酔って吐く

@yujiyok

第1話

心のもやもやが取れない。

忘れようと頭の隅に追いやった嫌な気持ちが、ふとした瞬間にじわじわと蘇ってくる。

別の事を考えようと何かの作業に没頭しようとするが、一度現れた黒い点は片隅で待ち構え、隙を見せた瞬間にさっと姿を見せる。

放っておくとその点は、ゆっくりと面積を広げて灰色のしみとなり、気付かないふりをしているとそのしみはもくもくともやとなり、さらにその範囲を広げようとする。やがて心を覆いつくし、何だかすっきりしない嫌な気持ちで占められる。


そんな時は飲むに越したことはない。

なんだかんだ言ってお酒を飲むのが好きなのだ。気持ちを晴らすなんて単なる言い訳かもしれない。

問題はつい飲み過ぎてしまうことだ。

たいして稼ぎが良いわけでもないが、いつでも時間があれば飲みに出るし、誘われれば二つ返事でついていく。

いつも付き合ってもらうのは、小中高と同じ学校の同級生だ。大学は別だが、定期的に連絡を取り合い、東京に出てお互い社会人になってからよく二人で飲みに行く。親友とも言える友達だ。


「よう、ヒマそうだな」

彼は居酒屋に先に来ていた僕を見つけ、片手を上げた。

「忙しいから飲まないとやってられないんだよ」カウンター席の隣に座る彼を見て言う。

いつものどうでもいい言い訳だ。

「うん。飲むに限る」

彼も飲むのが好きである。

しかも自分と同じペースでかなり飲むので気を遣わないし、とにかく楽なのだ。

翌日仕事があろうが、彼女に文句を言われようが、誘えば飲みに付き合ってくれる。

友達と言えど、酒に弱かったり恋人最優先の男とは、やはり充分楽しんで飲めるとは言えない。

「おつかれ。で、最近どうよ」

彼は注文したビールが来ると乾杯しながら言った。

「ま、相変わらずだよ。何もないっちゃないし、あるっちゃあるけど、たいして面白いことではない」

いつもの何の意味もない会話だ。くだらない事や、軽い昔話をしたり、田舎の同級生の新情報を提供し合う。

結構なペースで飲み続けてお互い泥酔し、いつの間にか別れ、気付いたら家に帰っているといった具合だ。

たいてい終盤になると記憶はあいまいだ。財布からは割り勘分のお金は減っているし、メールで確認しても、お互い酔って覚えてないから気にするな、また飲もうぜで終わる。

実際、半分はどんな話をしたのか記憶にない。


ふと気が付くと、焼酎のロックを飲んでいる。少なくとも1時間以上は経っているということだ。だいたい1時間から1時間半でビールを4杯くらい飲み、その後に焼酎に切り替えるのだ。

時計を見る。まだ終電には余裕がある。といってもタクシーで帰るのが定石だ。

横を見るとやはり焼酎を飲んでいる彼は、いつの間にか頼んでいたらしいフライドポテトをもくもくと食べている。

「で?」

彼が僕を見て聞く。

「ん?」

「その後どうなった?」

「え?何の話だっけ…」

「高校の時に、1人で知らない街を歩くことになったって」

「あぁ…」

残った焼酎を一気にあおると、おかわりを注文した。

「若かったよなぁ、何も考えずに行動できた」

「結局デートはキャンセルになって、ヒマだったから行ったこともない駅で降りて、適当に歩いていた。で?」

新しい焼酎をひと口飲んで、僕は話し出す。

「で、寂れた商店街を抜けて歩き続けてたら、山の入口みたいな所まで来て…」

「辺りは薄暗くて人もいない」

「結構な田舎だからね、どうせ何もない。もう少し歩いたら帰ろうと思ってぼんやり進んでたら、山の中から音がするんだ。ザッザッザッって」

2人同時に焼酎を飲む。

「何気なく立ち止まって見ると、奥の方に人影が見える。タケノコ掘りでもなさそうだし、ゴミを埋める穴でも掘ってるのかなと思ってたら、音が止まってその人が木に隠れたんだ」

「ほう。人を埋める穴だったりして。でも昼間にはやらないか」

「変だなとは思ったけど、変なことには関わりたくないから歩き出したんだ。そしたらまたザッザッって音がして。やっぱり気になるから、こっそりと山の中に入って行った。ばれないように木の陰から覗いたら、男が大きなスコップで穴を掘っていた。そしてその横には毛布にくるまった長いものが」

「やっぱり」

さらに焼酎を飲む。

「絶対ヤバいと思った。逃げようと思って後ずさったら、大きい枝を踏んでしまった。男が動きを止めてこっちを見た」

「ドラマみたいな」

「走って逃げるか、じっとして気のせいだと思わせるか」

2人とも焼酎は残りわずかだ。

「何か食べる?」彼が聞いてきた。

いつの間にかポテトはなくなっている。

「いや、大丈夫」

「じゃ、漬け物の盛り合わせを」

焼酎のおかわりと一緒に頼む。

「で?」

「しばらくしたら男はまた穴を掘り始めた。ゆっくり息を吐いて、気付かれないようにと祈りながら後ろに下がる。静かに、スコップの音に合わせて」

新しい焼酎を飲む。

「山を抜けて、なるべく音を立てないように歩いてたら、スコップの音が聞こえなくなった。立ち止まって振り返ると男がいない。作業が終わったのか、休憩か。とにかくその場から離れようと前を向くと、目の前に男が立っていた。驚きで声も出せずに後ずさりした。男は完全に無表情で僕を見ていた。目を離さずゆっくり後ろに下がると、男が1歩前に出た。とっさに振り返って走って逃げようとした瞬間、男に腕を掴まれた。殺される。そう思った僕は必死で手を振りほどき、山の中へ逃げた」

焼酎で喉を潤す。

「男が追いかけてきて、僕の背中を突き飛ばした。僕は男が掘った穴のそばに前のめりに転んだ。後ろを見ようと振り返ると、男の両手が僕の首を締めつけてきた。男の手を掴んではずそうとするが全く動かない。意識がだんだん遠くなっていく。両手を地面に広げ何かを探すと、拳くらいの石に触れた。それを掴み思いっきり男の頭を殴りつけた。男はうめき声をあげて横に倒れる。僕は起き上がって、咳き込みながら息を整える。男は動かない。頭から赤黒い血が流れている。僕は茫然としてそのままそこにいた。薄暗い山の中、人気もなく音もしない」

焼酎をごくごく飲む。

「目の前には大きな穴。倒れた男。横長の毛布。大きなスコップ。僕は恐る恐る毛布に近付いたが、あまりにも怖くてその場から離れた。全部埋めてしまおうとも思わなかった」

「おかわりする?」

焼酎は空だった。

「あぁ」

彼がおかわりを2つ頼んだ。

「それからどうした」

「そのあとの事は良く覚えていない。でもちゃんと家に帰り、風呂に入って汗を流し、夕飯もちゃんと食べたらしい。親に何も聞かれなかったのは確かだ」

「そういえばその頃、山で遺体発見のニュースがあったな」

新しい焼酎が来る。

「そう。その後の情報を注意深く集めた。若い夫婦が遺体で発見された。妻は夫のDVに悩み、警察にも相談していたそうだが、改善されないままひどい暴力で殺されてしまった。夫はそれを隠そうと妻の遺体を山に埋めようとしたが、足を滑らせ頭を打ち死亡。めったに人が通らず、発見されたのは1週間経ったあと。夫の他殺は疑われなかった」

「でもなんで昼間なんかに埋めようとしたんだろう」

「さあね。でもあそこに人が来ないと知ってたってことは土地勘のある奴だ。田舎だと昼間家にいないことよりも、夜家にいなくて電気が消えていたり、車がなかったりする方が意外と目立ったりする。近所の監視は厳しいからね。遺体隠しは夜中にっていう一般論を逆手に取ったのかもしれない」

「確かに。田舎の近所の証言はでかいな。夜アリバイがあった方が疑われないかも」


気付くと漬け物は全てなくなっていた。

「あれ?そういえばお前ナスの漬け物嫌いじゃなかったっけ?」

「あぁ、大人になってから平気になったんだ。何だか今日はペースが早くないか?何か食う?」

「いや、いい。そうだな、ゆっくり飲まないと。次で最後にしよう」

「おう」残り少ない焼酎を飲み干し、おかわりを頼む。

「で?」

「え?」

「何の話だったっけ。あ、なんでナスの漬け物が平気になったかだっけ?」

「あぁ、そうだった。なんか食わず嫌いっていうか。会社の飲みで、ナスの一本漬けが異様に好きな奴がいてさ、ものすごく旨そうに食うからちょっと食べてみようと思って食べたら、普通に旨かった」

「なんだそれ。ホントに食わず嫌いだな。あ、でも俺も昔は塩辛が食えなかったけど、今じゃ大好物だ」


気付いたら家だった。

昨日は2人で飲みに行った。財布を確認する。タクシーの領収書。居酒屋のお金は割り勘か。後でメールで確認しよう。

それにしても途中から記憶がない。いつものことだ。でも、ケガもしてないし大丈夫だろう。たくさん飲んで胸やけは少しするが、頭のもやもやはすっかり晴れている。

息抜きは本当に大切だ。

身体は少し心配だが、また彼を呼び出して飲んでしまうだろう。反省しようにも記憶がないから仕方ない。

同じ話を何度繰り返そうが、覚えてないのはお互い様だ。またたいして意味もない話をしては忘れてしまうのだ。

シャワーを浴びてすっきりしよう。これで心も身体もすっきりだ。

酒はやめられない。

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