遺骸管理局 祟化対応課局員の記録

がらなが

烏と蛇 1

「お前バカだからよ、街で警官なんかに遭遇したら目泳ぎまくって職質されて、そんでもって荷物の中身聞かれて終いだろ。誤魔化しなんてできるわけがねえ。だから山だ。山に入って歩いてけ」


あんまりな言い草じゃないかと矢至やいたは思った。しかしバカなのは言われたとおり本当のことなので言い返す気力も無い。

閉め切ったカーテンの隙間から黄ばんだ壁紙に向けて夕日が差し込んでいる。壁にかかった露出率の高い女の写真が乗っているカレンダーは面倒なのか誰も捲りはしないから、三ヶ月前の日付のままだった。


矢至は十五のころからこの半グレ紛いの連中のパシリをしていたから、言い返したらどうなるかはよくわかっていた。

大鱗おおいらは先程の言葉を吐き捨てると少ないであろう報酬の話を手短に済ませた後、テーブルの上に置かれていた物を投げ渡してきた。包装紙で包まれたそれはティッシュ箱ほどの大きさでずっしりと重みがあり、そして冷たい。体温を失った赤ん坊を受け取ったようだった。


ソファに座りコンビニ弁当を貪りながら、大鱗はわざとらしく腕まくりをした。手首に巻かれた十八金の時計と、シャツの隙間から現れた爬虫類の鱗の刺青が目についた。

「いいか矢至、遅れんじゃねえぞ、今日中に届けろ」

大鱗から受け取った荷物にはメモが貼り付けられている。届け先の住所だろう。簡易的な登山道の地図もあるが、何より目に付いたのは書かれた住所の一番最初の文字が隣県だったことだ。

今から出発して休みなく歩いても間に合うだろうか。分からない。分からなくてもとにかくやるしかない。

大鱗の言葉からは、届け終わるまで何があっても帰ってくるなという圧を感じたからだ。


大鱗は話を終えると弁当パックの殻もそのままに煙草に火を付けた。周りにいる数人の男達も同様に煙草を吸ったり競輪の新聞を眺めたりしていている。矢至への興味は少しも無いようだった。


矢至はアパートの一室を出た。外廊下の蛍光灯が音を立てて点滅を繰り返している。数カ月の間積もっていた雪は最近になって溶け始め、コンクリの床が露わになっていた。

床には虫の残骸が僅かに散らばっている。街と農村部の間にあるこのアパートは山が近いため、夏から秋にかけての虫の集まり方が酷い。

廊下を掃き掃除するなんて丁寧な人間はこのアパートには住んでおらず、秋あたりに死んだ虫が今の今まで放置されていた。

蛾のすり切れた羽根を矢至はぼんやり見つめる。

気色が悪いというよりも、親近感を感じていた。いつか自分も、こうなるのかも知れない。


矢至は扉のすぐ側にクーラーボックスが置かれていることに気付いた。これに荷物を入れろと言うことだろう。クーラーボックスの中には氷がぎっしり詰まっていて、荷物を入れると閉めるのが大変だった。背負うと、臓器を運んでいるような気分になった。そういう脅しを見かけたことはあるが、実際に運んだことはない。そう思いたい。


矢至の腹が不満を訴えるように鳴った。大鱗に呼び出されるまま食事も禄に取らずにここに来たせいだ。空腹を出来るだけ無視し、矢至はクーラボックスの紐を肩に掛ける。

批難するような冷たい風が首筋を締めるように吹き、矢至は腕を擦りながらアパートの錆びた階段を降りていった。


この雑用が仕事なんかではなく、体のいい厄介払いのための口実だったと矢至が気付いたのは、アパートを発ったその日の晩だった。

季節が戻ったように細かな雪が降りしきる夜の山道で、矢至は渡された地図がでたらめだったことに気がついた。


指先が痛くなる程の寒さに震えながら、その場に崩れ込んだ。周囲に人の気配はまるでない。氷と荷物の詰まったクーラーボックスが傍にあるだけだった。


====


病院は嫌いだ。ほとんどの人間がそうだろうが、ほんの少しも良い思い出がない。

矢至は病院特有の匂いをベットに横たわって嗅ぎながら、ため息をついた。ここにいると働き過ぎで倒れた父親の姿を思い出してしまう。


十五歳のころ、職場で父親が倒れたらしいという報せを聞いて矢至が病院に駆けつけた時には、父親は既にいくつもの管に繋がれていた。弱々しささえ感じてしまう心電図の音が寿命のカウントダウンにも聞こえ、ぞっとするような青白い顔を呆然と眺めることしかできなかった。

