまま、牢へと連行されて行った。

私は続いて駆け付けた3名のメイド達から

「トーバン様!お急ぎください!」

「姫様のお部屋です!」

「ローズ姫がどうかされたのですか?」

城内は全く荒れた様子もないので、大丈夫だろうと安心していたのだが。

「とにかく!お急ぎを!」

メイド達に押されるように城内へと急ぐ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る