第20話 撒き餌
速度を上げた馬車の中、モーリ王女は嬉しそうに座り込むと馬車内で地図を広げ、自らカンテラを持ち、照らし出す。そして深刻な表情で
「これが昨日昼、戦場のダイナミス平原へと着いた王国軍の大まかな布陣予定図です」
少女に抱きつかれたままそれを見つめた私は思わず苦笑してしまう。
ほぼ高低差のない平原南側に、指令部を含んだ王国軍第一軍一万が2列目で、北側の前衛は何と王国軍騎士団五千だ。左翼である西側には重装歩兵を含む王国軍第三軍五千が並び、右翼には弓兵の多い王国軍第二軍五千が布陣している。後衛には、最も南の第二王女軍千の前進を阻むように近衛兵団四千が布陣している。
第三軍と、第二軍が意味をなしていない。恐らくマルバウ王子直属の騎士団と、自らの指揮する第一軍で開戦と同時に突撃をかけ、ダイナミス平原北部に布陣している帝国軍を一挙に敗北させ戦功を独り占めするつもりだろう。
カートは鼻で嗤いながら
「王子は初めての大戦で戦果を焦ってるね」
「帝国軍野営地の配置図はありますか?」
私の問いにモーリ王女は頷いて、別の地図を出してくる。これは予想通りだった。
堀のない柵だけの、すぐに突破できそうな野営地南側全面に千の弓兵が横に並べられ、その背後に騎兵隊五千、最後尾には歩兵が雑然と九千ほど並べられている。速度の遅い歩兵が騎兵を邪魔をして、大混乱を起こしながら逃走するための布陣だ。当然帝国軍にも数千の損害が出るがそれも王国軍を峡谷深くまで深追いさせるためだろう。
「撒き餌だね」
とカートは言うが、私は用心のため指揮している将の名を訊いてみる。
「ミリー・ソーバルという二十四歳の無名の女将軍です。席次は七十二番目の末席で、階級は准将ですね」
モーリ王女の言葉に少女が反応して
「お姉ちゃん!?えっ!」
つい口を滑らせてしまう。どうやら姉妹が帝国軍将軍だったようだ。私が冷静を装いながら
「アサムリリー君、王国民の君が帝国軍の将軍の妹の訳が無い。大事な話をされているモーリ王女の前で寝ぼけられては困る」
たしなめた風を装う。少女も慌てて
「……ねっ、寝ぼけてたかも……トーバンごめんなさい……恥ずかしい」
照れたふりをして私の胸を出ていって、アダムの大きな背中に隠れた。
カートが察した表情で私に目線を送ってくるが、小さく首を横に振る。人質にするつもりは無いし、自国民の命など塵ほどにも思っていない冷血漢であるバルボロスにも通じはしないだろう。
モーリ王女はニッコリ微笑むと
「私は、兄上が死なねば良いだけです」
私は思わず少し噴き出し、すぐに頭を下げた。恐らくは三文芝居で全てバレた。そして即座に許された。負けぬなら見て見ぬふりをすると王女は言っている。……どうやら水を飲ます迷い猫が王子と王女の二匹ではなく、少女も含め三匹になったようだ。例えとしては不敬で不適かもしれないが、とてもそんな気分だ。
その後、アダムを交え四人で、戦場から消えているバルボロス本隊五千の位置を推測し始める。彼ならば、防備の薄い弓兵が多く布陣している東側から出現し、抉るように北西へと突撃をして、北側へ突出した騎士団と第一軍の背後を突き、そのまま爆薬を埋めてある峡谷へと押し込むのではないかと私が述べると、王女とカートの二人は同意したが、ずっと黙っていたアダムが静かに
「俺がバルボロスなら、最後尾の数が少ない第二王女軍を背後から狙いますね。守備が薄くて王族がいますから。後は指揮経験の浅い将の率いる王国軍を背後から崩しながら、撒き餌と思わせていた北側の帝国軍一万五千にも、用意させていた陣形を即座に組ませ南進させれば、挟撃で王国軍に大損害を与えつつ、モーリ王女とマルバウ王子を両者殺すか捕らえるか出来ませんか?」
と言って来て、私は言葉を失う。間違いなく最善手だ。カートが舌打ちをすると
「峡谷の嫌な記憶自体が撒き餌か……あのクズの考えそうなこった」
王女は何と楽しげに笑い出して
「私もとうとう死神に魅入られましたか!」
アダムはニヤリと笑うと
「ここで襲撃される可能性は?俺が帝国指揮官なら、ここで一網打尽にしますが」
王女は怯えるどころか嬉しそうに
「戦地に近づいていますが、それはないでしょう。出所したてのバルボロスは暗殺ではなく、衆人環視の開戦後の戦場で、我々兄妹を捕らえるか殺したいはずです」
腕を組んだカートが黙って私を見てきたので
「……やはり、デリングが必要だ。それと三百の覆面と大きな死体袋も」
寝たと思っていたが、黙って聞いていたらしい少女が不安げに私の背中に抱きついて
「トーバン!みんな死ぬの?おね……じゃなくてミリー将軍も!?」
私は少し考えると
「アダムの考えが正しくて、私の作戦が上手く進めば、死ぬ可能性があるのは、五千のバルボロス本隊と衝突する、その五分の一の数の第二王女軍将兵と、共に防衛に残った我々傭兵団の一部だけだね」
「……トーバン、よくわからないわ」
私は皆を見回し、両目を輝かせこちらを見つめてきている王女に
「申し訳ありませんが、この戦、勝つことはできません」
深く頭を下げてから、このような事態になった時のため、予てから温めていた腹案を語り出した。
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