第33話 絵本のお姫様
町へと広い坂を下りていくと、2名の鎧を着た巡回兵に止められる。
私は荷車から降り
「トーバン・コウエルという者です。王妃の命を受け、ローズ王女様と会いに来ました」
そう言って王都でメアリーから渡された小さな縦長の銅の札を見せた。
彼らは途端に畏まり
「失礼しました。どうぞお通りください」
サッと道を開けた。よく訓練されている兵達だ。家宰のゲオルグの手腕だろう。
夕暮れが夕闇へと変わっていく中、浮かび上がる幻想的な町へと入っていく。
お菓子で出来たような外装の家々が左右に立ち並び、兵士たちにより、歩道に等間隔で並ぶ柱の給油口から燃料が注ぎ込まれ、色合いの違う街灯が次々に点けられていく。
磨かれた四角の石畳が隙間なく敷かれた大通りを歩いている人々は、王都でも見ぬような洗練された服装だ。そして兵士達含め、すれ違う誰もが住人であることを誇るような表情と姿勢で歩いている。
もはや、この世のものとは思えぬ光景を進む馬車内で少女は
「この町に住みたい!トーバン引っ越そう!」
興奮し続けている。御者のデリングはうんざりとため息を吐き出し
「王女のイメージの中に住むのと一緒ですよ。大変だと思いますが」
聞いていない少女の代わりに私が
「そうだね。ところで財政はどうなのかな」
デリングは鼻で笑いながら
「この町を維持するために領内の税の大半が使われていますね。こうなることを見越し、この位置なのでしょう」
ずっと黙っていたアダムが興味深げに
「どういうことですか?」
「アダム、第一王女領は、ほぼ山岳地帯だ。つまり税収が少ない地域に当たる。そして守るに容易い堅固な山々がある。ローズ姫が大きく浪費出来ず、且つ危険な目に遭わぬため、王と王妃はこの地に領土を与えたのだろうね」
デリングは笑い出し
「共和国と帝国の近くですよ?あわよくば……ということでは?実際、そうなりつつありますし」
私は苦笑いし
「何時か現実を見る日が来ることを願って、ではないかね?」
アダムは黙って我々の会話を聞いていた。
町の中心部にそびえ立つ、白く高い小城を囲う城壁の閉じられた城門前へたどり着き、槍を持った衛兵達に、馬車を降りた私が先ほどと同じ説明をし札を見せると
「……使者の方、明日ではいけませんか?」
当然そう答えるだろう。もう夜間だ。しかし時間が惜しい。
「何か不都合でも?」
あえてとぼけると、衛兵達は少し考え
「……わかりました。開門!」
門がゆっくり開かれ、灯火に煌々と照らされた花畑のある中庭が見える。
馬車の停車場までデリングが乗り入れた直後に中庭から、桃色のドレスの裾を両手で掴んだ小柄な女性が小走りで
「ゲオルグ!ゲオルグ!わたくし、王都で買ってきて貰いたいものが!」
聞き惚れるような気持ちの良い声を出し、小さな王冠を乗せた豊かな輝く金髪を揺らしながら近づいて来た。
馬車から飛び出た私は素早く女性に跪く。
ローズ・ローファルト第一王女だ。
一際目を引く美しいローズ姫は、真っ白な肌で整った顔立ちの母親譲りの大きな澄んだ青い両眼で私を見つめると、潤んだ唇を可愛らしく動かし
「新しい馬番の方ね。ゲオルグは何処?」
辺りを見回しながら尋ねてくる。
そして、タイミング悪く馬車から降りてきた長身のアダムを見つけ
「うそっ……何てこと……」
その場で卒倒した。
私は素早く抱きとめ、続けて駆けて来たメイド達に引き渡す。
背後に立ったデリングが呆れた様子で
「お変わりありませんね」
衝撃を受けた表情の少女がようやく馬車から降りて来ると
「えっ、絵本の……お姫様……居たんだ……本当に居たんだ」
私にすがりつきながら何度も呟いてくる。
城内の応接間で、我々は待たされることとなった。この部屋の内装も桃色とオレンジを基調にした女児が好むような可愛らしいもので、辞書や地図が隙間なく並べられた本棚の上には大きなウサギや猫のぬいぐるみまで鎮座している。
少女は興奮し続けていて
「凄いっ!全部可愛い!全部!」
応接間を歩き回り、既に何周もしている。
デリングは心底ウンザリした様子で足を組み
「……もう帰りません?滅びればいい」
「いや、恐らくゲオルグさんが来るはずだ」
アダムは腕を組み、ずっと何かを考え込んでいる。
ノックと共に応接間の扉が開かれ、鍛え上げられた肉体に執事服を纏った長身の老人が入って来た。
白髪はオールバックで、眼光鋭い両眼は銀縁眼鏡越しにこちらを見つめてくる。
その誤魔化しが効かぬ恐ろしい視線に、我々3人は立ち上がり、即座に王国式の敬礼を彼にしたが、当然、少女は間に合わずキョトンとした顔をしながら老人へと近づいていく。
「んんー?凄い強そう。この人が絵本のお姫様を守る執事さんー?」
私が、王族付きの家宰の方への大変な失礼をどうやって詫びようか考えていると、何と彼は厳しい表情を破顔させ
「嬢ちゃん、儂はゲオルグ・フルフォードと言う。絵本のお姫様というのは、ローズ姫のことかね」
少女は嬉しそうに
「アサムリリーよ!そうそう!お姫様も可愛いけど!ゲオルグさん!この町とお城凄いね!おとぎ話の世界みたい!」
ゲオルグはもはや好々爺といった表情になり
「アサムリリーさんや、儂の隣に座りなされ。トーバンさん、お久しぶりじゃね。先ほどの事は聞いとるよ。もう気にしなくて良い」
上機嫌に声をかけてくる。
少女が彼の気分を変えてくれた様だ。
「お久しぶりです。王妃の命を受け、参りました」
ゲオルグは少女と並んでテーブル越しに座りながら、立っていた我々を着席するように促し
「ふむ……そちらの美男はあの因縁のアダム君か、そして元特殊部隊長のデリングさんかな」
2人は黙って頭を下げる。
ゲオルグは我々3人と少女を見回し
「……王妃の命を傘に、手練3名でこちらの共和国軍の頭を潰しに来たんじゃな。東部戦線中央部がもう保たぬか」
安々と我々の意図を読み解いてしまう。
「ご慧眼、恐れ入ります。王妃からは、こちらのアダムを諦めさせ、釣り合う相手を見つけなさい。と言う密命を受けております」
私がゲオルグに正直に説明をすると、彼は大きく息を吐き
「覚えておこう。しかし、領内東部から帰ったばかりなんじゃわ。これから王女の部屋へ戦況報告へ行く。皆さんもこんかね」
「いきたーい!」
思わず立ち上がった少女にゲオルグは微笑んだ。
城内の桃色やオレンジのファンシーな色合いの壁を灯火が照らしている中を進んでいく。
上がっていく階段も一段ごとに色が違う。
「ゲオルグさん!本当に素敵なお城だね!」
「そうかそうか。嬢ちゃんは分かっておるのう。数ヶ月に一度塗り替えるんじゃ」
「うわー贅沢!画家が描くの!?」
「その通りじゃ。ローズ姫が飽きぬよう、城内の者は心血を注いでおる」
「絵本のお姫様を守ってるんだね!」
「皆、姫のことが大好きなんじゃ」
「私も可愛すぎて大好きになった!」
「そうかそうか」
少女とゲオルグは先頭で親しげに話し込み、付いていく我々は真剣な眼差しでそれを見つめる。
姫の支持を得てから、頑固で有名な家宰ゲオルグの説得を考えていたが、まさかゲオルグと少女が直接仲良くなるとは思わなかった。ここは、しばらく余計なことをせず見守るのが得策だろう。
美しい虹が描かれている木製の扉をゲオルグはノックする。
「姫様、ゲオルグにございます。報告に参りました」
中から可愛らしい声で
「……ゲオルグ、今、わたくしは誰とも会いたくありません」
「王妃からの御使者も来ておられます」
「……会わないとダメ?」
「無理に、とは申しません、しかし御使者は、姫様と気が合いそうなアサムリリーなる快活な少女も連れて来られております」
「分かりました。入って良いです」
私はアダムとデリングに手で廊下で待つように指示する。アダムと王女を会わせるつもりだったが、先ほどの失神で難しいということは理解した。ここは少女に賭けてみよう。
2人は頷いて扉から離れていった。
ゲオルグが扉を開けると、私は息を飲む。
隈無くランプに照らされた広い室内の天井には星空のように埋められた宝石が散りばめられ、壁に沿って並べられたアンティークの棚には各種ぬいぐるみや、絵本が隙間なく並べられ、奥のベッドの天幕は見事に織られた絹が輝いている。
王女は中央に置かれたソファに腰掛け、手前のテーブルの上で何か描いているようだ。
我々には興味がないようで、筆を紙に走らせ続けている。
私とゲオルグより先に少女が室内に飛び込むと、天井を見上げるなり
「うわあー!星空!」
驚嘆の声を上げ、棚を見回し
「あっ!これ!サイオンシルバーグのラビットハウスでしょ!」
手前の棚に並んで飾ってある、艶やかなドレスを着た3体のウサギのぬいぐるみに近づき、興味深げに眺め出した。そして
「チャミーが居ないね。何で?お姫様が嫌い?」
ゲオルグの方を向き首を傾げる。
ローズ姫が驚いた表情で立ち上がり
「あなた、ラビットハウスが分かるのですか!?」
少女は少し恥ずかしげに
「ラビットハウスも、タイガーナイトもキャットスターもシリーズ全部持ってた。今は家に帰れないからどうなってるか分からないけど」
ローズ姫は血相を変えた表情で、ゲオルグに詰め寄ると
「ゲオルグ!全て帝国から取り寄せて!この子に後れを取るわけにはいけません!チャミーも何としても揃えねば!」
ゲオルグは困り顔で
「現在帝国と国交断絶状態で難しいのです。それにシルバーグの作品は希少なもので……」
ローズ姫は項垂れながらその場に座り込み
「……今日は酷い日です。愛しきアダム様の幻も見ました」
ゲオルグは小柄なローズ姫を軽々と抱え上げ、ソファに座らせると
「姫、彼は無冠の庶民の出です。様付けは如何なものかと」
「でもっ……誰よりも輝いているあの方こそ……わたくしの全てを捧げるに相応しいのです……」
少女が姫の横に無遠慮に座ると、憂う気な美しい顔をのぞき込みながら
「アダムのこと?」
「知っておられるのですか?」
「うん。友達?ライバル?そこにいるトーバンが私とアダムのお師匠なの」
ローズ姫はそこでようやく、跪いている私を
見た。きっと、美しいものだけの姫の世界には、決して美しくはない私は認知され辛いのだろう。先ほど会ったことも忘れているようだ。
一度頭を下げ、黙っていると、私に興味を失くしたらしき姫は少女に向き直り
「……お名前を教えてくださる?わたくしはローズと申します」
「アサムリリー!トーバンの一番弟子!」
「貴族の方ですの?」
少女はチラッと私を見てから
「貴族だった。今は剣士。詳しいことは、仲良くならないと教えられないかも」
会話に詰まったローズ姫はゲオルグを困った表情で見つめる。彼は穏やかに微笑むと
「領内の報告をしても?」
「……もう大丈夫なのでしょう?」
縋るような姫の視線に、ゲオルグはきっぱりと首を横に振り
「いえ、未だ東部に共和国軍五千が侵入しております。何とか防いでいますが、第二王子への数度の増援要請も無視され、状況は良くありません」
ローズ姫は両目の輝きを消し、項垂れた。
少女が突如、姫の肩を叩き
「お姫様!そこにいる私のお師匠のトーバンは名将だから!全部任せたらすぐ終わるよ!」
姫は私を微かに見て、ゲオルグを困惑した眼差しで見つめる。
「アサムリリーさんの言っていることは本当です。彼ならやり遂げるでしょう。どうなさいますか?」
姫は不安げな表情で
「良きに計らって」
ゲオルグは大きく頷くと立ち上がり
「トーバンよ!姫の許可が出た!直ちに第一王女軍を纏め、賊の討伐にかかれ!」
わざわざ大声で命令をしてきた。
私に一切興味がない姫に印象付けるためだろう。
家宰の細やかな配慮に感謝を示すため、こちらも負けじと力を入れ
「ははっ!承りました!」
私は跪いたまま頭を下げる。
必要なものは得たので、立ち上がり素早く退出しようとすると風の様に少女も付いてきた。室内から姫が悲痛な声で
「ダメッ!アサムリリーさんは!わたくしともっとお話を!」
振り向いた少女は胸を張り
「お姫様!私、剣士なの。お師匠と戦いに行かないと」
ゲオルグが素早く近づいて来ると小声で
「アサムリリーさんや、哀れな年寄りのお願いだと思って、しばらく姫の相手をしてやってくれんかな」
「ゲオルグさんがそう言うのなら……」
少女は仕方なさげに姫の方へ走って行った。
ゲオルグと廊下へと出ると、直ぐにデリングが寄ってきて
「聞き耳を立てていました。あの子、使えますね」
「そうかな。不思議な魅力があるのは認めるよ」
デリングの興味を逸らすように返答していると、ゲオルグが安堵した様子で
「姫は最近不安定だったので、本当に助かった。では早速、賊軍共の頭を潰す打ち合わせでもするかね」
デリングが張り付いた笑みを浮かべ
「ゲオルグさん、戦場の地図を下さい。敵将の位置は私が推測しましょう」
アダムが背筋を伸ばし近づいて来ると
「師匠、本気を出す許可を。少し、鬱憤晴らしがしたくなりました」
気持ちはよくわかる。この城は地を這って生きてきた我々とは合わない。
更にアダムは泥を顔に塗ってまで逃れたほど苦手なローズ姫の近くに居るだけで苦痛だろう。
無理をさせてしまい済まない、という心情を込め
「……好きにし給え。だが敵兵と言えど、殺しは必要最小限だ」
彼は黙って深く頷いてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます