まのまのま。
三好ハルユキ
まのまのま。
うちの学校の屋上からはお寺が見える。
春には桜が咲いて、秋には紅葉が綺麗なお寺。実際に足を運んだことはないけど、坂の下から見上げる木々は見事なものだ。帰りに立ち寄る牛丼屋から出て、学校の最寄り駅と反対方向に少しだけ歩くと見ることが出来る少し贅沢な景色。それが今、この屋上からは何にも邪魔されずによく見える。
残念なことに今は春でも秋でもないのでお寺の木は深い緑色の葉を揺らすばかりではあるけれど。さっき購買で買ってきたハムレタスサンドイッチの肴に花見ならぬ葉見として、これはこれで良いものだ。そう思う
綺麗なものを見て綺麗と感じ、美味しいものを食べて美味しいと感じる。
つまり私の心身は健康的で、今、そこになんの歪みも間違いもない。
「よし」
だから私は死ぬことにした。
屋上の貯水タンクから預けていた背中を剥がし、身体を起こして、深呼吸しながら大きく伸びをする。空気はいつもより透明だ。気分も良い。
ゴミを丸めてポケットに突っ込んでから、はしごを降りてフェンスに向かった。
校庭では運動部が所狭しと有酸素運動に励んでいるので、飛び降りるなら校舎裏と決めていた。
運動部の連中は嫌いだ。理由は十年間の学校生活で出会った運動部員にろくな奴が居なかったから。世の中には気の良い運動部員も居るんだろうけど、私の人生には居なかったのだから嫌いなままでいい。偏見バンザイ。お前らは嫌いだけど私は嫌いな奴になら何をしてもいいと思うような最低野郎ではないので気を遣ってやるぞ。
フェンスに指を添えて、掴んで、耐久度を確かめるように何度か揺らす。結構揺れるというか、たわむというか。靴のままじゃ登れそうにないから、ローファーの踵に指を突っ込んだ。だから飛び降り自殺の現場には靴が揃えて置かれているのかな、なんて思った。あれ、この場合の現場ってどっちだ。落ちる前か、それとも後か。
脱いだ靴を揃えてフェンスの傍に置く。つまさきをフェンス側に向けるか屋上側に向けるかでちょっと悩んで無駄に靴をくるくるさせてしまった。
「お?」
そうしているうちに、フェンスの下にそこそこ大きな隙間があることに気付く。試しに押し込んでみたらローファーが少しだけ履き口を擦りながらも一足先に向こう側へと出ていく。
これでいいか。向こうに回れたら履き直そう。
軽く準備体操をしてから、改めてフェンスをよじ登る。網の部分は心許ないので柱みたいなところに手の指を回して、足の指に網が食い込む少しの痛みを我慢しながら登っていく。登る前はボルダリングを想像していたけど、傍から見たら猿の木登りみたいになっていると思う。学校の屋上が一般開放されていないおかげで観客が居ないのが救いか。
フェンスのてっぺんまで登って一息ついた辺りで、これ真面目に登らなくてもフェンスを切ってブチ破ればよかったなって少し後悔した。降りる方が苦労しそうだ。このままフェンスの頂上から飛んでしまってもいいけど、そうなるとさっき押し込んだ靴のことが妙に気にかかる。あのままでは不格好だ。
結局、体感にして登るときの倍の時間をかけて屋上の縁に降り立った。
フェンスの向こうには私が寝そべったら肩が少しはみ出るくらいのスペースはあって、腰を下ろして靴を履き直すには充分だ。
座ったついでに屋上の縁から足を下ろして、膝から下をぶらぶらさせてみる。重力から解き放たれた感じがして少し心地よい。
校舎のこっち側からは、当然だけどあのお寺は見えない。あるのは学校の隣の公園と、囲むように建っているマンションだけだ。あ、道路の先にスーパーも見える。地元にもあるけど生活圏からは少し外れていて入ったことのない店だった。
高校二年生の夏。人生を人生と呼ぶには現代の感覚では短く、経験していないことは山のようにあるし、知らないことは海のようにある。
それでも、もう、お腹いっぱいだ。
フェンスに手をかけて立ち上がり、屋上の縁に足を揃える。
遺書は無いけど、大丈夫。今朝、父親に死んでもいいかと訊ねたらやれるもんならやってみろと意訳出来る返事をいただいたので、それで十分だった。母にも夕飯は要らないと伝えてあるし、姉には前に勝手に食べて怒らせたアイスのお返しにプリンを買って付箋を貼っておいたので借りは返した。
あとは四階建ての校舎と石畳が死に損なわせないことを願って、私は跳んだ。
あれ、この場合って跳んだじゃなくて飛んだが正解か。
いや違うわどっちも、これは落ちたって言
クラスメイトが死んだ。
同じクラスだったのは去年のことだけど、何回か話したこともある。
放課後、校舎の屋上に忍び込んで校舎裏に頭から落ちたそうだ。遺書が発見されていないとかで、一週間経った今でも警察っぽい部外者を校内でちらほらと見かける。マスコミに声をかけられたと鼻息混じりに語る生徒も何人か居るけど、誰も彼女の死の理由を明確には知らない。イジメの噂も無ければ問題行動の記憶も無い。かと言って周囲との関わりが全く無かったわけでもなく、今のクラスメイトや委員会での顔見知りは突然のことにショックを受けているらしい。
夕飯時、ニュース番組では彼女の遺族がインタビューに応じていた。家族の言葉もコメンテーターの言葉も、とにかく空虚だ。
当たり前だろう。彼女が死んだ理由を、誰も知らないのだから。
「いいね。自殺に理由が必要だと思うのは幸せな証拠だよ」
不意に聞こえた声の方に振り向いても、リビングには誰も居ない。
彼女が死んでから数日。
時折、こうして聞き覚えのある声を聞くことがあった。
見知った顔の死に、自覚以上の衝撃を受けているのかも知れない。こういう幻覚の積み重ねが世に尤もらしい心霊現象の小話を広めていくのだろう。実話風の怪談ってだいたい心身が参ってるところからスタートするものだし。
「相変わらずロマンが無いね」
そう言って、彼女は愉快そうに鼻を鳴らす。
ロマンか。
空を飛んだ奴に言われちゃかなわないな、それは。
まのまのま。 三好ハルユキ @iamyoshi913
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