慈悲と裏切り

猛木

『ミトリコエレオス』と『トレイ』

 戦い。それは無慈悲なもの。慈悲の心を持つ者から真っ先に食い物にされる。


 日常。それはいつも何も変わらない。毎度のように騙され、日々この心が荒んでいくのがよくわかる。しかし、そのような日常に特異点が生まれた。


 ある日、一人の捕虜をこの村で管理することとなった。それによって己に捕虜の世話という仕事が課されることとなった。正直、嫌で嫌でたまらない。こいつらによって多くの人々が犠牲になったからである。しかし、それを断れるほどの勇気はない。


 一日目。捕虜の体を拭いたり、飯を食わせたり、部屋の掃除を行った。捕虜がこちらと目を合わせるたびに笑みを浮かべるのが腹立たしかったが、なんの問題もない。


 二日目。捕虜の体を拭いたとき、いくつかの傷が目立っていた。恐らく、敵軍に家族を殺された者たちに報復されているのだろう。傷に触れたとき、「イタッ」と声を荒げていた。習慣のせいなのか、捕虜が痛そうにするたびに「ごめん」と謝ってしまう。問題はなかった。


 三日目。捕虜が話しかけてきた。

「毎日毎日大変だな。敵の世話をするなんてよ」

 この言葉を無視するように沈黙する。敵と話したくなかったからだ。こちらが無視をすると捕虜も口を閉ざした。問題は一切ない。


 四日目。リンチにでも遭っていたのだろうか、捕虜の顔に痛々しい痣が増えているのが確認できた。そして、体を拭いているとまた話しかけてきた。

「こんなに”安定した”日々は初めてだ。決まった時間にアンタがきて、決まった時間に飯を食って、決まった時間に体を清めて……決まった時間に拷問を受ける」

 あたかも、これまでは時間というものにこだわりがなかったかのような言い草だ。

「もしかしたら……これまでの人生で今が一番幸せなのかもしれないな」

 続けてそう言うと捕虜はカラカラと笑う。今が一番幸せなど、一体どのような感性からこの言葉は放たれているのだろうか。足は鎖で繋がれ、食事は日に一度、毎日のように罵声と暴力を浴びせられる。そのような日々が幸せなど、とんだ世迷言を吐いてくれる。今日も問題は一切なかった。


 五日目。牢に入るや否やとんでもないものが見えてしまった。捕虜の両足から骨がとびでていたのだ。

「やっとアンタが来てくれたか。じゃあ今日はもう楽しいだけだな」

「それより足の方をなんとかするぞ」

 あまりの惨劇につい声を出してしまった。敵とはいえ、ここまでの重傷を負っていたらできる手当を施すのが当たり前というものだろう。

「やっと声を出したか〜」

 こんなにも心が落ち着かないのにも関わらず、当人であるこやつには一切の危機感がないように見えるのが腹立たしい。

「結構痛いが、文句は受け付けない」

「あぁ……え?」

 とびでた骨を仕舞おうとすることは、この場合良い判断とはいえない。だからこそ、今は悪化を防ぐために患部を固定するのが最善策。自分の袖を引きちぎって、捕虜の患部に巻きつけ出血を抑えるために圧迫する。そのたびに捕虜の叫び声に近いうめき声をあげたが、足が腐ってなくなるよりかは十分マシだろう。

 簡単な処置を施し、いつもの業務をこなして牢から出ようとしたとき。

「ありがとう。」

 そんな言葉が背後から聞こえた。腹立たしかったが、問題は何もない。


 それから毎日、捕虜の世話をした。日に日に口数が増えていき、何も知らないものが見れば、この二人は友人のように見えていただろう。実際、この捕虜とはこれまでにないほどの友情を感じていたのは紛れもない事実であった。もしも、こやつが敵という立場でなければ、かけがえのない親友になれたのは確実だろう。


 二十五日目。結局、彼の片足は助からなかった。右足はなんとか切断にまでは至らなかったが、左足が真っ黒に変色し始めたためやむなくこの手で切断することとなった。彼は「アンタが気にすることでもない、仕方がなかったんだ」と言ってくれてはいたが、流石に片足を失ったことは堪えたらしくこの日は言葉を交わさなかった。


 二十九日目。最初に出会った時よりも、彼は衰弱していた。このままここにいれば彼が死んでしまうことは一目瞭然であった。彼の体を拭きながら、傷の応急処置をしながら声をかける。

「なぁ」

「ん? ……アンタから声をかけてくるなんて珍しいじゃないか」

 すると彼は笑顔で応える。

「このままここにいたらお前は確実に死ぬ」

「あぁ……だろうな」

 彼は自身の左足に視線を落としながら、そう返事する。

「だから逃げないか? 一緒にこの村から」

 言い終わると沈黙が少し続いた。彼は額に手を添えながら唸る。答えは決まったようなものだというのに、何を悩んでいるのだろうか。そんなことを考えていると彼が口を開く。

「だめだ」

「なぜ? このままでは死んでしまうんだぞ」

 その彼の意味のわからない答えに瞬時に問いかけてしまう。すると彼はこちらの目を見つめながら話し始める。

「最近アンタが怪我していること。俺が気づいていないと思っているのか?」

「はあ?」

 彼は続ける。

「アンタが俺によくしてくれていること、他の奴らにバレたんだろう? だから他の奴らに暴行を受けたことくらい誰だってわかる。いいか? 俺は死ぬのが確定してるんだ。このままでも、逃げたのがバレたとしてもな」

「だったら────」

「だがアンタは違う。このまま何もしなければ生きれる、だがその計画がしくじった場合。アンタも殺されるんだぞ……俺はアンタに死んでほしくないんだ」

 うまく隠していたつもりであったが、どうやら彼にはバレてしまっていたようだ。確かに、この頃彼と仲良くなっていたことが仲間に知られてしまったことによって、度々数人に囲まれては”裏切り者”、”愚か者”などと軽蔑の言葉とともに暴力を振るわれることが多くなったのは事実であった。

「だから、だめなんだ。すまない」

 そのときの彼の表情はいつもの笑顔とは打って変わって物悲しいもので、そんな彼の表情をみていると自分も思うところがある。

 それからその日はなんだか気まずくて、両方言葉を発せなかった。  

 そして、いつも通りの牢から出ようとすると、後ろから声をかけられる。

「なぁ、名前を教えてくれよ」

 そういえば、名乗ったことがなかった。

「……ミトリコエレオスだ」

「ミトリコエレオスか。忘れないぜ、俺の名前はトレイ。忘れないでくれ」

「あぁ、忘れない」

 そのまま、振り返らずに牢を出た。別にこれが最後の別れになるような気がした、とかそういうことはないはず。それなのに、胸騒ぎが止まらない。問題は一切ないはず。


 三十日目。嫌な予感ほどよく的中し、それは的確に最も苦しむ場所へと打ち込まれる。囲まれていたトレイは達磨になっていた。その肌は赤く染まり、もはや拘束の必要は無くなっていたのだ。あまりの変わりように言葉を失っていると、仲間が肩に手をぽんと置きながら声をかけてくる。

「朗報だ。こいつにはもう捕虜としての価値はなくなった」

「……」

 何も聞こえない。声が出せない。

「あとはこいつを処分してしまえばいい。もう、こいつの世話をしなくてもよくなったぞ。よかったな」

 そう言い終わると、そいつらは牢から出ていった。すると、弱ったトレイが口を開き始める。

「そ、そこにいるのか? 遅かったじゃないか」

「ト、トレイ……」

 まだ息がある。これならばまだ助けられるのかもしれない。そんな気持ちでトレイを抱き抱えながらどうすればいいかを考える。

「へへへ。俺はもうだめだ。傷があまりにも大き過ぎるんだ」

「何言ってんだよ?」

 しかし、彼は己の身を完全に諦めていた。これまでに感じたことのないほどの怒りが心をたぎらせる。己の無力、奴らの残虐性、唯一の友を苦しめる死の可能性が。

「最後……聞いてくれるか?」

「さ、最後になるわけがないだろ! 俺が、俺がお前を助けるんだ!」

 こんな重傷では手の施しようがないのかもしれない。それがわかっていたとしても、何かしないということはできない。なぜなら彼は唯一の友人だからだ。

「こ、このままじゃ、アンタも殺されちまう。なぜだかあいつら、逃走を企てようとしてたこと知ってやがったんだ」

「それよりも今は────」

 トレイが必死そうに声を遮る。

「黙って聞いてくれ。俺の腹の中に銃が隠されている……だから、これを使って逃げてくれ」

「そ、そんなことしたら……トレイ。お前死ぬぞ」

「本当なら自分で使う予定だったんだが、もう俺には使えない代物だ。だから、アンタが使ってくれ。それで死ぬなら本望だ」

「おい……ッ!?」

 話が妙に噛み合わない。トレイの耳に目をやると、たくさんの血が今もなお流れているのがわかった。どうやら、彼は聴力すらも奪われてしまったようだ。

「何いっても、もうわかんねぇよ……でも、アンタのことだからこの後に及んで俺のことを助けようとしているんだろ? アンタは慈悲に満ちた優しいやつだからな」

 彼がどのような行為をその身一つで受けてきたかを考えていると、言葉が出なくなる。しかし、何も聞こえない彼は続ける。

「アンタには俺の腹を裂いて、ここから逃げてほしい。俺が望むのはそれだけだ……さ、最後の頼みだ。な、何度も言っているが……アンタにだけは死んでほしくないんだよ」

 眼球に水が溜まり、視界に歪みがどんどん生じてくる。空気が喉に突っかかって声がでない。

「敵でも味方でも、ミトリコエレオス。アンタが一番優しかったんだよ。あ、アンタは毎日文句も言わず俺の世話をしてよ。敵であ、ある俺を助けようとしてくれてよ。り、リスクを負ってまで提案してくれた昨日の言葉、すごい嬉しかったんだぜ? だから、その恩を返させてくれたっていいだろ?」

 彼が声を発するたびに、その声から生気が消えていく。もう、この瞬間を生きていることすら奇跡のように感じた。

「だから、アンタだけで……も」

 その瞬間、彼の体は力なく重力に従って垂れた。そして同時に、心の中で何かがガシャガシャと音をたてながら崩れていくのがよくわかった。トレイは死んだのだ。

「お前も……優しいよ」

 涙が溢れてくる。さよならも言わず、トレイの腹を切り裂いた。彼の中には言葉通り銃があった。

「これを使って俺を殺して逃げていれば、死なずに済んだのに」

 それから、村人はいなくなった。現場に残ったのは空薬莢と血溜まりと死体だけだった。

 そして、村の唯一の生き残りのミトリコエレオスの消息は未だに、誰も掴めていないという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

慈悲と裏切り 猛木 @moumoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