菱餅ハンガリー(KAC20251)
つとむュー
菱餅ハンガリー
「ねぇ、パパ。『菱餅はハンガリー』って学校の先生が言ってたんだけど、意味分かる?」
中学生の娘が訊いてきた。
いつも夕食が終わると自室に閉じこもってしまう娘。勉強を教えてほしいとリビングに来るなんて珍しい。
「菱餅って、お雛様で飾るアレか?」
「そう、お雛様のアレ」
必死に会話を繋ぐ。途切れさせたら、いつものように自室にこもってしまいかねない。
しかし『菱餅はハンガリー』ってどういうことだ? 『サンマは目黒』の場合、目黒でのサンマがお気に入りって話だった。まさかその先生、ハンガリーで菱餅を食べてすごく気に入ったとか?
「その先生、社会科か?」
「そう。社会の先生」
やっぱりな。
もしかしたら地理に関することかも知れん。まさかとは思うが、いつの間にかハンガリーは菱餅の世界的なシェアを握っているとか?
「ほら、うちの町って街ぐるみでお雛様を飾ってお祝いするでしょ? 町で作ったパンフレットを使って先生が授業してたの」
町のパンフレット?
ハンガリーからいきなり遠ざかってしまったが、そのパンフレットにヒントが隠されている可能性は高い。
「今ある? そのパンフレット」
「あるよ、持ってくる」
娘が戻ってくるまでの間、俺は考える。
——そういえばうちの町、街ぐるみで雛祭りやってたっけ?
毎年、今の時期から一ヶ月間、街のあちこちにお雛様を飾って祭りを盛り上げる。テレビでも取り上げられたらしく、週末は多くの人で賑わっていた。
「はい、これがパンフレット」
渡されたA3サイズの一枚紙に目を通す。表には街の地図、裏には細かい説明が載っていた。
「裏のね、菱餅のところをやったの」
ほほう、なら読んでみるか。
俺は娘が反応できるよう、声を出して要点をまとめてみた。
「菱餅はもともと『ぼしそう』を混ぜて緑色にしてたのか」
「それは『ははこぐさ(母子草)』って読むの。母と子が健やかにって願いを込めてね。母子家庭を増やすような読み方しないで」
マジか。
俺は冷や汗をかきながら、再びパンフレットに目を落とす。
「それで、今は緑色にするために母子草じゃなくて『はす(蓮)』を混ぜてるのか」
「それは『よもぎ(蓬)』。レンコン混ぜてどうすんのよ、緑色にはならないよ」
ぐっ、またやっちまった。
もう失敗しないぞ。
「菱餅の白い部分は菱の実を混ぜていると」
「そう。菱には厄除け魔除けの効果があって、それにならって形も菱形にするようになったんだって」
へぇ、それは知らなかったなぁ。
実は密かに関西では丸餅なんじゃないかと思っていたが、それは見当違いだったわけだ。
「それでね、昔は緑と白だけだったんだけど、明治時代になってくちなしを混ぜた赤い餅を加えるようになったんだって」
——緑と白と赤。
この三つの菱餅をどんな順番で重ねるのだろう? と考えた瞬間、俺は閃いた。
「そうか、だから菱餅はハンガリーなのか!?」
ビクッとしながら娘は俺を睨みつける。
「ちょっと。突然大きな声、出さないでよ」
「ゴメンゴメン。おーいみんな、今からお雛様出すぞ」
家族に号令をかける。俺には今すぐ確かめたいことがあった。
「やだよ、今からゲームやるんだから」
嫌がる息子は金で釣る。
「モンスターやっつけるゲーム買ってやるからさ。二月下旬発売の新作、欲しがってただろ?」
「えっマジ? ホント? ならやる」
すると今度は妻が文句を言い始めた。
「夕飯終わったばかりで片付けも終わってないのよ」
「後で俺が全部やるからさ」
「えっホント? じゃあやる」
いろいろと負担を約束しちまったが仕方がない。これも娘の学業のためだ。
「やっと完成した!」
押入からお雛様を取り出し、一時間かけて家族総出で飾り付けた。
俺は独りほくそ笑む。やはり思った通りだ——と。
「ほら、これを見ろ」
菱餅を指差す。
家族の視線がお雛様の菱餅に集まった。
「下から緑、白、赤の順だろ? だからハンガリーなんだよ」
が、誰も無反応だ。
なんだよ、ここまで言っても解説が必要なのかよと思った時、息子がポツリと呟いた。
「そっか、国旗か」
そして息子はスマホを俺たちにかざす。下から緑、白、赤の三色のハンガリーの国旗が表示された画面を。それはまさに菱餅の配色そのもの。
「先生はきっと、これが言いたかったんだよ」
「パパ、ありがとう!」
満面の娘の笑顔。これほど心が満たされるものはない。俺はこの瞬間のために働いているんだ。この後、食事の片付けをしてゲームも買わなくちゃいけないけど、この笑顔を見るためなら大した負担じゃない。
「良かったね、今年は早めに出してもらえて。いつもは直前だからね」
「うん。ママもありがとう!」
ちょっとだけはめられたような気がしたけど、きっと気のせいだろう……
菱餅ハンガリー(KAC20251) つとむュー @tsutomyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます