実家と川上之嘆 1

「人は最期を重要視するから、他人の最期を決めて引き金を引く私達は罵りを受けることもある。だけど、目は逸らしたくない。生きたかった人間の切望と残される人間の恨み、全部を受け止めてでも私は自分の役割を全うして、両方の人生を守らなきゃいけない」

 女は、姉の診和みわはそう言って、煙草に火を付けた。雨樋から落ちる滴が地面に跳ね、埃一つ付いてないジャッケットの袖を濡らしている。黒く湿っていく布を、診和はただぼんやりと眺めていた。

 須川すがわは思った。姉はこんなにやつれていただろうかと。元々あまり生気の感じられない人ではあったが、目元にクマは無かったはずだ。私服のブラウスのシミは放っておくような無頓着な人間でも、仕事着であるスーツだけは一張羅のように扱っていたはずだ。

 須川は診和の様子に違和感は感じていたが、なんとなく口に出すことは出来なかった。


「感想は無し?」

「……何の話だった」

「あんたが聞いてきたんでしょ、なんで仕事続けてんのかって。ったく、せっかく格好付けたのに」

 診和は呆れたようにため息をついた。そういえばそんなことを聞いていたのを思い出す。絶え間なく降り続ける雨の中を縫うように、とんびか烏かが飛んでいる。


 彼岸の墓参りにでも帰ってこいと母に呼び戻され明朝に帰ってきた診和は、墓参りを終えると須川の首根っこを掴むように襟を鷲掴みにし、無理矢理縁側まで連れて行った。

 まだ吸えもしない人間を喫煙中のおしゃべり相手に選ぶのは横暴な行為だが、須川はその乱雑さに懐かしさを感じていた。幼い頃はよく引っ張り出されるようにして遊びに連れ出されていたからだ。


「……墓であんなこと言うから気になったんだよ」

「なんか言ったっけか」

 診和はとぼけたように返す。須川は診和が墓場で呟いた言葉を覚えていた。「どうやって続ければいい」と、その場にいた両親には聞こえないような、土の下で眠る先祖に向かって聞いているように呟かれた言葉だ。疲弊しきった声で発せられたその言葉が、須川の胸に引っかかっていた。

 姉は何も言わず、曖昧に笑うだけだった。それ以上は聞いてくれるなとでも言うように煙草を咥える。

「姉貴、いつから吸い始めたんだっけ」

「さあ、一年ぐらい前? 仕事中に一瞬だけでも気を抜きたいときの良い口実だったんだよ。……それで、あんたはいつから『姉貴』呼びし始めたんだろうね、時々名前でも呼んでくるし。ちょっと前まで『姉ちゃん』って言ってただろ」

「別にいいだろなんて呼んだって」

「裏山でお父さんにしごかれながら、合間ぬって遊んでたのが懐かしいね。度胸試しとかさ」

「人の話聞けよ……」


 須川が気まずそうに額を掻いた時、診和の携帯の着信音が鳴り響いた。一息付いてから電話に出た診和の顔色は、あまり良いものではなかった。

「呼び出されたから私は仕事に戻る。父さんと母さんによろしく伝えといて」

「もう出るのかよ。忙しすぎじゃねえか」

「仕方がないよ、逃げるわけにもいかないから」

 縁側に座っていた姉は立ち上がると、少しの間須川の方を呆然と眺めた。

 何を考えてかは分からない。ただ、一瞬だけ傷ついたような表情をした気がした。


「……あんたまたデカくなったね。身長いくらになった?」

「あ?いや、つっても百七十ちょいだけど。俺よりデカい奴だって山ほどいんだろ」

「山ほどではないね。でもまだまだ伸びるよ。もっと頑丈になる。顔つきも父さんに似てきたし」

 須川が顔を歪ませると診和は少しだけ笑った。須川からしてみれば久しぶりに見る姉の気を抜いた表情だった。


「あんたはしっかりやるんだよ」

 診和は小さい呟きと煙草の残り香を残し、縁側から去って行った。

 須川はその姉の背中が、小さくも感じた。

 それからしばらく後、もうじき桜が咲き始めるだろうと浮ついた空気が漂っていた四月の始め。一週間続いた陽気な天気から一転し肌寒さを感じるような曇りの日。昼頃からだっただろうか、小雨がちらついていて寒い日だった。

 診和は山中で遺体となって発見された。見つけたのは須川だった。

 首から下の皮と肉、内臓は消え失せ、骨格と顔だけが綺麗に残っている状態だった。周囲には泥で汚れたような白い羽根が散乱し、診和の体の周りを覆っていた。疲れた体を休めているだけとでもいうような、寝ているような死に顔だった。


 遺書とも捉えられるような、妙にかしこまった言葉で周囲への謝罪が纏められている書き置きを最初に見つけたのも須川だった。夜通し診和を捜索していた須川は、姉の顔を見て思わず眠る人間に声を掛けるように名前を呼んだ。返事は勿論返ってこない。

 さらけ出されていた肋骨の見慣れない白さが、須川の胸の内側に突き刺さるようだった。


 ====


「祟化って言うのはですね、矢至やいた君。神使しんしによる祟りだと言う人もいますが、最期の望みを叶えてくれる手段だと言う人もいるんですよ」

 鹿倉ししくらはホワイトボードの前でそう言った。

 管理局のオフィスは今日も雑然としている。パーテンションに仕切られた一室、研修室の中で、矢至やいたはよく分からない書類のホチキスを取り除きながら鹿倉を見返した。

 須川や鹿倉、それに以前上司だと紹介された本郷ほんごうは、何かにつけ矢至に色々と教えてくる。ここにくるまでは、まるっきり触れてこなかった知識だ。


「手段?」

「ええ、祟化たたりかっていうのは必ず大きな暴力性を伴います。普通の人間では到底手に入らないほどの力に加えて、祟化した人の強い願望だけは残るという法則。これを知った人の中には、あえて遺骸を口にする人がいるんです。そうやって成されることは復讐や強奪の手段がほとんどですね」

 こともなさげに鹿倉はそう言うと、本郷が置いていった茶請けの煎餅を囓った。「食べますか?」と差し出されたので受け取り囓る。ごま醤油味だった。鹿倉は茶を啜ってから話しを続けた。


「変身譚、というものがあります。昔話や神話の分類と言ったら良いでしょうか。主に人が獣に、獣が人になる物語がそう呼ばれます。この変身譚として残ってる話のいくつかは、成し遂げられなかったことを獣の姿になってから成す物語もあるんです」

「……その変身譚のモデルってもしかして祟化した人間か?」

「そうです。物語として語り継がれるような昔の時代から、遺骸に手を出し祟化する人間がいた。そして話は変わりますが、管理局ができるより以前までそういった人間の対応を任されていた人達が須川家なんです」

