桃の花

ナナシリア

第1話

 最初、それは桜かと思った。桜の季節、鮮やかな桜色が、同じだったから。




「三月三日は桃の節句」


 桃の節句に、桃の花は咲かない。


「むかしは、この時期に花が咲いてたんでしょ?」


 娘が、自慢げに語る。

 聡明な子だ。

 それなのに……。


さくらは本当に賢い子だね」


「ありがとう!」


 本当に幸福そうな、満面の笑み。

 ひなまつり。女の子の、健やかな成長を願う行事。まさかそんな日を、こんな思いで。


 桜餅。ちらし寿司。雛人形。そのどれも、来年また使えるか、わからない。


「お母さん、疲れた」


「そうだね、ちょっと休憩しようか」


 まだ咲かない桃の木。その下に、腰掛ける。


 苦しい人生だった。二十代前半で結婚して、二十代後半で出産。そこまでは良かった。

 旦那は、突然姿を消した。今の今まで戻ってきていない。

 仕方ないから、私は一人で桜を育て上げることにした。幸い、貯金は消えていなかったし、出産前は共働きだったから、職場もあった。

 苦しかった。働いても働いても、育てても育てても、桜が独り立ちできる未来は見えなかった。

 でも、幸せだった。桜が成長するたび、桜が笑うたび、また頑張ろうと思えた。


「……ふう」


 溜息。

 桜が生まれてから、そろそろ五年になる。


 そんな急に余命だなんて言われて、対応できるだけの余力はなかった。


「お母さん、どうしたの?」


 娘にまで、心配されてしまうなんて。


「ごめんなさい、なんでもないよ」


 娘の手を引く。もう少しで、家につく。せめて私だけでも、桜が健やかに成長すると、信じたかった。

 ……いや、無理か。桜は余命僅かだと、医者は言った。じゃあ健やかに成長することは、できない。


「最近、お母さん悲しそうだよ」


「大丈夫、大丈夫だからね」


 桜に言い聞かせているようで、本当は自分に言い聞かせているのだろう。

 家の鍵を開ける。

 桜餅、ちらし寿司、雛人形。鮮やかな色が、皮肉っぽく見えてしまう。用意したのは自分自身なのに。


「やっぱりかわいいね、雛人形」


「うん、そうだね」


 桜が笑っている間だけ、幸せと思えた。




 最初、それは桜かと思った。

 すぐに散るのに鮮やかに咲く桃の花が、あまりにも綺麗で、ここしかないと思った。


 幼児を殺すのは、簡単だった。自分を殺すのも、簡単だった。

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桃の花 ナナシリア @nanasi20090127

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