雨降って、恋始まる ~雨が降ったら同僚が急に甘くて~

またたびやま銀猫

第1話

 真夏は人をぐだぐだにする。

 私は恨めしく空を見上げた。すかっと晴れた空には絵にかいたような白い雲が沸き上がっている。

 あの分だけ地上の水が蒸発してるんだから、人間が茹で上がらないわけないと思う。


「大丈夫?」

 同僚の戸来居賢司とくい けんじに聞かれ、私は首をふる。

「無理、溶ける」

「会社を出てまだ五分だぞ」

 賢司が苦笑する。


 だけど、もうすでに汗だくだ。

 私たちは営業で、会社を出たところだった。

 夏の日差しにあぶられながら、私たちは目的地に向かった。




 なんとか営業を終えてビルを出たとき、ぽつん、と水滴がおでこに当たった。

「さっきまで晴れてたのに」

 私は空を見上げて呟いた。

 重苦しいグレーの雲がどんよりと空を覆っている。


「急ごう」

 賢司が言い、私たちは急いで駅に向かった。

 だけど途中で降り出した滝のような雨になすすべもなく、近くの喫茶店に逃げ込んだ。


「上着、大丈夫か?」

 賢司に聞かれる。

 私はさっき、手に持った上着を水たまりに落としてしまったのだ。おかげでべちょべちょ。


「クリーニングに出せば大丈夫」

 エコバックがわりに持っていたビニール袋に上着を入れた。だけど今日はもう着れそうにない。

「そっか。しかし当分やみそうにないな」

 スマホで予報を見て賢司が言う。


 ふと、昨日見たマンガを思い出す。

 雨に降られた主人公と同期の男性が、なぜホテルに雨宿りに入り、そのまま……という展開だった。そうして二人は恋に落ちてしまうのだ。

 マンガなら、私が賢司とそんな展開になるのかな。


 私は恥ずかしくなって俯いた。

 なんで思い出しちゃうんだろう。どうして賢司との展開を想像しちゃうんだろう。

 ああもう、マンガのばか! なんでホテルで雨宿りするの!

 私は羞恥を悟られないようにアイスコーヒーを飲んだ。


「なに赤くなってんの?」

 賢司の指摘に、私は慌てて頬に手を当てる。

「見ないでよ変態」

 むしろ変態は自分かもしれないけど。


「なんだよそれ」

 賢司は苦笑し、それから、真顔になった。

「熱中症、なりかかってる?」

「走ったせいだよ」

 妄想したせいで赤い、なんて言えない。

 賢司が腕を伸ばして私の額に手を当てる。


「やっぱ熱いよ。ここでしっかり休憩していこう。課長には連絡しておく」

 賢司はすぐにスマホでメールを送った。

「……ごめん」

 たぶん違うんだけど、どう否定していいのかもわからない。

 私はそのまま、賢司と喫茶店で時間をつぶした。


 だけどしばらくすると、冷房のせいで体が冷えてしまった。雨に濡れたから余計だ。

 アイスコーヒーなんて頼むんじゃなかった。余計に冷えちゃう。

 私は自分を抱くようにして両腕をさすった。


「熱中症は寒気が出ることもあるらしいけど、本当に大丈夫か?」

「冷房のせいだよ」

 すると、賢司が急に席を立った。

 彼は上着を脱ぐと、私の肩に羽織らせた。


「羽織っとけ」

「あなたが寒くならない?」

「大丈夫。夏の上着なんていつもは邪魔だけど、役に立ったな」

 彼はにこっと笑った。

 晴れた空のような爽やかさに、私の胸がどきっと鳴った。


 マンガのせい、マンガのせい。

 呪文のように心の中で唱える。だけど、どうしても気になってしまう。ぶかぶかの硬い生地が冷房から私を守ってくれている。まるで賢司が守ってくれているように錯覚しそう。


「上着を借りるなんて、彼女が気を悪くしない?」

 言ってから、失敗を悟った。こんなの探りを入れてるみたいじゃない。


「いないよ。ってか、お前は彼氏いんの?」

「いないけど……」

「そっか。良かった」

 良かったってどういうこと!?

 余計に気になる状態になってしまった。


「なんかいいな」

「なにが?」

「俺の上着をお前が着てるの。かわいい」

 いたずらっぽく、賢司が微笑する。

「やめてよ」

 私は両手で顔を覆った。せっかくおさまったのに、また顔が赤くなっちゃう。


「お、雨やんだな」

 私の気も知らずに、窓の外を見て、賢司が言う。

 雨粒のついたガラス越しに街が見える。道を行く人はみな、傘を閉じて歩いていた。


 私はゲリラ豪雨を恨んだ。降りさえしなければ喫茶店に入らなくて済んだし、賢司を意識しなくても済んだのに。

 なのに、今となってはやんでしまったことが恨めしい――もうお店を出ないといけないから。


 会計を済ませて外に出ると、先ほどまでの暗い雲はもうどこにも見当たらない。

 電線や喫茶店のひさしから、思い出したように雫がぽちょんと垂れる。


「行こうか」

 賢司に手を差し出されるから、私はどきっとした。

 手をつなぐってこと? なんで急に?

 おそるおそる手を握ると、賢司は苦笑した。


「上着、邪魔だろ」

「あ!」

 すごい勘違い。恥ずかしい。

 私は慌てて上着を脱いで彼に返した。


「せっかくだからさ」

 賢司は上着を手に持つと、反対の手で私の手を握った。

 私は驚いて彼を見る。

「これで行くか」

 賢司は視線を合わせず、空を見上げている。その耳が赤い。


「……うん」

 私は反対を向いてうなずいた。

 雨上がりの空は、どこまでも青く輝いていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨降って、恋始まる ~雨が降ったら同僚が急に甘くて~ またたびやま銀猫 @matatabiyama-ginneko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