影を継ぐ鍵師
JASピヲン
プロローグ:鍵と箱の約束
春の陽射しが小さな町を柔らかく照らし、木々の若葉が風にそよいでいた。鍵師の工房の扉が軋みながら開き、薄緑のマントを羽織った女性が静かに入ってきた。肩に小さな荷物を背負い、顔はフードに隠れている。手に持つ古びた本が、彼女の存在をさりげなく際立たせていた。
カウンターに立つ白髪交じりの男が目を上げ、ぶっきらぼうに声をかけた。
「何だ、お前さんか? また鍵か?」
女性は一瞬躊躇い、ゆっくりと頷いた。低く落ち着いた声が響く。
「ガルドさん、今度は箱に使う錠前を作ってほしい。頑丈なやつで……大事な物を守れるものがいい。」
男は眉を寄せ、じろりと彼女を見た。
「大事な物ねえ。どんな箱だ? 大きさは?」
「これくらい。」
女性が両手を広げ、小さな箱の形を示す。男は鼻を鳴らし、作業台に視線を戻した。
「頑丈なら鉄だな。鍵に特別な細工がいるか?」
「お願い。誰にも開けられないようにしてほしい。」
かすかな切実さが声に混じる。男は手を止め、ちらりと彼女を窺った。
「誰にも開けられねえ錠前か。いつもと違うな。何をそんなに守りたいんだ?」
女性は答えず、静かに微笑んだ。春の風が工房に吹き込み、マントの裾を軽く揺らす。彼女は古びた本を胸に抱き、そっと呟いた。
「失くしたくないものなの。ずっと、守りたいもの……」
男は肩をすくめ、工具を手に取った。
「まあいい。1週間後に来な。錠前と鍵、用意しとくよ。」
女性は小さく頭を下げ、工房を出た。扉が閉まる音が静かに響き、春の日差しが彼女の背中を照らす。男は鉄を削りながら、独り言を漏らした。
「何だかんだ言って、毎度妙な注文だな……」
工房の外で、女性は町の端へ歩き出した。春の風が吹き抜け、彼女の足跡をそっと消していく。
プロローグ 完
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