彼女に脅されて雛祭りをした話

透峰 零

在りし日のひなまつり

 この年になって折り紙をしている。

 二十五にもなった男が、タバコ片手に、日に焼けた畳に胡座をかいて、ちまちまと。

 俺は煙と共に深いため息を吐き出し、飛び出した紙の先端を折り曲げた。後は白い裏部分に、マジックで目鼻を描けば完成である。

 何を作ったかというと、男雛だ。

 分かりやすく言うとお内裏様。雛飾りの最上段に女雛と共に鎮座し、桃の節句を飾る風物詩となる、あの雛飾りの男の方だ。

 ついでに言うと、近くには三人官女と五人囃子、左大臣と右大臣も転がっている。

 折り紙を余らすのが勿体ないという貧乏性と、無駄に器用な己の手先が少しばかり恨めしい。

「顔は描かねぇからな」

 のっぺらぼうの相手にぼやき、灰皿に灰を落とす。

 ちょうどそこで、畳同様に薄汚れた襖が音を立てて開いた。流れ込んできた酢の香りが、タバコの匂いに混ざる。

「おお、出来たか! しかも多いな!」

 入ってきた女がはしゃいだ声を上げる。確か俺と同い年のはずだが、その様は実年齢よりも幼く見えた。本人に言うと「お前にだけは言われたくはない」とカウンターを食らうので言わないが。

 そして、そもそもの始まりは、この女だった。

「そっちは?」

「うむ、出来ている」

 元凶おんなは妙に偉そうにふんぞり返ると、右腕で抱えていた小ぶりな寿司桶を差し出した。

 覗き込むと、目に飛び込んできたのは可愛らしいピンクと黄色の色彩だ。豪快な彼女の性格からは予想できない華やかな彩りに、俺は思わず「ちゃんとちらし寿司だ……」と漏らした。

「どういう意味だ」

「いや、俺に折紙人形の制作頼むくらいだから、どんだけ不器用なんだと思って身構えてたからさ」

「人並みには器用だ」

 女の片方だけ青い目が、剣呑に眇められる。

「お前が「酢飯なんて酢とご飯混ぜれば良いんだろ」などと適当をかすから、そちらを任せただけだ」

「そりゃ悪うございました」

「安心しろ。そもそも、今日が雛祭りということを認識していなかった時点で、あまり期待はしていない」

 女の言葉に、俺は少しばかりの恨みを込めて反抗を試みる。

「仕方ないだろ。こちとら、昨日まで泊まり込みで合宿訓練だったんだ。で、帰ってきたと思ったら、休みにあんたが押しかけてきたわけだ――そいつと一緒に」

 親指で俺が示した先にちょん、と座っているのは、片手にのるサイズの小さな女雛である。こちらは折り紙ではなく、上質の絹を纏ったおっとり顔の京雛だ。

「冷たいことを言うな。お前も特殊資料調査官だろう」

「似顔絵捜査官みたいなノリで言うんじゃねえよ。似てるのは手当がないことと不定期なことくらいだろうが。ついでに言うと、今回のはあんたの個人的な仕事絡みだろう」

 女にそう返し、俺は長くなりすぎた灰ごとタバコを揉み消した。


 特殊資料とは、(認めたくはないが)俗に言う幽霊や呪いなどの『非現実なこと』に関わる事案のこと全般を指す。

 俺自身はそういったものをどうこうする力は持っていないが、女は霊能者だった。その筋では有名らしく、警察にもとして度々協力しているという。

 俺はその内の一つで彼女と関わったのだが、なぜかその件以降もよく協力を命ぜられている。曰く、相性がいいらしい。

 上層部の言いたいことは理解できる。頭脳や霊能力を除けば彼女はごく普通の女性だから、ボディーガード代わりでもあったのだろう。あとは見張り役といったところか。

 それに、自分で言うのもなんだが俺自身目立つ容姿ではなく、彼女と年も近い。要は囮捜査でカップルを演じる捜査員と同じで、一緒にいても不自然ではないということだろう。本来の所属部署の秘匿度が高いことも都合が良かったのかもしれない。

 三つ目だったか四つ目だったか忘れたが、とにかく幾つかの事件を彼女に引きずり回された末に、「何か名称がないと、お前がいない時の説明が不便だ」と上司に言われて付けられたのが、上記の『特殊資料』という名称であり、それに携わる『特殊資料調査官』というものである。いや、気にするのは名称そこじゃないだろう。


 彼女も遠慮がなくなってきたのか、最近は警察とは関係ないことまで持ち込んでくるようになった。

 そして今回、彼女が持ち込んできたのが前述した女雛である。

「相方と一緒に楽しく雛祭りを過ごせたら、今後はおとなしくすると言ってるんだ。可愛いじゃないか」

「どこら辺がだ。あんたの話だとその人形、夜な夜な勝手にCDかけて「涙の操」だけをリピート再生するんだろ」

 俺の文句に腹を立てたのか、風もないのに雛人形が唐突にゴトリ、と横倒しになった。やめろ、心臓に悪い動きをするんじゃない。

 俺と同じように顔を横に向けて人形を見ていた女が、「ほれ見ろ。お前のデリカシーのない一言に、おひい様はいたく悲しんでらっしゃる」と言った。

「そもそもな、彼女だって望んで一人になったわけではないんだ。その悲しみを察してやれ」

「ああ、はいはい。借金のカタに雛人形を売った持ち主が、よりによって主役おひなさまをつけ忘れたんだもんな。しかも買い手がハワイに行っちまったから、今年の雛祭りには会えないんだっけ? だからせめて自分も好き勝手に騒ぎたい、と」

 投げやりに言った俺の言葉に、再び人形がゴトンと音を立てた。さっきまでは右側に倒れていたのに、今は左側に倒れている。だから止めてくれ、そういうことは。

 女が呆れたようにため息を吐いた。

「お前も学習能力のない奴だな。繊細な女心というやつを少しは理解しようという気は無いのか」

「あるよ。じゃなきゃ、あんたと付き合ってない」

「それもそうか」

 楽しそうに笑った女が続けた。

「さて。では、そろそろ飾り付けて雛祭りを始めよう。あまり主役を待たせるわけにもいかないからな」


 まぁ、これくらいで彼女が笑うのなら、こういうのも悪くはないのかもしれない。


 ――fin.

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