右大臣様ごめんなさい。僕のせいで美咲ちゃんがお嫁に行けないかもしれません。

穂辺 文

右大臣様ごめんなさい。僕のせいで美咲ちゃんがお嫁に行けないかもしれません。

 あかりをつけましょ ぼんぼりに

  お花をあげましょ 桃の花


 桃も桜も、花開くにはまだ少し早い二月の終わり。立花家の雛壇には、あでやかな着物を着た人形たちが賑やかに並んでいる。

 お内裏様とお雛様、三人官女、右大臣・左大臣に三人上戸、そして五人囃子。


「この子、美咲にちょっと似てるねえ」

「ほんと? みさき、この子がいちばん好き!」


 雛壇の前に座る女の子の手には、太鼓係の五人囃子が握られている。


「さあ、そろそろ出かけようね。もうすぐ小学生だから、いろいろ準備しなくっちゃ」

「はーい!」


 お母さんは美咲の手から優しく人形を取りあげて雛壇に戻すと、すっと立ち上がった。

 

 ***


「……みんな出かけたわね?」

「ええ、もう動いても大丈夫」

「さあ姉様、雛祭りの支度を続けましょう」


 三人官女の一人、三方さんぽうを持った官女が一段上にいるお雛様を振り返る。


「ともにゐて 幾千代いくちよ経るも 春のごと

 変わらぬ花の 色をしるらむ」

「まあ……♡ ならばこそ 今のひととき 惜しみつつ 咲きてうつろふ 花のゆめ見む」


 お内裏様とお雛様が、しっとりと頬を染めながら愛を語り合っている。


「んもう、姉様ったらいつもこうなんだから!」


 その足元では——


「なあ、今日はどこを探検する?」

「美咲ちゃんの部屋は? 面白いおもちゃがいっぱい!」

「えー? 昨日も一昨日も行っただろう? 別の場所も行ってみようぜ」

「父君の部屋だけは勘弁……」

「煙草の匂いやられて、歌えなくなっちゃうもんな!」

 

 ガヤガヤと騒ぐおかっぱ頭のわらべたち。そう、五人囃子だ。


「貴様らぁ!!!」

「わぁああ!!!」


 雷のような怒声が響く。五人囃子の一段下、四段目から鬼のような形相で睨んでいる年配の武人。


「さ、左大臣様!」

 

「囃子の稽古もせずに何をしておる! 我々が宴を成功させなければ、美咲殿が将来立派な嫁入りを果たせなくなってしまうのだぞ!」

「そんな大袈裟な~、宴ではちゃんと素晴らしい演奏をしてみせますから、ちょっと探検するくらい……」


 左大臣の額に、ピキっと青筋が走る。

 

「ちょっとだと……? 貴様ら……先日も危なく見つかりそうになったことを忘れたのか!! 我々は決して人間に動いているところを見られてはならぬのだ!!」


 左大臣は顔を真っ赤にして、刀を地面にドンッと打ち付ける。


「人間に動くところを見られたらどうなるか、わかっておるのだろうな!」

「ひえぇ……!」

「やれ呪いの人形だなどと揶揄され、お祓いされ、塩を撒かれ、挙句は燃やされるやもしれぬのだぞ!!」

 

「も、燃やされる……!!?」

「ひいぃぃーーっ」

「熱いのはいやだああ!!」


 五人囃子は顔を見合わせて震え上がる。


「焚くほどに 香をしむるは 梅の花

 燃ゆる調べの 響きを待たむ」


 ヤーヤーと騒ぎ立てる五人囃子の喧騒を切るように、低く澄んだ声が響く。四段目の向かって左側に凛として座している、端整な顔立ちの男。右大臣である。


「お前達の囃子、期待しているぞ」


 右大臣がそう言って微笑んだ瞬間、五人囃子の目がキラキラと輝き出す。


「右大臣様!!」

「お任せ下さい!」

「必ずや素晴らしい演奏をご覧に入れます!」

「ようし、練習しよう!」

「頑張らなくては!」


「まったく、現金な奴め……」


 左大臣がやれやれと深いため息をつく。五人囃子が気合いを入れ直して練習に取り掛かろうとした、その時――


コロコロコロ……


「ん?」

「あ、バチが!!!」


 太鼓係の五人囃子の手が空っぽになっていた。バチはコロコロと転がっていく。


「怒り上戸のおじさん、それ捕まえて!」

「な、なんだと!? おっとっと」


 怒り上戸がバチを踏みつけそうになってよろける。


「ハッハッハ!怒り上戸よ、愉快な舞ではないか!」

「バチがなければ演奏ができない……これでは美咲殿がお嫁に行けない……およよよよ」


「ちょっとお! 泣いてないで捕まえてよお!」


 なおもバチはコロコロと転がっていく。そしてとうとう雛壇から完全に転がり落ち、運悪く傍に置いてあった棚の下に入り込んでしまった。これではもう、人形達にはどうすることも出来ない。


