〜flash〜

愛世

flash

 あの日、あの時、君と隣同士になれたこと。十五年の人生の中で、私は一番の奇跡だと信じているんだよ。




「九谷さん、これから三ヵ月間よろしくね」


 中学三年生の夏。初めての席替えで私――九谷遥香くたに はるかの隣の席になったのは、彼――瀬戸奏汰せと かなたくんだった。


 それまでクラスの男子とは必要最低限の会話しかしなかった。ましてや仲のいい異性の友達なんていなかった私にとって、彼はただの「クラスメイト」。


 だけどその日から、彼は「お隣さん」になった。


 たったそれだけのこと。何かが劇的に変わるわけじゃない。ただ、隣の席に座る相手が変わったというだけ。


 ……そう、思っていた。




「あれ?それって――」


 きっかけは、とあるマイナーなゆるキャラだった。地元のテーマパークにいる、知る人ぞ知るキャラクター。そのキーホルダーを私はカバンにつけていて、誰かに話題にされたことは一度もなかった。

 だから瀬戸くんが興味を示した時、私は本気で驚いた。


「……瀬戸くん、これ知ってるの?」

「知ってる知ってる。ていうか同じの持ってるよ。俺以外でそれ持ってるヤツ初めて見た」


 思わず目を見開いた。だって、地元の子でもほとんど知らないのに。

 瀬戸くんは嬉しそうに笑いながら、そのゆるキャラの話をしてくれた。まるでずっと前からの友達みたいに、楽しそうに。

 その瞬間、彼はただの「お隣さん」から、「異性の友達」へと変わった。




 休み時間ごとに話す機会が増え、たまにお昼を一緒に食べるようになり、帰る方向が同じと分かってからは、時々一緒に下校するようになった。初めはお互いの友達も交えていたけれど、いつしか二人だけの時も増えていった。


「なぁ、来週のテスト、範囲どこまでやった?」

「私は全然……」

「だったら一緒に勉強する?」

「えっ?」

「今日の予定空いてる?放課後、図書館に行こうよ」


 お隣さんとして始まった関係は、気づけばとても自然で、心地よくて――。

 だから、私は忘れていた。

 これはお隣さんだからこその関係。次の席替えが行われる時、きっとこの時間も終わってしまうのだと。




 季節が変わり、席替えが行われた。

 今度のお隣さんは、いつも俯きがちなメガネの男子。彼が女子と話しているところを見たことがなく、私も例外ではなかった。

 昨日まで当たり前のように話していた瀬戸くんとの会話がなくなり、私は静かな席で授業を受けた。




 ……ああ、こうして私のお隣ライフは終わったんだ。


 そう思っていた、のに。


「――九谷さん!」


 ……どうやらそれは私の勘違いのようだ。


「九谷さん!今日一緒に帰ろう!」

「……え?」


 ホームルームが終った放課後。友達と帰ろうとしていた私は、瀬戸くんからの提案に目をパチクリさせた。


「……私と?」

「そう。この間の勉強、途中だったじゃん。今日よかったら図書館で続きしない?」


 その言葉に、胸が少しだけ熱くなった。

 ……お隣じゃなくなっても、私達の関係は続いていくんだ。


 結局、一緒に帰る予定だった友達に断りを入れ、瀬戸くんと図書館へ向かうことになった。その時、友達がなぜかニヤニヤしながら「頑張れ!」なんて言ってきたけれど。




 静かな図書館、ぱらぱらとページをめくる音。私達は机を挟んで向かい合い、黙々と受験勉強に打ち込んだ。


 ――そう、私達は受験生。もうすぐ、卒業だ。


「あのさ、この問題なんだけど――」

「ああ、これはね――」


 窓の向こうが茜色に染まっていく。静まり返った図書館で、私達の声は不思議と響いた。


「だから、このXは――」

「九谷さんってどの高校受験するの?」


 それは不意打ちだった。驚いて顔を上げると、瀬戸くんは真っ直ぐ私の目を見つめていた。


「……私?」

「うん」

「私は、東高……」


 少し戸惑いながら答えると、瀬戸くんは驚いたように目を見開き、やがて嬉しそうに微笑んだ。


「そうなんだ。俺と同じ」


 その瞬間、心臓が大きく跳ねた。


 それから瀬戸くんは笑顔を保ったまま、再び勉強に打ち込み始めた。我に返った私も慌てて彼に倣い、シャーペンを握りしめた。

 ドキン、ドキン。

 止まらない胸の高鳴り。どうしたんだろう、私。さっきから顔が……熱い――。


 不意に窓ガラスに私の顔が映り込んだ。その顔は、不自然なくらいの笑顔。急に恥ずかしくなった私はぷいっと視線を逸らし、何事もなかったかのようにノートを取り始めた。


 ――今の表情は……なに?


 彼はクラスメイトで、元お隣さんで、異性の友達で。たったそれだけの関係だったのに、私の気持ちは、だんだんと変わりつつ……あった。




 その後、受験を終えた私達は無事合格。

 そして時間はあっという間に流れ、三月――。


「――九谷さん!」


 振り返ると、やっぱり彼がいて。卒業証書を片手に元気に走ってくる姿がそこにあって――。


「卒業おめでとう!また高校三年間もよろしくね!」

「――うん!」


 ただの友達ではない、だけど恋人でもない。

 名前のつけられない、このこそばゆい関係。

 けれどいつか、この関係に名前をつけることができるならば――。

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