雛人形の想い出は潮風に包まれ【KAC20251】

銀鏡 怜尚

雛人形の想い出は潮風に包まれ

 ここは、とある海辺の田舎町。県庁所在地から遠く外れたところにあるこの町は、どこからでも山か海を臨むことができる風光明媚ふうこうめいびな場所だ。


 僕は、町役場で勤めて3年目になる25歳。過疎化の進むこの町では、結構貴重な20代だ。


 今日は仕事のない日曜日。そして、特に何も予定のない日だった。

 家にいたところで特にやることもなかったので、柴犬のヒナの散歩することにする。今日は3月3日。初春のうららかな風が気持ち良い。


 ヒナのいつもの散歩コースを歩いていると、ガシャン、ガシャンと音がした。

 知華ちかねえの家からだ。家といっても、知華姉は住んでいない。就職を機に名古屋に引っ越し、去年の秋、職場の人と結婚したと聞いている。


 つい気になってしまい、僕は知華姉の家の庭をのぞくと、知華姉のお母さん(僕はおばちゃんと呼んでいる)が、何か作業をしていた。

「おばちゃん、何してるんです?」

「雛人形を壊しちゅう。あん子も結婚したきに」

 男兄弟しかいない僕には雛人形は馴染みないものだが、唯一、見ることがあるとすれば、知華姉の家に遊びに行ったときだ。知華姉は、僕より1歳年上の幼馴染で、同じ集落で近所だったから、幼稚園、小学校のころはしょっちゅう遊びに行っていた。

 ひな祭りシーズンには雛人形が飾られていたっけ。物珍しさに、雛人形のガラスケースに触ったとき、「こら! 汚い手で触らったらいかんちゃ!」って、知華姉にめちゃめちゃ怒られたものだ。


「そっか」

 僕は、急にもの悲しい気分になってしまった。

 田舎で家も広いせいか、雛人形はそこそこ立派なものだった。ガラスケースに収められているが、段飾りで三人官女に五人囃子もいる。確か知華姉の、いまは亡きお婆ちゃんが買ってくれたものって言っていたっけ。

 これを処分するのは、すっかり年を取ったおばちゃんには大変な作業に思えた。おじちゃん(知華姉のお父さん)はもう亡くなっているから、おばちゃんしかいないのだ。


「俺も手伝いますよ」

「あら、そう? まっこと助かるちや」


 ヒナのリードを安全なところに繋いで、おばちゃんの作業を手伝う。思ったよりも重労働だ。雛人形は、座面と強固に接着されているし、祭壇を構成する木の骨組みを壊すのも一苦労。おまけにガラスケースを割らないといけないというから、油断すると怪我をする。

 ガラスケースだからこうなるのだ。ただの段飾りなら、祭壇部分は組み立てか折り畳み式だから、もっと簡単に解体できるのに、とおばちゃんはぼやいている。


 でも、2人でやれば作業ははかどる。無造作におばちゃんはゴミ袋に人形を入れていく。こんな処分方法で良いのかなと疑問に思いながらも、俺は黙って作業を進める。


 知華姉は元気に暮らしているだろうか。小学生の頃は、ただの近所の幼馴染だったが、高校生になり、大人っぽくそして綺麗になった知華姉に僕がひっそりと片想いしていたことは、誰にも打ち明けていない。

 就職で離ればなれになり、顔を合わせる機会はめっきり減ってしまった。お盆とか年末年始に、ヒナを散歩しているときに会うことがあるかどうかだった。

 でも、顔を合わせると知華姉は笑って挨拶してくれた。その笑顔が僕は大好きだった。


 だからこそ、結婚をするって話を聞いたときはちょっとショックだったけど、僕が知華姉を追いかける選択肢はなかった。なぜなら僕は知華姉と遊んだこの町が好きだから。知華姉が幸せになってくれれば、それで良い。


 ようやく最後の人形を壊したとき、センチな気持ちはさらに強くなった。知華姉にこっぴどく怒られたあの記憶が、形をなくして、本当に想い出となってしまった気がして。


 切なさを噛み殺しながら、「また何かあったら声かけてよ、おばちゃん」と気丈に振る舞い、ヒナのリードをほどいた。


 3月の潮風はすでに温かく、そして、センチな僕を優しく包み込むかのようだった。ヒナはそんな僕の気持ちなどつゆ知らずといった様子で、いつもの散歩道を元気に歩いていた。

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雛人形の想い出は潮風に包まれ【KAC20251】 銀鏡 怜尚 @Deep-scarlet

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