「……貴様ら。何をしておるかああああ!!!!」


 雷のような怒号が響くなか、家の玄関の扉が開く音がした——。



「ただいまー!」


 お母さんは夕飯の支度を始め、お父さんはテレビをつける。美咲は、真っ先に雛壇の前へ駆け寄った。


「おひな様たち、ただいま! ふふっ、やっぱりかわいいねえ」

「わーい、みさきちゃん、ありがとう!」


 五人囃子の一番左、太鼓係の人形を手に取ると、嬉しそうににこにこと一人二役で話し始める。


「美咲、手を洗ってからにしなさい」

「はーい!」


 美咲は持っていた人形を床に置いて、洗面所へ走っていった。それを見たお母さんが、雛壇を直しに来る。


「……あら? この人形、バチが無いわね」


 雛壇を見回す。

 

「どこにも落ちていないみたい……。美咲ー! 五人囃子のバチがないんだけど、またどこかに持っていっちゃったの!?」

「えっ、ちがうよ!」

「じゃあ、どうしてないの? この子は美咲のお気に入りの子でしょう?」


「……わかんない……」


美咲はしゅんと俯いてしまった。


 ***


 家族が寝静まった頃、真っ暗な部屋の中に人形達のひそひそとした話し声が聞こえる。

 

「あんたたちのせいで、美咲ちゃんが叱られてしまったじゃない」

「可哀想に、落ち込んでいたわ」

「美咲ちゃんはなにも悪くないのに」

 

 三人官女が腕を組んで睨む。


「姉様も、なんとか言ってくださいな!」


 お雛様は優雅に微笑んだまま、お内裏様と手と手を取り合っている。


「風吹けど なおも変はらぬ 花の香に

 君が笑みこそ 春のしるしよ」

「ふふ、殿ったら……」


 ——当然、聞いちゃいない。


「はあ、まったく、どうするのよ。演奏が出来なければ宴は成功しないわ」

「およよよよ、あはれ美咲殿……。かくなる上は我が嫁に……」

「泣き上戸のおじ様!? いい加減にしてくださいまし!」


「……うう、ごめんなさい」


 五人囃子はガックリと肩を落とす。解決策が見つからぬまま、やがて人形達は静かに眠りについた。


 

 静かな暗闇。

 時計の音だけが響く部屋に――


 ギシ……ギシ……


 小さな足音がした。横笛を持った五人囃子がぼんやり目を開ける。


「ん……?」


 不思議に思ったものの、押し寄せる眠気には勝てず、そのまま意識を手放してしまった。


***

 

 翌朝、人形たちが目を覚ますと——


「えっ……!? バチがある!!!」


 五人囃子の手には、新しいバチが握られていた。


「こ、これは一体……?」

「あ!もしかして、昨日の足音……!」


 そのとき、美咲が朝ごはんを食べに起きてきた。雛壇の前に座って、にこにこと人形達を眺める。


「バチ、気に入ってくれた? みさき、昨日がんばって作ったんだよ!」


 ピンク色の折り紙を小さくクルクルとまるめて、うさぎさんのシールでとめられた、なんとも可愛らしいバチ。

 

「美咲ちゃんが……!!」


 五人囃子は感動して、ぐっと胸を押さえた。


「なんと……美しき心……」

「やさしさの つどふ心に かさねるは

 さちふるえにし 花のごとし」


 お内裏様とお雛様も、しみじみと微笑んでいる。


 ***


「あかりをつけましょ ぼんぼりに♪」

「お花をあげましょ 桃の花♪」

 

 立花家の雛祭りは賑やかだ。色美しいちらし寿司に、美咲の大好きな桜餅を食べ、ひな祭りの歌を歌う。みんなでトランプをしたり、楽しい時間を過ごす。


 楽しい笑い声に包まれる中、雛人形たちは、雛壇の上から誇らしげにその様子を見守っていた。

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右大臣様ごめんなさい。僕のせいで美咲ちゃんがお嫁に行けないかもしれません。 穂辺 文 @honobe_aya

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