第26話 サウザンド自由楽団
ジャガイモの収穫サインは葉や茎が七割ほど枯れてきた時だと、アダムの母のモスが教えられてから少女は朝の剣術修練の前に必ず、広い畑に植えられたジャガイモを毎日見に行くようになった。
私は、アダムとモス親子と畑を耕し続け、肥溜めも苦心しながら作り、今年の秋に小麦を植えるための土壌をひたすら整えていった。できれば、来年の夏には一面の小麦畑を前に皆と喜びを分かち合いたいものだ。
そうそう、ダイナミス平原での戦いからもう2ヶ月の月日が経った。
春から夏へとゆっくり季節が移り変る中、我々の村も眠った人が静かに呼吸を続けるかの如く穏やかに生き続けた。
ロバ、鶏四匹も来た当初より元気になっており、アダムが細やかに育て続けている白猫は名前がないまま、手足と尻尾が長い大きな成猫になりつつある。何とか触ろうとあらゆる角度から近寄ってくる少女との追いかけっこも、未だ無敗だ。
戦いの後王都へ帰らなかったカートは、結局1週間ほど私と起居を共にすると
「トーバン、結婚しよう。あたいも引退してあんたの嫁としてこの村に住む」
そう、真剣に告げてきた。
私がその答えを二日ほど迷っていると、傭兵団による急使が村に訪れ、東部戦線で王国軍と傭兵団がジャングウ共和国軍相手に苦戦していると焦った表情で伝えてきた。
カートは舌打ちをして
「精霊憑きのヴァシルは、真面目なソウバリーには分が悪いか」
そう言って、名残り惜しそうに急使と共に村から去っていった。
精霊憑きのヴァシルとは、ここ2年で頭角を現した二十代半ばの共和国軍将軍だ。
私の現役時代にほぼ関わりが無かったので詳しくは知らないが、何やら、神がかった予見力で帝国軍や王国軍に連勝を重ねているとは聞いた。
長年の経験では、その手の指揮官は精神を病んでいる可能性が高く、故に突発的に非常識な戦略を取り、それが相手を惑わしている場合がある。その辺りを深く考慮して作戦を立てるべきだとカートに助言はしたが、彼女の役に立つかは考えないようにしようと思う。
私はもはや一介の庶民に過ぎない。
不遜ながら、マルバウ王子はこの前の負け戦で、今後の長い人生に活きる学びが多かったはずであろうし、私自身は戦場に戻る気も二度と無い。
村での農業の毎日で、戦場の記憶も薄れ始めたある日のことだった。
アダムやモスとの農作業の後、村の広場でビョーンがとても丁寧に造ってくれたベンチに座り、初夏の日差し避けに麦わら帽子を被り、少女の素振りを眺めていると、楽器を背負った五名ほどの見慣れぬ一団が村の入口からこちらを眺めているのに気付く。
私が近づいていくと、古いハットに顔を隠した小柄な女性が進み出て来て、よく知るモーリ王女の声で
「トーバンさん、私です」
思わず跪きそうになるが、手を取られて止められ
「今日は、この村に訪れたサウザンド自由楽団の吟遊詩人ルアです」
微笑まれる。それぞれハットやマスクで顔を隠した楽団員達をよく見ると、何とトムが混ざっていて、目を丸くする。
彼は朗らかに笑いながら
「知らんのか?わしはギターの名手じゃぞ」
「楽団リードギタリストのトマーさんです」
王女から真面目な表情で紹介され、腰が抜けそうになる。
私は慌てて楽団の全員を我が家へと招待しつつ、興味深げに近づいてきた少女にアダムとビョーンとモスに王女達の変装した楽団の来訪を伝えるように告げ、走らせた。
王女は我が家へ入ると
「うわあ……思ったよりずっと素敵で広いお家ですね」
正直な感想を述べながら、リビングの椅子に座りハットを取った。
他の楽団員達も序列を気にせず次々に椅子に座り、マスクやハットを取る。
その王女とトム以外の3人の顔を見て私はまた気が遠くなりそうになる。
白髪を上品に束ねた朗らかでふくよかな女性は、宮廷メイド長のノア・フェーゲルだ。
確か御年六十歳だが、後宮の一切を取り仕切る影の実力者。
その隣に座ったぽっちゃりとした優しげで小柄な男は、あのデリングの後任の王国軍特殊作戦部隊長である、ジャーマス・フォードヘッド。三十二歳。