一度だけ目を覚ました父親は何かを伝えようと口を開いたが、矢至は最期の言葉を聞くのがひたすらに恐ろしくて、なんでこんなになるまでとか、早く良くなってくれよと一方的にまくし立てた。父親が一人きりで死んだのは、その日の夜だった。


「体調お変わりないですか?」

「最悪だよ。早く退院させてくれ」

「また午後検温に来ます」

看護師と短いやり取りを終え短く息をつくと、矢至は少しばかり吐き気を覚えて顔を顰める。

気を紛らわそうと廊下を眺めると、他の入院患者の見舞い客がしょっちゅう通った。

矢至の病室には一度も誰も見舞いに訪れてこない。

もう身内がいないんだということをここ数日で突きつけられ、矢至は奇跡的に山から下山できたにも関わらず気が滅入りそうになっていた。


数日間山で彷徨い歩いて倒れた末、偶然にも警察に発見され病院に運び込まれたまでは幸運と言っても良かった。

目を覚ました直後から覚束ない意識のまま刑事らしき人間から事情徴収を受け、点滴を流し込まれ、嘔吐する。それ以外の時間はテレビを見ているか点滴を眺めるぐらいしかすることがないのは不運でしか無かった。

時々検温や様子見にやってくる看護師とも最低限の会話しか交わさず、声色には矢至を腫れ物扱いするような雰囲気がする。どういうわけか矢至以外に患者のいない大部屋はいつも静まりかえっていて、寒ささえ感じるほど寂しげな病室にはテレビの音声だけが淡々と流れていた。


物音に対して敏感になったのは、極度の退屈と不安からくるものなのかもしれない。寝ていても看護師が来るときは部屋に入ってくる前に分かるし、たった今廊下から聞こえる二人の話し声にも気がついている。

男と女の声だ。会話の内容までは不明瞭だったが一言二言言葉を交わすのが聞こえた後、ズカズカと無遠慮な一人分の足音が近づいてきた。


現われたのはスーツを着た目つきの険しい男だった。男はベットに座る矢至を睨みつけるように見下ろした。

「お前が矢至貴琉やいたたけるだな。詳しいことは後で話す、転院だ」

「は……?」

短絡的によくわからない要件だけを伝えた男は、短い前髪をかきあげてまとめた公務員のような風体をしている。お役所仕事をしている公務員というよりも、刑事と言われた方がしっくりするほどの威圧感だ。

少し遅れて同じくスーツを着た女も病室に入ってくる。

「誰だよあんたら、警察か……?」

遺骸管理局祟化対応課いがいかんりきょくたたりかたいおうか須川診鶴すがわみつるだ」

「管理、何?」

矢至は須川と名乗った目の前の男を睨んだが、返ってくる視線が人を殺してきそうなものだったので思わずひるんだ。隙の無さそうな姿からは殺気だった気配を感じる。

横から聞こえてくるテレビの音声でどうにか気を誤魔化せて極度に緊張せずにはいられたが、無意識に掌を握りしめていた。


「須川さん、私が説明しますよ」

「……急を要するから手短にな」

「矢至君、私は同じ部署の鹿倉ししくらと言います。私の役目は矢至君が転院するための足役です」


須川の後ろに立っていたスーツ姿の女が変わって出てきた。須川よりも大分若いが外見に見合わずかなり落ち着いていて、物腰が柔らかい。

いくらか空気は和らいだものの、依然として須川は矢至から視線を少しも外さず睨み付けていた。

「さっき言ってた、なんたら局っていうのもよくわからないんたが、まずなんで転院なんてしなきゃいけないんだよ」

「遺骸管理局だ。お前あまり勉強してこなかったな。まあいい、この説明は後からする。まずはお前の状態についてだ」

カートを押した看護師が廊下を通りがかる。横目で矢至達のいる病室を伺っていたが、須川が見返すと気まずそうに目を逸らし通り過ぎていった。


「矢至君、君の今の状態を分かりやすく言うと、特殊な病気に掛かっているような状態です。なのでその処置をするために別の場所に移ってもらいたいんです」

鹿倉の言葉に矢至は曖昧に頷く。

事態が急すぎてよく分からなかったが、次第に看護師から言われていた言葉を思い出した。場所を移動するかもしれないと確かに言われていたが、それを聞いた時はまだ目覚めた直後で、意識がぼんやりしていた


「追加の説明は移動中の車内で説明する」

「ま、待てよ、俺は山の中でぶっ倒れただけだ。そんな変な病気なんてなんも覚えが」

「急いでんだよ。とりあえずこれ見て納得しろ」

須川が一枚の写真を見せてきた。黒い布の上に置かれた、数枚の白い羽根の写真だ。羽根は何やらべったりと湿っていて羽毛が所々束になっている。

「これがどうしたって言うんだ」

「お前がここに運び込まれてから数回、嘔吐剤が処方された。その時にお前が吐き出したのがこれだ。お前の意識が半分無い時だったから覚えがないだろうがな」


矢至は口を抑え、ただでさえ良くなかった顔色を青ざめさせた。

自分の胃の中で何かが起こっている。

一瞬頭に思い浮かべたのは、胃の中にびっしりと詰まった羽毛だった。

「……転院しなきゃいけないのはとりあえず分かったけど、段取りとかあるんじゃないのか」

「病院側に話は通してある」

「でも、俺の、荷物とかって……」

歯切れ悪く質問すると、須川の視線がより一層鋭くなった。身につけていた大きな肩掛けのカバンから何かを取りだし始める。須川が取りだしたのは、見覚えのあるクーラーボックスだった。

「これの中身についても車内でじっくり聞かせて貰う」

取り調べでも始めるかのような須川の声色に、矢至は胃が絞られるような感覚がした。

絶対禄なことにならない。そう思ったが、逃げ出す体力も気力も無かった。


====


「矢至貴琉くん二十歳。地元の警察が別の行方不明者の捜索で山岳に出ていた際、倒れているところを発見され病院に搬送される。と、これで合ってますよね」

信号待ちの間、鹿倉は何かの資料に目を通していた。後部座席で俺の隣に座っていた須川が唸るように前を見ろと注意する。短い返事の後、車はまた動き出した。低い外気温が車のフロントガラスを曇らせている。

「合ってる」

矢至は小さな声で頷いた。と言っても自分で状況を把握していたわけじゃなく、目覚めた後に警察から聞いた事情だ。

「ラッキーでしたね。他の遭難者ついでに発見させるなんて。そうでなきゃ低体温症と栄養失調で死んでましたよ。あ、ちなみに捜索届が出されていた行方不明者もちゃんと生きた状態で見つかったみたいです」

「そうかよ……」

「反応薄いですね」

鹿倉は苦笑していたが、矢至はそれには答えなかった。

矢至は気分の悪さをどうにかしようと息を深く吐き、脂汗が垂れてきた額を拭った。


正直に言えば矢至の体調はあまり良くなく、体力は以前よりもずっと落ちていた。

着替えてベットから起き上がり、駐車場まで歩き車に乗り込んだだけで酷く息切れがした。

弱音を吐けなかったのは、まるで圧を掛けてくるかのようにすぐ隣に須川が座っているからだ。警察の事情聴取も胃が縮む思いだったが、今はもっと酷い。車内が須川一人の雰囲気だけで取調室のような空気になっている。

「なんで山で遭難してたんだ」

「それは……」

須川の問いに矢至は言い淀んだ。隠しきれない内心が表に出てくるように手汗が滲む。額から更に滲みだしてきた汗を袖で拭うと、須川にハンカチを渡された。飴と鞭のつもりだろうか。一応ハンカチは受け取ったがそれで汗を拭く気にはなれなかった。


「言いづらいってことは後ろめたいことが理由だな。んだろ」

矢至は口ごもり、何も言葉を返せなかった。胃が痛む感覚がしながら矢板の脳裏に浮かんだのは、荷物を運ぶ直前に言われた言葉だ。

『お前バカだからよ、街で警官なんかに遭遇したら目泳ぎまくって職質されて、そんでもって荷物の中身聞かれて終いだろ。誤魔化しなんてできるわけがねえ』


概ねその通りになった。誤魔化す術も機転の利く頭脳も生憎持ち合わせていない。

矢至の口からは、疲れ切った声が出た。

「食い扶持を稼ぐために、五年ぐらい前から柄の悪い連中の雑用をして生活してた。そのクーラーボックスもそうだ。荷物運びとして持たされた。実際のところあいつらは荷物を運んで欲しかったんじゃなくて、俺を厄介払いしたかったみたいだけどな」

