第32話 私はイチゴが食べたい(6)

 程よい勢いで流れだした水が、洗い重ねた食器の泡を落としていく。

 手から食器が滑り落ちないように注意しつつ、洗い残しの有無を確認しながら菜花ちゃんへ手渡してく。


「――餃子残っちゃったね」


 コンロに乗る水餃子の入った鍋、それから冷蔵庫へ菜花ちゃんは目を向ける。

 中には保存ラップが掛けられた焼く前の餃子が眠っている。


「いっぱい作ったからね」

「どうするの?」

「夕飯にするかそれでも余ったら冷凍かな」


 小さく「そっか」と溢した菜花ちゃんへ、イジワルなことを訊く。


「お弁当に詰めたら、菜花ちゃんも食べる?」


 菜花ちゃんは無言だ。

 けど、流れる水や水滴一つ付かない綺麗に拭き取られた食器の当たる音が、菜花ちゃんの返答な気がした。


「餃子、美味しくなかった?」


「……美味しかったよ。お肉多めで」


「野菜が好きなのは、私だけだったからね」


「!? いっちゃんあのねっ! わたし本当は……」


「気付いていたよ」


「え!!?」


「幼馴染だもん」


 最後の食器を洗い終えた私は蛇口を下げ、水を止める。

 そして食器拭きと濡れた食器を手に取り続ける。


「キノコだよね?」


「……キノコって?」


「この間お昼にみんなでハンバーグ食べたでしょう?」


「いっちゃんが作ってくれたキノコハンバーグのこと?」


「そう、それ。でもその時珍しく菜花ちゃんは感想を言わなかった。だからもしかして、菜花ちゃんはキノコが苦手なのかなって」


 言い当てたことが理由なのか、菜花ちゃんは左右に目を泳がせる。


「そうだけど、でもね――」

「やっぱり。この話を打ち明けたいって言ってくれた時もハンバーグをお弁当に持ってくるって話をした後だったもんね」


「あのね――」

「いいの、謝らないで」


「違うの、いっちゃん――」

「むしろ今まで気付けなくてごめんね」


 頭を下げようとしたその時、


「話を聞いてっ!! 一人で勝手に盛り上がらないでっっ!!」


 声を荒げた菜花ちゃんが涙目に私を見ていた。


「違うの、キノコだけじゃないの…………私ね、本当は菜の花以外全ての野菜が駄目なの」


 初めて泣かせてしまった。

 さらに加わる衝撃の告白に私は呆然自失した。


「単品なら我慢して食べられないこともないんだけど、でも、春巻きとかハンバーグとか餃子とか、複数の野菜がぐちゃぐちゃに混ざり合っているのは辛いの」


「そ……うな、の…………?」


 どれもここ最近振舞ったもので、

 我慢させていた? 気付けなかった?

 マイルールを破り、嫌いな野菜を無理矢理食べさせていた?


 と、頭や感情がぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまった。


「食べたら顔も不細工になるし、いっちゃんに知られなければ嘘にもならないから今まで必死に繕い隠していた」


「どうして、私に話そうと思ってくれたの?」


笑住えすむに気付かれたことがきっかけだけど――」


 いつの間に? 私の方が菜花ちゃんの近くにいるのにな。


「トウモロコシを美味しそうに食べる夏玉さんの姿を見て、前向きに野菜と向き合う秋山さんや冬葉を見て、それからパプリカの話を聞いて、私も……いっちゃんやみんなと嘘偽りのない思い出を作りたい。そう思ったの」


「そ……っか」


「いっちゃんは、嘘つきな私を……嫌いになった?」


「ならないよ、私が菜花ちゃんを嫌いになることなんてないよ」


 見るからに強張っていた菜花ちゃんの顔が僅かに緩む。


「私が野菜を克服したいと言ったら、いっちゃんは協力してくれる? ……て、いっちゃんには愚問だったよね」


「ふふ、まーね?」


 私と菜花ちゃんは視線を重ねクスクスと笑い合う。


「菜花ちゃんが望むなら私はいつだって協力するよ」


「……期間は? いつまで協力してくれるの? 私がむかし菜の花を食べられるようになりたいと言った時みたいに、食べられるようになるまで寄り添ってくれる?」


「うん、野菜を好きになるまで傍にいるよ」


「私ずるいから、今度は一生好きにならない振りをするかもよ?」


 菜花ちゃんが本気で隠そうとしたら、鈍い私はきっと気付けないだろう。


「そうしたら一生傍にいることになるね」


「むかしも言ってくれたね。その言葉がどれだけ心強く感じさせたか」


「菜花ちゃんは人見知りだったもんね」


「そうだよ、だから私はいつもニコニコして可愛いな、と遠目に見ていたいっちゃんの気を引くのに菜の花を食べたい! って言ったんだよ。いっちゃんは知らないだろうけど」


「それは知らなかった」


 当時は店頭で野菜をおススメすることを覚えたばかりで、それに夢中だった。

 頼られたことが嬉しくて、菜の花の魅力を一生懸命に菜花ちゃんへ伝えていた記憶が色濃く残っている。


「おかげでひな祭りの日に食べる菜の花のチラシ寿司が好きになれて、そして――」


 菜花ちゃんは桃色に染めた頬と潤ませた瞳を私へ向ける。


「――いっちゃんを好きになった」


 日頃から言われる「好き」とは違う。

 何倍も想いが籠められた【好き】だ。


「ありがとう、嬉しい」


「――好き。私は、いっちゃんのことが大好きです」


「私も菜花ちゃんのこと好きだよ」


「違うの! 私の好きは特別な人にだけ向ける気持ちなの!」


「私も一緒だよ?」


 菜花ちゃんは途端に不満気な顔を作り「どうして伝わらないかなぁ……」と吐き出した。


「いっちゃん、私ちょっと自惚れていたかも」


「そうなの?」


「うん。――いっちゃんの細胞すべて好きだと思っていたけど、鈍いところは不満かもって」


 野菜の魅力はするすると伝えられるけど、自分の本心を伝えることは昔からどうしても苦手だ。


 かといって、すれ違いを放置することはよくないのだけれど。


「菜花ちゃんは、なんの野菜が好き?」

「何度でも言うけど、私は苺が大好きだよ」

「そうだよね――」


(――ごめん、お母さん)


「いっちゃんはないの? 私に対しての不満や言っておきたいこと……って、イチゴ? 取り出したりしてどうするの?」


「もちろん食べるんだよ」


 と、お母さん以外の前で食べてはいけないという言い付けを破り、


 取ったヘタの方からぱくりと齧りつき、私は久しぶりに苺を食べた。

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