淫蕩なるきみを想う

文月十五

第1話 雪と栞 1

 季節は秋頃。

 昼下がりの午後二時。

 大学近くの喫茶店。

 行き着けのその店で私はいつもの如く自宅に積んであった本の数冊を持って来店し、それらを一人貪るように読んでいた。

 ある時、この店を大学の帰り道に見つけてからのいつもの日課。

 人気の少ない小洒落た店内で、ソファーの席に座り、アイスのミルクティーを頼んで、ただひたすらに本を尽きるまで読み耽る。

 読む本の種類は時によって様々だ。

 私は所謂乱読家であり、小説からエッセー、詩集に哲学書まで、その時々に気になって買い貯めた本を週末のこの時間に消化している。

 今日読んでいるのは小説がメインと、いくつかの学術書。

 ちょうど二冊目の小説を読み始めてすぐの頃合いだったか。

 文章に目を落とし、読み耽る私の背に聞き覚えのある声がかかった。


 「シオリちゃんだよね、何してるの?」


 顔あげてみれば、見覚えのある艶やかな髪色の少女。

 ある意味で、大学で知らない者はいないだろう人気者。

 綺麗目の整った顔立ちに反して、天真爛漫な雰囲気を漂わせる。

 気付けば、彼女が私の席のテーブルに座って私の顔をじっと覗き込んでいた。


 「ゆき、さん……。もしかしてこの店の常連?」

 「ううん。待ち時間まで結構あるから近く巡ってたら、見覚えのある姿が見えたから……」


 なんという縁だろうか。

 窓際で本を読む私の姿を見かけてこの店に入って来てくれたらしい。


 「本……好きなんだ?」

 「ええ……。この店のここで読むのが最近のマイブームなの」

 「そうなんだぁ。良い雰囲気だよね、ここ。今度から通っちゃおうかな」


 さらっと嬉しいことを言ってくれる。

 私も気に入っている、この洒落た店内を褒めてくれたこともだが、何より通うと言ってくれたこと。

 彼女とここで、会えるということ。


 彼女はさも自然なまま、私の向かいに座ってココアを注文する。

 同性から見ても酷く愛らしい彼女。


 どうせなら、何かの機会だ。

 以前から気になってたことを、彼女に訊いてしまおう。


 「そういえばだけれども」

 「うん」

 「貴女は、色んな男の人と付き合ってると聞いたんだけど」

 「うん……そうだねぇ」


 彼女との間に暫し緊張の幕が降りる。

 彼女は変わらぬ態度で私の次の言葉を待ってくれている。


 「貴女は……その。男の人と付き合うのが……好き、なの?」

 「ふふふっ……うん、そうだよ?」


 肯定の言葉に若干詰まりつつも私は次の言葉を紡ぐ。

 個人的に、何より一番気になっていたこと。その事実。


 「それは……その、セックスも含めて?」

 「……ふふふっ、うん。そう」


 嫌がりもせず答えてくれるその様は、想像以上に明け透けだ。

 そして、小耳にはさんでいた噂というのは真実味のあるものだったようだ。

 私が聞いていた噂……それは他ならぬ彼女が遊び好き、男好きだという噂。

 曰く、日頃から男漁りをしているだの、セックス中毒の快楽狂いだの。


 少なくとも噂が全くの嘘偽りでないと判った今、彼女の面立ちを見れば、単に綺麗目である以外にも、それだけでない色香がある気がしてくる。

 そんな彼女の顔を眺める中で、ふと思った更なる疑問。


 ただそれは完全かつ不躾な興味であって、大学で特に深く話したこともない彼女に面と向かって訊くのはやや憚られる事柄。

 ……が、しかし。

 私の奥底にある想いと、彼女の嫌な素振り一つ見せない柔和な雰囲気への甘えがその疑問への問いを切り開いた。


 「ねぇ、貴女はもしかして……セックスが好き、なの?」


 暫しの沈黙。

 やがて、彼女は悪戯っぽく笑って。


 「……、どっちだと思う?」


 暗に伏せているけれど、挑発するようなその訊き方は恐らく。

 彼女の告白に、暫し放心していたが、しかし不思議と嫌悪感は感じなかった。

 どこか苦々しい、けれど恍惚として美しくもある不思議な感覚。

 私の心の奥底にあるものがふと厭らしく疼くのを感じて、彼女に惹かれていっているのを自覚する。


 「一つ、聞いていい?」

 「うん? なあに?」

 「……その、なんて言うか、疲れはしないの?」

 「いくら好きって言ったって色々と体力がいる訳で」

 「四六時中なんて早々できない、時折"よがり狂う"なんて表現を見るけれど、そんな容易に気持ち良くなんてなかなかなれない」

 「容易に快楽を得られるよう身体を作り替える手法なんてのもあるらしいけれど、それにしたって技術やあるいは気持ちを通じ合わせる過程がいる」

 「そもそも貴女がそれほどまでに夢中になる理由はなに?」


 中学の頃に経た初体験。

 決して嫌な思い出ではないけれど、その経験からあの行為の快楽がそう容易なものでないことは知っている。

 純粋に彼女がそこまでそれにのめり込む理由が分からなかった。


 「私は……たぶん愛を確認する作業としてそれが好きなんだと思う」

 「私が思う、一番直接的に愛情を育める手段がそれで、気持ち良いことも勿論重要だけど、何よりしてる時に相手の男の人たちが見せる表情や感情の機微を見るのがたぶん一番好きな理由……なんだと思う」

 「なんて言うか、感情を食んでいるみたいな、ね……。私に向けられる慕情も、身体に向けられる劣情も、私はそれらを行いを通じて受け止めるのが好きなんだと思う」

 「あくまでも私はだけれど、直接的に快感を感じることより、重ねる身体を通じて伝わってくる愛情や欲望、相手が悦びを感じてるって分かる瞬間が一番心地良いし、何より充たされる嬉しさ、楽しさみたいなのがある、かな」


 正直で、しかし意外な答えだった。

 てっきり彼女は、いや彼女のような女性は、巧みな男の人から与えられる快楽にこそ夢中になってるものだと思っていたから。

 ある種美学とさえ言えるそれは、むしろロマンチックでさえあって。

 私が心のどこかでずっと感じていた疑問、それへの答えを得た気分だった。

 同時に、酷く悪戯っぽくもある彼女に、一つの懸念が生まれる。


 「ねぇ……一つ聞くけれど。不倫みたいなインモラル、背徳的な付き合いはしてないのよね?」

 「うぅん、してないよ。……正直興味がないかって聞かれたらあるけれど」

 「でも、私の楽しみの上においては、ちょっとリスキーだし。したこともないし、今後もするつもりはないかな」


 本当に、正直に答えてくれる。

 大学でも殆ど話したことがない私に、こうも正直に話してくれるのは……。

 少なくとも好意的な感情を持ってくれていると、そう解釈していいのだろうか。


 「ちなみに、その理由は?」

 「一言で言うと、破滅したくないから。いくらセックスも含め男の人と付き合うのが好きとはいえ、相手のご家庭にまで踏み込んでその環境や人生を破壊するほど破滅的な遊び方はしたくはないかなぁ。それにそもそもそんな相手に餓えてる訳じゃないし」

 「……まあ、ただ、どうしても好きになった相手がそれってんならちょっと考えるけど」


 最後の一言は少し見過ごせないけれど、本当に賢い子だ。

 そもそもいくらか聡くなければこんな危険な遊び方、謳歌できないというのもあるだろうが。


 「賢明だね」

 「そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいね」


 私の言葉に、素直な様子で喜ぶ彼女は大変可愛らしい。

 そんな風に思いつつ、時間が経って水滴の浮かんだアイスココアをストローで吸って口を潤す。


 「……あっ! そろそろ時間だ。最近、付き合い始めた彼氏くんが一緒にアクセサリー見てくれるってさ」


 ちょうど彼女の待ち人の時間が来たようだ。

 思わぬ収穫もあったし、何より満ち足りた時間を過ごせた気分だ。

 それこそ、好きな小説を読んでいる時くらい。

 やがて立ち上がった彼女に、別れの挨拶を告げる。


 「じゃあね、シオリちゃん。また学校でねぇ」

 「うん、また」


 そう言って別れを告げると思った一瞬、そっと彼女は私に体を寄せて。


 「……シオリちゃんももし興味があったら、どう? 付き合ってみない?」

 「男遊びの楽しさ、教えてあげるよ?」


 耳元で囁くように言われた一言に、色んな意味で心臓を鷲掴みにされる。


 「……、……やめて? 私にその気はない、から」

 「……? ふふふ……アハハ。そうだよね。ごめんね? イジワルしちゃって」


 てへっ、という感じの彼女の悪戯っぽい表情を尻目に、心臓の早鐘を調える。

 ……いけない。

 危なかった。この小悪魔的な少女の掌で踊らされるところだった。


 「じゃあね~」


 やがて一足早く会計を終えて、元気よく天真爛漫に去っていく少女の姿を退店まで見送りつつ、一人本を読む作業に戻る。


 ……だが、それは形だけだ。


 心の内ではさきほどまでの会話と、彼女への想いが大部分を占めていた。

 ついに、だ。当の彼女自身に、今日の今日まで気になっていた噂の真相を聴くことが出来た。

 真相は想像するより意外なもので、むしろ個人的には歓迎するべきものであったと思える。

 同時に、私の、彼女への想いをより深めるものであったとも。


 去り際の一言にも思ったが、正直に言えば、彼女のやり方はやはり危なっかしく、いずれ破綻を来すのではと思わなくもない。

 故に。だからこそ。

 今すぐでなくともよい。やがて破綻の兆候が僅かでも兆したのなら。

 彼女に男遊びをやめるよう助言して。

 そして。

 私が、彼女の……。

 ……、……いや、止そうか。

 これ以上は、この気持ちを止められなくなる。

 ……最近になって自覚した、この気持ち。


 彼女へのこれはそう……、きっと■■だ。

 きっと日頃彼女にぶつけられ、彼女が好き好んで受け止めている、男たちのそれと変わらない、醜くて、あるいは純粋な。

 心のどこかで常に望んでしまっている、やがて隠しきれなくなるだろうこの想い。

 彼女のお遊びに破滅が訪れるのが先か、それとも私のこの想いを悟られるのが先か。

 そんなどうしようもない未来に思いを馳せて、私は一人ゆっくりと、文章を貪るいつもの時間へと戻っていった。

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