須川は顔を顰め腕を組んだ。質のよさそうなスーツにシワが寄っている。須川の眉間と同じ状態だった。

「……五年ぐらい前って、中学出たばかりのころだろ。お前家族は?」

「お袋は余所に男作って出てったし、親父は俺が十五のころに働きすぎて死んだ。親父とお袋はほぼ駆け落ち状態だったらしくて、俺を快く預かるような親戚は現われなかったよ。ようやく引き取られた親戚の家でも白い目で見られてばっかだった。……俺に仕事寄越してた奴らの場所は、多少居心地が悪くても俺の居場所だったんだ」

そこまで話すと、矢至は体が強張らせた。須川の舌打ちの音が耳に届いたからだ。


「お前はそう思ってるかもしれんが、少なくともお前に荷物を渡した奴らってのはまともな人間じゃねえだろ。そいつらから犯罪紛いの手伝いをさせられたのも今回が初めてじゃないな」

「それは……」

「危険な仕事をさせるだけさして、いざとなったら切り捨てられてお終い。そんなのが起こり得る場所を居場所なんて言わねえよ。そいつらは都合良く人間を使ってただけだろ」

須川は頭を雑に掻くと、吐き捨てるように言った。

「……須川さん」

窘めるように鹿倉が声を掛ける。須川はため息を吐くと、助手席側からあのクーラーボックスを取りだした。

クーラボックスは矢至が山で倒れた時の薄汚れた状態のままだ。

飢えと寒さと、方向がわからなくなった時の不安感を思い出し余計気分が悪くなった。


「お前、運ぶ前からこの荷物の中身知ってたのか」

「知らない。見ない方がいいと思った」

「そうか」

須川は肩を落とし息を吐き出した。運転をしていた鹿倉の視線が一瞬だけ意味ありげに後部座席に向けられる。須川は無言で頷いた。

意図が読めない一連のやり取りに矢至は不安になり、唾を呑んだ。

須川は座席下に置いていたカバンからクリアファイルを引き抜くと、そこから一枚の写真を取り出し矢至の前に翳した。

「入ってたのは、これだな」

白い布の上に、肉の塊が置かれている。レバーを彷彿とさせるような脂身の見えない赤身。

矢至は無言で頷いた。

白い布は肉から溢れた汁を吸ってか僅かに湿っている。肉は高級な牛肉のように整形された大きな物だったが、端のほうに数回囓った痕跡があった。


「お前が荷物の中身を食ったのは、山の中でだな」

フロントガラスにみぞれが被り始め、ワイパーがそれを避ける。

須川の言葉とみぞれ。思い出したのは、やはり飢えと寒さ。いつまでも続く杉林の中で、冷えた生の肉を囓る感覚だった。

矢至は唇を噛みながら頷いた。

「腹が減ってたから寒かったのか、寒いから腹が減ったのか、よく分からなかった。とにかく両方キツかったんだよ。もしあの時キノコを見つけてたら、色がヤバくても食ってたと思う。でも食えそうな物は何も見つかんなかった。とにかく腹を満たしたくてしょうがなくて、荷物の中身を見たら、それが入ってたから……」


須川と鹿倉が少しの間押し黙った。気まずい静寂の中で聞こえるのは、車の暖房の音とカーナビから流れるテレビの音声のみ。

口を開いたのは、須川だった。

「矢至、お前が食ったのはとんでもない毒物だ。呪物と言ってもいい。食った人間を祟り、体を蝕み、そして破滅させる神使しんしの肉だ」


矢至は目を見開き、頬を引き攣らせた。過度な緊張は乾いた笑いを作り出したが、何一つ面白いことなんてない。

カーナビは昼時のバライティ番組を流していた。のどかな昼時に似つかわしいテンションで焼き鳥の食レポを行っているのが聞こえてきたが、気は少しも紛れなかった。

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