ひな祭りは誰のもの?

ふさふさしっぽ

本文

 春子はひな人形の飾りつけをしていた。

 七段飾りの立派なものだから結構大変だ。それでも毎年きちんと和室に飾ることにしている。自分のためではない。来年度から高校生になる娘のためだ。

 それなのに、一人娘の桃花ときたら。


「ちょっと、桃花。動画見てないでお雛様飾るの手伝ってよ。あなたのお雛様でしょ」


 桃花は隣のダイニングキッチンで、春子のノートパソコンを使い、ゲームの実況動画を見ていた。かれこれ二時間。最近の桃花は学校が休みとなるといつもこうだ。他人がゲームをしている動画を見て何が楽しいのか、春子にはさっぱり理解できない。


『トリの降臨!!』


『でた!!! 必殺技トリの降臨! これですべてが焼き鳥だ!』


 実況者の男が叫んでいる。一体どんなゲームなのか。


「ねえ、桃花ってば」


「なあにママ。今いい所なんだから、あとで手伝う」


 桃花は動画から目を離さずにそう言う。

 そんなこと言って、手伝う気などなく、毎年毎年春子が二月の半ばにひな人形を飾り、三月三日が過ぎるとしまうのだ。そのくり返し。

 馬鹿らしいと思い、もう飾るのをやめようかとも思うが、せっかく自分の母から受け継いだ、立派なひな人形だ。桃花が健康なまま大きくなって、幸せになれるように、母親として、自分の母がそうしてくれたように飾り続けたい。


 春子は最後の仕上げに、女雛を最上段にそっと置く。

 着飾り、穏やかな顔をしたお雛様。お内裏様の隣で、幸せそうだ。

 三人官女、五人囃子、みんなが祝福してくれているかのよう。

 春子だって、結婚したときは幸せだった。みんなが祝福してくれた。やがて桃花が生まれ、この幸せがずっと続くのだと、純粋に信じていた。


 飾り付けが終わり、一歩下がって七段飾り全体を見回す。殺風景な六畳の和室が見違えるようにきらびやかになった。


「なんだか、お雛様ばっかり立派で、変なの」


 ようやくこっちを向いたと思ったら、桃花がそんな皮肉を言う。口ばかり達者で、年々生意気になってきている。

 我が子ながら憎らしいったらない――、そう思うこともしばしばだが、夫と離婚したとき、桃花はまだ小学四年生。春子が仕事に行っている間、一人にさせることも多かった。生意気で、強がりな所は寂しさの裏返しなのかもしれないと思うと、頭ごなしに叱ることはできない。


「立派でいいでしょ。桃花が私と違って、幸せな結婚ができるように」


「私結婚しないもん。働いて、自立するの。ママは古いんだから」


 桃花は動画が終わったのか、ノートパソコンを閉じて、自分の部屋に戻ってしまった。 きっと布団の上で音楽でも聴いて、夕飯まで出てこないだろう。

 春子はもう一度ひな人形を見た。

 お内裏様とお雛様。三人官女に五人囃子……みんな、心なしかさみしそうな表情に見える。

 桃花がまだ小さいころ、夫とうまくいっていたころは、一緒に飾りつけをしたのに。ひな祭りの主役が、ひな人形に無関心だなんて。


 昔は私のためのひな人形だった。今は娘のためのひな人形。

 そうやって、受け継がれてゆくものだというのに。


 春子は桃花の態度を半ばあきらめ、とくにひな人形のことは口にせず桃花と夕飯を終えた。

 明日は桃花の弁当を作ってから仕事だ。お風呂に手早く入って、早めに寝る。

 

 眠りに落ちていく中で、遠くから、こちらに近づいてくるように、歌が聞こえる。


 あかりをつけましょぼんぼりに


 おはなをあげましょもものはな


 たくさんの人が合唱しているようだ。春子も、子供のころは両親と、友達と一緒に歌った。


 ごにんばやしのふえたいこ


 きょうはたのしいひなまつり


 楽しかった。あの頃は、自分が主役だった。結婚して、子供を産んで、主役は桃花になった。


 本当は、まだ、恋がしたい。


 夢の中、歌に包まれ彷徨いながら、春子はそう思った。


 そうはいっても、今までさみしい思いをさせてしまった桃花のことを考えると……。

 そもそも仕事と桃花の世話で、恋をしている時間なんてない。きっかけもない。

 それにもう四十五だ。

 いいじゃない、桃花がちゃんと育ってくれれば、それで充分。

 私は桃花の母親なのだから。

 それでいい。



 春子が眠りについたあと、和室に飾られたひな人形たちが、密かに相談し合っていた。


「ママさんに、恩返しがしたいわ」


 意を決したように、女雛がそう言った。


「私もそう思っていたところだよ、ハニー」


 男雛が優雅にウインクする。


「我らを今まで大事に大事にしてきてくれたのは、ママさんだ。ここは、ママさんのために一肌脱ごうではないか」


 赤いお顔の右大臣が陽気に言った。


「そうよ、そうよ、そうしましょう」三人官女がそろって同意する。


「決まりだな。我らが恩人、ママさん……いや、春子殿に春の出会いを!」


 男雛の声が薄暗い和室に響いた。



 三月三日。


 春子は仕事の帰りにちらし寿司を買い、桃花の待つアパートに帰ろうとしていた。


 少し急いでいたため、駅の階段でつまづいてしまい、危うく転びそうになるが、誰かに後ろから抱き留められて、無事だった。

 振り返ると、見覚えのある男性の顔。


「大丈夫ですか……って、あれ、もしかして、桜田さん?」


「え? 貝原くん? うそ、久しぶり。同窓会以来ね」


 高校の同級生、貝原だった。たしか五年前の同窓会のときは既婚だと言っていた。一児のパパだったはずだ。貝原は両手に膨らんだスーパーの袋を下げていた。


「あら、たくさん持って」


「実は、離婚して、シングルファーザーやってるんだ。今日はひな祭りだからね。娘のために何かごちそうを作ってやろうと思って」


「そうだったの。そうだよね、今日は女の子のための日だものね」


「そういえば、桜田さんのところも女の子だったね。あの、よければなんだけど、ひとり親どうし、色々相談したいな。連絡先交換しても……」


 春子は、心にあたたかな灯が、じんわりとともるのを感じた。と同時に、今さら恋なんて、と尻込みする自分がいる。だけど。



 きょうはたのしいひなまつり



 ひな祭りだもの。女の子の日。私が主役だっていいじゃない。


「うれしい。もちろんだよ。何でも聞いて」


 春子は少女のように微笑んだ。



 終わり。



 

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