小さな隙間

トン・カツヤ

小さな隙間

電車が来た。

いつもの時間にいつもの位置に立ち、トンネルの向こうから抜けてくるライトの明るさに負けないように睨みつける。

ホームと電車の小さな隙間が底なしの地獄の様に見える。

そして、僕はその電車に乗らなかった。



僕は海の浜辺で座り込んでいた。

左の胸ポケットがやたらと振動している。

今まで順調に進んでいた人生に、何故か満足できなくなり、昔は根拠もなく世界を変えれるような気がしていた僕は

気付くと社会なのか会社なのかわからない歯車にはまり込んで引っかかっては抜けなくなっていた。

海はそんな僕に耳と目と鼻から落ち着きを与えてくれた。



「次はこの書類に目を通して、変更点や疑問を感じたら、報告してくれ」

「はい、わかりました」と返事をした。

変更したいところや疑問をを投げかけても、それはその時に違うと思ったら変更すれば良いからといつも言うくせにみんながいる前ではいかにも臨機応変に対応できる上司を演じている上司も流石に僕の素っ気ない返事に少しイラッとしていた。

書類に一応目を通すと以前僕が終礼で発言した内容がそのまま上司の名前で作られていた。

この書類が僕を海まで連れてきた。

まだ左の胸ポケットの振動がおさまらない。

スマートフォンの子供の待受の画面の上から上司の名前と電話番号が表示されている

「お前、勝手に仕事休みやがって」

「お前の仕事はほぼ俺がやってんだよ。保身の為に根回しをして、部下を落とし穴に落とし、自分だけいい思いしてんじゃねえよ」

と言い、電話を切った。



そんな事が出来れば、世の中の苦労など存在しなくなるだろうなと思いながら、今日も電車とホームの小さな隙間の底なし地獄に落ちないように

下を見ながら、踏み込むのだった。

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小さな隙間 トン・カツヤ @su-n-mi

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