デリングの性癖を危ぶみ追い落としに一躍買ったとも言われているが、噂の域なので真実は未だ分からない。
そして、その横で、茶色の癖が強い天然パーマの細面にピエロメイクをして得体の知れぬ笑みを浮かべているのが、ソリュー・クラウスバーグ。
ジャングウ共和国からの亡命者で元共和国貴族院議員。十三年前に私がタオ将軍に引き渡そうとした男だ。
共和国に居た頃は悪名高き汚職政治家だったが、王国に来てからは特に何をするでもなく王国からの禄を食み、遊んで暮らしているという噂は聞いた。
王女は黙ってソリューを見る。彼はニヤリとピエロ顔で笑うと
「クラーク平原ではどうも」
昔の恨み言を躊躇無くぶつけてきた。私が黙っているとソリューは自嘲したように
「いや恨んではいませんよ。私でもそうしたでしょう。そして結果的に五千五百の王国民と一万の共和国兵士の犠牲の上、私は生きておるわけです」
私が黙っていると彼は更に
「ダイナミス平原での詳細な分析を”我が楽団”が行ったところ、トーバン・コウエルという名将の存在に慄きまして、非力な我らの音楽でも聞いて疲れを癒して貰おうと、こうして慰問に訪れたということですね」
私は軽く噴き出してしまう。この男はふざけているがとてつもなく正直だ。要するに王宮の第二王女派筆頭が一堂に集まったと言っている。そして今後も私に王女への手厚いサポートを頼みたいらしい。
私はソリューのピエロメイクの両目を見据え
「王はどうされていますか」
単刀直入に尋ねた。彼は両目を天井に向け、肩をすくめながら
「優しすぎる第一王子に失望されています。第二王子に期待をかけられていますが……」
「未だ東部戦線は上手くいっていないと」
ジャングウ共和国への対応は武闘派の第二王子が任されているが戦線も政治的交渉も上手くいっていない。
「そういうことですね。王命で雇い投入した王国最強の切り札であるカート傭兵団も、なぜだか元気が無い」
ソリューはわざとらしく横を向いて肩をすくめてくる。そして突如、彼は私を見据えてくると
「第三王子はもはやアレですし」
そう言ってクスッと笑った。
彼の怪しげな話術にはまり込む前に、私は大きく息を吐いて一旦会話を切り
「楽団の方々は、お茶、ジュース、酒、どれがよろしいか?」
そう尋ねた直後、ありがたいことにアダムとモスの親子が我が家に入ってきて
「あらあら素敵な楽団さんですね。この村で農業と養鶏をしているモスと申します。この大きいのは息子のアダムです。よろしく」
モスがアダムを使いながらマイペースに場を仕切り出したので、接待は親子に任せ、私は中座させて貰った。
外へと出ると、ソリューがついてきて
「良い村ですね」
ピエロメイクで微笑んでくる。
彼は煙草に火を点け、私に煙がかからぬよう風下に立ち、更に横を向いて吸い始めた。
「……亡命生活はどうですかな」
私の問いに彼は煙を空に吹き上げると
「気楽なものです。時折、王の詩や文学の話相手となれば暮らしていける。共和国ではこうはいきません」
この男は、自分が王女だけでなく、王にすら取り入っているのを隠す気もないらしい。また黙っていると
「モーリ王女はこの村を守りたいと言っています。先日は徴税官の派遣を止めました」
「……それはどうも。後で王女様に感謝を告げたいと思います」
確かに少人数で自休自足しつつ、必要な時は私の金で回している今の状況では税金を払う余裕はとても無い。ソリューはこちらを見ず
「直轄地でどうでしょうか?税金は極端に抑えます」
私は思わず笑い出してしまった。第二王女が直接治める直轄地になるということは、第二王女の権勢が強いうちは良いが、弱まると途端に村ごと巻き込まれるということだ。
つまり一心同体になれと私に言ってきている。少し返答を考えた末
「ジャガイモが、もう少しで収穫できるのですよ」
ソリューは煙草を左手に挟むと不思議そうな表情をこちらへと向けてくる。
「王国にも、楽団の方々にも払えるものがありませんでな」
