回想と述懐への応援コメント
とても面白かったです。
数年前から何度か講演会を聞きに行っている、バングラデシュで家の無い子供たちに学校と寮を作って食事を提供している方がいるのですがその方も近い事を言っていたような気がしました。
自分も恩恵を受けている側だから大きな事は言えないですが今の日本は『してもらい過ぎて、してもらうのが当たり前になっている』状態な気がします。それをちゃんと言われている方が文字にされていた事は興味深いです。
作者からの返信
言っていることは分かるけど、自分ではやらない
そう思っている人が圧倒的に多い中で、思ったことはやる、人にも言うし自分にも課す、
それを平然とこなしていた、巌の女傑、それが曽野綾子
……などと私が言っては怒られるでしょうけれど
たぶんご本人は普通のおばあちゃんなんだと思います。
自分の孫に口うるさく言っていたことを、他の人にも言っていただけのこと、なのだと思うんですよね。
普通なら批判されれば角を丸めたりするものですが、氏は一切迎合することはありませんでした。
現在のように匿名SNSで遠くから石を投げるようなことは一切せず、
生身のまま、自身の言論で正面から殴り合って生きてきた人です、面構えが違います。
これからこのような人が出てくることがないのかと思うと、
大きな人を失ったと思わずにはいられません。
編集済
回想と述懐への応援コメント
※最初は曽野と書いて、他をみたら曽根なので、曽根が実は正式なの? と書き直したわたしの迷いっぷりを、修正するたびにそちらに届いたであろう記録から読み取って下さい……笑
本名は、曽野でも曽根でもないのですね。はじめて知りました。
あらためまして以下。
曽野綾子さんの小説への感想はいまいちなのに、その生きざまや、あの年代の人たちに特有の、やや突き放した生死観、歯に衣着せぬ発言が、天川さんの心には響いたのかもしれませんね。
「同調圧力に苛まれ心を亡くす」これはわたしが一番怖れていることであり、いつも気を付けていることでもあります。表面上はへらへらと合わせていても、自分の心に耳を傾けることは止めてはいけませんね。
これだけの大勢の書き手がいるのに、誰もわたしとは似ていないと「誰もが」想っているものだろうし、それでも同調圧力を怖れずに心の声を綴る人には、その作品に感動したり賛同してくれる人がいる。
曽野綾子さんは小説家という人生が歩めて、しあわせだったのではないでしょうか。
作者からの返信
結局、物語は太郎物語と短編集しか読んでないので、語っちゃ駄目なんでしょうけど💦
その代わりに、エッセイ集や提言などのご著書は数多く集めておりました。
世間ではエッセイ新書作家という認識なのかもしれませんね。
昔は良かった、という言葉にも二面性があると思います。
最近では、昔は良かったという言葉が否定的に取られることのほうが多くなってきた気がします。過去の否定、現状の肯定は今を生きる人には抗えない「誘惑」なのかもせれませんが、「無くても良かった物」があふれ、それによって生き辛く苛まれることのほうが多い今にとって、氏の言葉はもう一度本質を見つめ直すきっかけにもなるかもしれません。……正直な所、もう手遅れのような気も、半分くらいしてますけど💦 諦めちゃ駄目ですよねw
世間がどう変わろうとも、自身の軸は一切変えなかった、稀有な人であったと思います。迎合を一切せず、自分はいち職業作家であるという立脚点を見失うことのなかった氏の生き方は、私に大きな後押しをくれました。
世間的には多分、路傍の石に戻った人、という扱いなのかもしれませんが
もともと本人は名声など求めていませんでしたし、かの美智子妃とも一友人としてお付き合いなさっていたということからも分かる通り、立場が変わろうとも人間同士の眼差しは変わることがないことを体現した人だと思います。
編集済
回想と述懐への応援コメント
母が曽野先生の大ファンで、自分にも本を読むようにと、送られてきた事を覚えています。
この機会に読み返してみようと思います。
大切な巡り合わせに感謝です
作者からの返信
どちらかと云うと、私よりも一つ二つ上の世代によく知られた人なのだろうと思います。作中にあるように、言っていることは基本古いですからね。
しかし、古いからと頭から否定し聞く耳を持たずに済ませるには金言が多く含まれすぎていると思うのです。時代の流れに垂れ流してきた嘗ての日本人の美徳美点が、氏の言葉にはふんだんに含まれています。まさに、「お野菜もちゃんと食べなさい」といわんばかりに。
現代のジャンクフードだけでは決して摂取できない必須栄養素が含まれた、かけがえのない書とお人柄だったと思います。
回想と述懐への応援コメント
曽野綾子氏について、大変詳しく書かれ感服しました。素晴らしいです!
作者からの返信
現代の感覚からすれば、すでに時代遅れの感性かもしれませんが、それでも生きてきた人間という種がそうそう変わるものでもないと思うのです。
この程度でも生きてこれた、削ぎ落としていけば人間はもっと広く生きられるということを、身を持って体現してきた人だと思います。
この遺して来られたものを、現代を生きる我々がどう受け取るのか。
全てはそこにかかっているような気がしてなりません。
お読みいただきましてありがとうございました✨️