 矢至は目を見開いた。

 確かに、管理局に通うようになってから数日後に気付いたのは、須川と接する局員達の妙な空気感だった。よく言えば畏敬、悪く言えば恐れを抱くような雰囲気。明確な距離感。

 ただの上司として、もしくは部下として接しているのは鹿倉と本郷のみだった。須川の威圧感のある態度が原因と思っていたが、そういった理由ではないようだ。


「ところで須川さんはどこ行ったんだ? 今日は見かけてないが」

「分かりませんけど、矢至君がここにいるってことは少なくとも会社から出てないと思いますよ。大変ですね、監視役がいて命が常に脅かされてるってのも」

「他人事みたいに言うなよ……」

「他人じゃないですか」

 矢至は顔を歪めた。本当のことだから言い返す気にはなれない。変わりにホチキスの針を黙々と抜き続けると指先が痛くなってきた。見透かしたように鹿倉が手元を覗いてくる。

「手袋とかいりますか」

「したら余計取りづらくなるだろ」

「真面目ですね」

 冷えきった空気感に反して、鹿倉の態度は奔放だ。初めて会ったときはこんな雰囲気の相手じゃなかったはずだが、同僚になったら無礼講ということなんだろうか。

 世間話でもするみたいに、鹿倉は話を続けた。


「先日須川さんと矢至君があたった祟化事案の女性の方、無事に遺骸いがいを吐き出せたみたいですよ」

「そうか」

「嬉しそうですね。表情に出てます」

「……嬉しいっていうか安心したんだよ」

 矢至はまた顔を歪めた。顔に力を込めてはみたものの、今更取り繕ったところでどうにもなりはしないんだろう。

 鹿倉はそんな矢至の様子をのんびりと眺めていた。


 ホチキスを全部外し終えた頃、扉が乱暴に開く音がした。次いで近づいてきた生き急ぐような足音が誰の物なのか、矢至はすぐにわかった。

「矢至、また祟化事案の仕事だ。情報提供者に急かされてるから、泊まりの準備さっさとしてこい」

 研修室に顔を覗かせた須川は、苛立った声でそう言った。手には大きな封筒を持っている。短い前髪をかき上げた額に青筋が浮かんでいるような気がしなくもなかった。

「今度はどこに行くんだ」

「ここから車で一時間ぐらい。辺鄙でのどかなとこだ。祟化の痕跡の写真は送られてきてねえが、山の中でことが起こっているらしい。祟化を起こしているのが獣の可能性もあるから、鹿倉も同行してくれ」

「なんか情報が曖昧だな?」

「疑ってんのか? 気持ちはわかるが、情報提供者は確かな相手だからガセじゃねえ」

 須川は貧乏ゆすりでもしそうな勢いで椅子に座った。矢至はこっそり鹿倉の方へ身を寄せる。


「なんか須川さんいつにも増して荒ぶってないか……? 机ひっくり返しそうな勢いだぞ」

「あー……多分須川さんの言う情報提供者のせいですね」

 封筒を裏返しそこに書かれた文字を見た鹿倉は苦笑した。

「その情報提供者って誰なんだ?」

 鹿倉は須川に方をこっそり指差しながら、短い単語を言い放った。

ですよ」


 ====

「矢至君、祟化についてある程度把握してきたでしょうが、神使についてはどうですか?」

「少ししか……」

「なら今から覚えれば良いですよ。体は頑強で治癒能力が高く、身体能力も非常に優れている。私はこの種を、神秘的な存在と言うよりも、生物として他の物よりも卓越した存在だと思っています」

「須川さんは時々教師みたいになるけど、あんたは学者みたいになるな」

「ありがとうございます」

 急に始まった勉強会に頭を抱えつつ、矢至は車窓を流れる景色を眺めた。大きなスーパーやドラッグストアに混じって田んぼや牛舎が見える。辺鄙でのどかなところ、という須川の話は本当だった。

「祟化した時の特徴は神使の生態を真似ているのではないかという説もあるんです。ちなみに面白いことに、神使は繁殖行動、幼体が確認されていないんですよ。加えて同種の生き物の言葉を良く聞き、そして寄り添うなんて言い伝えもあるんです。興味深いですよね。あ、繁殖行動って言うのはつまり交」

「鹿倉、その話は後でもいいだろ……」


 何かを言いかけた鹿倉の話を止めるように須川は割り込んだ。

 授業じみた会話と、言いかけていた言葉が中断されたことに矢至は安堵を覚えつつ、エンジンが止まった車から降りた。

 水が流れていく音がすぐそこから聞こえる。錆びた鉄柵から身を乗り出すと、数メートル下に河原が見えた。流れの穏やかな川には日の光が反射し、輝く川の中央には青鷺が棒立ちになって気配を殺している。

「何見てんだ。何も変わった物なんてないだろ」

「だって、家の傍に河原があるって珍しいだろ」

「ガキの頃からこの環境だとそうは思わねえな」

 矢至は振り返り目の前に建つお屋敷と言った方がしっくりくるような家を見た。黒く濡れたような質感の瓦に横に長い家屋。庭には砂利が敷き詰められ端の方に庭園らしきのが見える。家の周りにある囲いは、周囲を拒絶するような頑丈な竹垣でできていた。

「あんたボンボン息子だったんだな……」

 矢至が大きな日本家屋を呆然と眺めた後にそう呟くと、須川が後頭部を思い切り叩いた。衝撃で前のめりになった矢至を見て鹿倉が愉快そうに目を細める。


「自分の家のこと、矢至君に話してなかったんですか?」

「わざわざ話すことでもないと思ったんだよ」

「事前に話してくれてたら殴られることもなかっただろうな……」

「おちょくるようなこと言うからだろ」

 須川が玄関の扉を開けると、だだっ広い土間に奥の方には襖が何枚も見えた。須川が廊下の奥に向けて声を掛けると、近くの座敷から女が顔を出す。

「あら診鶴みつる? 帰ってきたんだ」

「親父からなんも聞いてねえのか」

「何にも。ここ数日書斎に籠もってぴりぴりしてるだけ」

「つまりいつも通りってことか……」

「今も書斎にいるから会うならそこに行くといいわ」

 女は苦笑を浮かべると、須川の後ろにいた矢至と鹿倉に姿に気付いた。


「あら、気付かないでごめんなさい……須川の母のかえでです。えっと、管理局の方?」

 須川の母は名乗ると鹿倉だけに手の平を向け首を傾けた。そっと管理局員であることを除外された矢至は渋い顔する。

「そっちのスーツじゃない方も同僚だ。わけあって正規職員じゃないから適当な格好なんだよ」

「まあ、ごめんなさい学生さんかと」

 楓は慌てて頭を下げた。柔らかな雰囲気も態度も両方須川には似ていない。

「適当すぎて職員だと思われてないじゃないですか」

 見栄を張って立派に見られたいわけじゃないが、せめて社会人だと思われたかった矢至は、呟かれた鹿倉の言葉に矢至は為す術もなく唸った。


 長い廊下を進んでいく須川の後を追いながら、矢至は廊下を見回した。廊下の途中途中、花瓶に生けられている花は全て白い百合か菊の花だった。なんとなく葬式を思わせるような色合いだ。家の中は広い割に異様なほど静まり帰っている。

 矢至は自分の父親の葬儀の時を思い出した。あの時は良くも悪くも、矢至にとってはほとんど悪い印象として騒がしかった記憶が残っている。この屋敷内には、そもそも騒ぎを作る人間はいないようにも思えた。

「盆正月もこんな感じだ。人が集まることはほとんどねえ。金はあるが人望がないんだな」

 矢至の思考を見透かしたかのように須川が呟いた。

「自分の家に対して大分辛辣だな」

「本当のことだ。ガキの頃に人殺しの家の人間だって言われたこともある。別に今となっちゃ気にしてねえがな」

「それは人望がないんじゃなくてそいつがおかしいんだろ」

 脳裏に過ぎったのは家の周りを囲っていた頑丈な竹垣だ。あれは周囲の人を拒絶しているのではなく、家の中にいる人間を外部の視線から守るものだったのかもしれない。


 呟いた矢至の方に振り返った須川は、憤った表情を浮かべる矢至を見て気が抜けたように肩の力を抜いた。

「そんな顔すんな。本当に気にしちゃいねえよ。それに周りにいたのは怖がってくる人間だけじゃなかった。お前らだってそうだろ」

 矢至の隣で、鹿倉は目を見開いた。

「須川さんには銃師匠になって貰った恩があるんで、流石に邪険にしないですよ」

「それで十分だ。ありがとう」


 矢至は須川のシャツの胸ポケット辺りを見た。須川の銃の関することはずっと気になっていたことだ。鹿倉が猟銃の持ち運びを常にしないのは分かるとして、須川はジャケットで隠してはいるが常に銃を身につけている。銃自体も数回見ただけだが、通常の物と少し異なる形状に思えた。

「須川さん、その銃って……」

「あ? ああ、そういえば言ってなかったか。いや、それこそお前にこのことを詳しく話すのはやめておいた方がいいと思って話してなかったんだが」

「矢至君にも万が一がありえますからね」

「……安楽処置のことか」

 須川と鹿倉は曖昧に頷くと、廊下を進んでいった。不安を覚えさせないようにという気遣いからなんだろうか。

 そうだとしても、矢至は少しの疎外感を感じながら二人の後を追いかけた。三人分の足音だけが寂しさを感じるほど物静かな屋敷の中に響いていた。

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