ひなまつり

オレンジ11

第1話

「藤野さん、ちょっと会議室、いい?」


 育休明け初日、東子とうこが上司の矢嶋マネージャーに「初めまして&育休から復帰のご挨拶」に行くと、彼女は「こちらこそ、よろしく」と余裕のある笑みを返してからそう付け足して、席を立った。


(なんだろう? あらたまって)


怪訝に思いながらも後について会議室に入り、東子はすすめられた席についた。矢嶋マネージャーは一呼吸おいて真っ直ぐに東子の目を見ると、


「芦原さんの時は、それで良かったかもしれないんだけど」


と、切り出した。

芦原さん、というのは東子の育休中にクビ(外資ではよくあることだ)になってしまった元上司だが、五十代半ばの彼はとても優しく、東子はもちろん、部下のみんなに慕われていた。彼の後任として入社してきたのが矢嶋マネージャーだ。


「藤野さん、もう少しサブマネージャーらしくしてもらえないかしら。私たち管理職が一般社員より高い意識が求められるのは、わかるでしょう?」


矢嶋マネージャーが小首を傾げる。


東子は驚いた。


復帰早々「サブマネージャーらしく」という注意はなんだろう。まだ東子の仕事ぶりを見てもいないのに。過去の業務態度について、どこかからタレコミでもあったのだろうか。にしても、身に覚えはないのだが。


ここはきっと「わかりました」と答えるのが正解なのだろう。だが、身に覚えのない指摘にそう答えられるほど、東子はしおらしくはない。


「あのう......具体的に」


「服装」


 質問を最後まで言い終わらないうちに、スパッと切り返された。


「......」


 服装、か。

 たしかに自分の服装は、ゆるい。

 今日は紺と白のボーダーカットソーに白い綿パン、赤いバレエシューズだ。対する矢嶋マネージャーは、仕立てのいいオフホワイトのスーツにエルメスのスカーフ、グレージュのピンヒール。

 けれども、この会社の服装コードは「オフィスカジュアル」だ。どちらかというとズレているのは、矢嶋マネージャーの方ではないか。

 それに東子の服装にはちゃんと理由があるのだ。


 理由その一・企画広報室サブマネージャーという肩書こそあるが、実際には資料室の管理を任されている東子は、日々運ばれてくる資料や図書、雑誌、新聞を棚に並べるという作業が多い。踏み台に登ることもあるし、動きやすい服じゃないと困る。


 理由その二・朝、まだ九ヵ月の耀ようの世話をして保育園に送り届けるのに、かっちりしたスーツとヒールは最も避けたい服装だ。


 と説明しようとして、止めた。


 東子を見る矢嶋マネージャーの視線には、「私のいうこと、きけるよね?」という圧がこもっていたから。そして、同僚で同じく企画広報室サブマネージャーの香苗かなえから(こちらは東子と違って資料室ではなく、矢嶋マネージャーと机を並べて仕事をしている)、「矢嶋さんは色々と要求が多いし、言い出したことは絶対引かない」と事前に聞かされていたから。


「すみません、気を付けます。ご指摘ありがとうございました」


 東子は頬が少しひきつるのを感じつつも笑顔で返してその場は解散となった。そして翌日から東子は、資料室のクローゼットにジャケットとヒールを忍ばせ、資料室から一歩でも外に出る時には、必ず着用することにした。


「で、その格好なんだ。お疲れさま」


 ランチ時、会社近くのイタリアンで待ち合わせた香苗が笑った。


「びっくりしちゃった。復帰初日から服装の注意をされるなんて」


「だよね。でも多分、もっといろいろ注意されるよ。細かいんだ、あいつ!」


 温和な香苗があいつ呼ばわりするところを見ると、芦原マネージャーが辞めてから半年の間に、香苗もいろいろあったのだろう。東子は嫌な予感がし、その予感は当たった。


 まずは、メール。

 資料室から社内宛に連絡メール――週一回の新着図書情報や不明図書の捜索願など――を出すたびに、内容や誤字のチェックが入るようになった。


 次に、部下への指導の仕方。

 資料室では二人のパートさんに来てもらっているのだが、彼女たちの勤務態度が悪いと指摘された。実際はそんなことはなく、二人とも業務は迅速的確にこなしてくれ、とても助かっているのだが。矢嶋マネージャーは、たまたま二人がトイレで雑談している現場に居合わせたそうで、「五分もしゃべっていた。用を済ませたらすぐ職場に戻るように徹底して」とメールがきた。

「その五分をあなたは計っていたんですか? それこそ時間の無駄ではないですか?」と東子は返信したかったが、ぐっと飲みこんだ。


 さらに、資料室業務の改善に関するあれこれ。


 そんなこんなで東子の育休からの復帰は波乱の幕開けとなったのだが、矢嶋マネージャーの指摘に対応するうちに月日は過ぎ、一年が経つ頃には、ほとんど指摘をされることもなくなっていた。











 



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