ソリューが答えようとするのを手で止め
「地上で葉や茎が枯れた頃、地中にはジャガイモが埋まっているのですが、その大きさは掘ってみるまでは分かりません。果たして国庫に納められるほどのものか……」
察したソリューはピエロメイクの顔で何度も頷くと
「十分なお答えです。直轄地については急ぎすぎましたな。徴税官に村の窮状を訴えておきましょう」
この男の政治家としての嗅覚は、未だに腐ってはいないようだ。微妙なニュアンスから私の真意を完璧に汲み取ってきた。
つまり、相談等の助力は惜しまないが、歳を取った私の意見が役に立つか分からない。そして村についての大きな決断は時期尚早だと言ったのだ。
……この男のように賢過ぎるというのも考えものだが、今は助かった。
王都の厄介な権力争いに今更巻き込まれぬよう、軽々しく言質を取られぬように気をつけたい。
夕方には楽団員達の演奏が村の広場で行われる事になった。
彼らの演奏台と椅子、暗くなった後のための灯火は我々村民が用意して周囲に並べる。
すっかり村での生活に馴染んだ少女もよく手伝ってくれた。
暮れなずむ空の下、真っ直ぐ立っている吟遊詩人の王女を中心に、その横におどけた表情のピエロのソリュー、左端に使い古されたギターを構えて椅子に座ったトム、ステージ右側にはバイオリンを構えたジャーマスと、太鼓をステージ床に置きスティックを両手にそれぞれ構えたノアが並ぶ。
いつの間にかロバとその背中に乗った白猫も様子を見に来ており、そちらをチラチラ見ながらも少女が頬を高調させ、相当に期待した表情で
「音楽聴くの久しぶり!」
私の横に座ってきた。元貴族の少女を楽しませてくれる芸なら良いがと思っていると、王女がアカペラで
「もし、この世界が一つで、争いもなく皆が暮らしていけるのなら」
美しい歌声を響かせ、トムのギターが夕暮れに染み渡るようなアルペジオを奏で始めた。
ソリューがクルクルと回転しながら見事に踊り始めると、ノアの抑制したリズムが鳴り響き、ジャーマスのバイオリンが全体を整えるようなゆったりとした旋律を奏で始める。聴き惚れていると更に王女はその音と芸の波を乗りこなすように
「夢見る水精(ネレイド)は歌うことしか出来ず、空飛ぶ二組の翼に想いを馳せる」
王女は情熱的に歌い上げながら、私、そしてアダムを見つめてくる。その強い視線に気付いた少女が不思議そうな表情をして、私は口をタオルで覆い、暗喩になっていないその暗喩に苦笑いを隠す。次第に夜が村を覆っていき、アダムとビョーンが点けた何本もの灯火が、楽団と我ら村民を幻想的に照らしだす。
「ただ月日は水面(みなも)の水滴のように、竜形の曇り空から降り注ぐだけなのか」
「ああ、燃ゆるような恋がしたい、もし翼があれば飛んでいけるのに」
王女は歌い切ると丁寧に礼をして下がり、まだ止まない楽団の演奏に主役を渡す。
いつの間にかソリューが「ウー」という低音コーラスを始め、それにトムが更に半音下げたコーラスを重ねると、後方へ下がったままの王女が「アー」と高く美しい歌声を重ね、葬送歌の様な厳かな雰囲気で次第に全ての音が小さくなっていき、途切れた。
少女が感動した表情で跳び上がって拍手をする。
ビョーンとモスも同様だが、アダムは拍手をしながらも苦笑いで私を見てきた。
完全にモーリ王女の情熱の勝利だ。
ソリューという搦手を使った後、こんな剥き出しの魂の表現を見せられては協力せざるを得ない。クラーク平原での王の昏い大人の諧謔とは違い、若く聡明な王女ははっきりと「平和を実現するため、世界の全てが欲しい」そう、自らの詩世界で宣言した。
そのための両翼として、赤裸々に私とアダムを指名すらしてきた。
しかし私は強く拍手をして楽団員達に何度も頷きながらも、多少、重苦しさを感じていた。
既に酸いも甘いも知っている。この村で穏やかに余生を過ごすことは、どうしてもできないのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます