第16話 私は初物トウモロコシが食べたい(7)

 顔からは汗が滴り落ち、頭の中に響き聞こえるほどに心臓はうるさい。

 喘ぐ呼吸で取り入れた酸素と共に疲労感が全身に運ばれる。


「はあぁっ、はぁっ――」

「んっ、はぁっ――」

「も、うっ、げんか、い――」


 女子高生三人は、体育館で仰向けになり身動き一つと取れずにいる。

 蜀黍こがねちゃんは、そんな私たちを一人見下ろす。


「なははは……みんな、えっちいね? 見てるコッチが、いけない気分になってくるよ~」


「はぁっ、うる、さ、い――!」


 白菜ちゃんは顔を上げキッと蜀黍ちゃんを睨んだが、またすぐに重力に屈する。


「ごめんねー? あたし、激しくしすぎちゃったかも?」


 バドミントンの基礎であり最も大切なものはステップ。

 いわゆる足運びやフットワークと呼ばれるものだ。

 蜀黍ちゃんの教えによって開始された全力ステップトレーニング。


 蜀黍ちゃんの鬼の手拍子で、休まる暇もなくひたすら繰り返されるステップ。

 私たちは、それだけで地に屈した。


「あたし飲み物買ってくるから、みんなは適当に休んでで」


「わたし、水でお願い!」

「わたしは、味のついた水……があれば!」

「シロナは、スポドリなら、なんで、も!」


「みんな結構元気じゃーん? これならもうちょっと厳しくても大丈夫だったな~」


「「「…………」」」


 絶句する私たちを見た蜀黍ちゃんは

「じょ、冗談だよ~」と、すーすー鳴らない口笛を吹き、小走りに去って行った――。


 動ける程度に体力が戻った後、私たちはベンチへ移動した。

 希望通りのペットボトル飲料で、ゴクゴク喉を鳴らし水分補給を済ませる。


「生き返ったぁ~……蜀黍ちゃん、飲み物ありがとね。財布ロッカーだから、お代は着替える時に払うね」


「うん、りょーかい。あーちゃんは水だけだと心配だからコレ舐めて――」


 コレの正体は塩レモンタブレットだ。


「蜀黍ちゃん、ありがとね。いただきます――」


 菜花ちゃんと白菜ちゃんの二人も受け取り、失った塩分を四人揃って補給する。


「あー……なんか私すでに太ももやお腹に筋肉痛がきてるかも」

「シロナは二の腕も痛いかも」

「全身痛いけど、胸が一番痛いかなぁ……」


(((それは筋肉痛じゃないのでは?)))


 無言で菜花ちゃんの胸部へ注がれた視線が、スレンダー三人組の心の声を揃えさせた。


「シロナはね、好きが突き抜けるところは二人の魅力だし素敵だなと思う。巻き込まれるのも別に嫌じゃないけど……でもさ? 苺と蜀黍はもっと優しくしないとダメ」


「うっそだ~? ふーちゃんそれは言い過ぎだって。あたし、あーちゃんのアレより優しかったでしょ?」


「私はただ野菜の魅力を伝えただけだよ?」


「シロナはどっちもどっちだって考え。春乃は? 身内贔屓せず答えて」


 集まる視線を無視して菜花ちゃんは静かに立ち上がった。


「いっちゃん、髪ほどけてるから結び直してあげる」


「ありがとう?」


「つまり春乃はシロナと同意見ってことね」


「納得いかなーい! はーちゃん、もう一回動画見せてよ!」


「ロッカーにあるから、あとでね」


 蜀黍ちゃんが言った動画とは、一昨日金曜日のアンデスメロン販売のことだ。

 こっそり動画を撮っていた菜花ちゃんが、今朝それをみんなに見せている。


 私は、菜花ちゃんが髪を結び直している最中に「そんなに酷いかなぁ」と動画を思い出す――――。


『通常14度のところ本日はなんと! たった今計測したところ16度と出ました!』


『今のお時間だけの特別販売! 安い理由? あたしが発注をミスったから!』


『試食の感想を聞いてみましょう。メロン美味しいかな~、どうかな~?』


『店員のお姉さん! メロン、とってもおいしー!』


『――と、子供を笑顔にさせるアンデスメロンは、一時間だけの特別販売です! どうぞ青果コーナーへお集まりください――――』


 と、出張版『苺ちゃんの食べ方売り講座』で、私は店員さんにメロンの知識や売り方を教え、それを実践してもらっただけだから、やっぱり変なところはない。


「無関係な子供まで巻き込んだ苺は、やっぱりあくどいわね」


「ふーちゃんが言うには、あたしもコレと同等なんでしょ~?」


 白菜ちゃんと蜀黍ちゃんは好き放題に感想を述べ私へ向いた。


「動画にはないけど、最終的にはみんな笑顔になったんだよ?」


 まあ、ちょっと出しゃばり過ぎた感は否めないし、采萌ともえさんに迎えに来てもらったり、菜花ちゃんとのデートを中断したり、と反省はあるけどさ。


「むー、てことは、はーちゃん的にはあたしの方が酷いってこと?」


 首だけでなく、上半身までを横に傾ける蜀黍ちゃん。


「私は絶対的にいっちゃんの味方だから」


「贔屓するなって言ってんでしょっ!」


「あうっ……いっちゃん終わったよぉ……」


「ありがとう、菜花ちゃん。大丈夫?」


「ダメだからおでこ撫でで~……」


 後ろからギュッと甘えてくる菜花ちゃんの望みを叶えるのに手を伸ばす。


「よしよーし。痛いの痛いの飛んでけー」


「シロナ……いろいろな意味で戦う前からヘロヘロなんだけど?」


「んじゃ、ふーちゃんのことは、あたしが撫でであげようか?」


「いい。気持ちだけ受け取っておく。シロナはあとで木之香にでも甘えるか、ら……」


 白菜ちゃんは思い出したかのように、自身の体の匂いを嗅ぎ出した。


「尋常じゃないくらい汗掻いちゃったけど、シロナ臭くない? 平気!?」


「ふーちゃんは……んー、無臭?」


「む、しゅう……無臭って、それってどんな臭いなのよ!? 臭いの!??」


 無臭は無臭だよ。落ち着いて、白菜ちゃん。


「あ、やっぱりに……甘い? かもかも?」

木之香このかが甘い……どういう意味よ!? ケンカ売ってんの!??」


 んー白菜ちゃんは、木之香ちゃんのことになるとポンコツ可愛いくなるんだなぁ。


「あはは、ふーちゃんって面白いよね」


「蜀黍じゃわけわかんない!! そうだ春乃、あなたの匂いの正体を教えなさいよ!!」


「今は無理だよぉ。ボディミストはロッカーにあるし、それに――」

「じゃ、今すぐロッカー行くわよ!!」


「ああぁ~……私今せっかくいっちゃんニウム補充中してたのにぃ~~!!」


 采萌さんや美木さん以外にもニウムって浸透しているの?


「お、お詫びに苺とお揃いに髪セットしてあげるから!! お願い」


「っ、し……仕方ないなぁ、もう――」


 菜花ちゃんは白菜ちゃんと去って行く。

 二人の後ろ姿を眺めていると、肩をチョンチョンと叩かれた。


「ところで、はーちゃんが言ってたニウムってなに? 何かの元素?」


「私の予想では、幸せホルモンの一つのセロトニンじゃないかなって」


「ん? そのセロなんちゃらが、あーちゃんから出ているってこと?」


「どうだろう? でも、いい匂いだと感じたら、その人とは相性がいいとか聞くよね」


「ふーん? 試しにあーちゃんの匂い嗅いでみてもいい?」


「それなら嗅ぎ合いっこしようよ!」


「んー……みんなと違ってあたしは普通に臭うと思うから恥ずかしいな」


 恥ずかしいのは一緒だから安心していいよ?


「あーちゃんの匂いだけ嗅いだらダメ?」


 んー……まあ、菜花ちゃんの反応を見る限り臭くはない筈だから平気だよね。


「蜀黍ちゃんの好きにしていいよ」


 けど、その代わりに私も好きにするからね?


 襟を手で除け露わにさせた首元へ近付く蜀黍ちゃん。

 意識を嗅覚に集中させ、こっそりと蜀黍ちゃんの臭いを嗅ぐ……あ、お日さまの香りだ。

 干したてのお布団のような落ち着く匂いがする。


「あーちゃんの匂い……好きかも」


「私と蜀黍ちゃんは相性いいのかもね」


「えへへ~、嬉しいなぁ……あたし今ね、無性に――――」


 うんうん、私も蜀黍ちゃんの匂い好きだし嬉しいよ。


「無性にね? メロンが食べたい、そんな気分になった!」


 んんん~~~~????

 ちなみに私はお布団でお昼寝したい気分だよ??


「メロンかぁ、一昨日食べたからかな? あ、もしかして汗がベタベタするとか?」


「あーちゃんは爽やかな……果物? みたいな香りがして、ベタベタもしないよ?」


 なるほどね、それは菜花ちゃんが「私のと相性抜群の香りだよ」とプレゼントしてくれたヘアフレグランスだ。

 シトラスの香りが爽やかさんの正体だ。


「蜀黍ちゃん、それならどうしてメロンの気分になったの?」


「爽やかな果物の匂いでしょ? そう考えたら動画を思い出してね、あーちゃんが楽しそうにする姿まで思い出して、ああ、あーちゃんは本当に野菜が好きなんだなぁって? あーちゃんと一緒なら、そうしたら、あたしでも美味しくメロンを食べられるかなぁって気がしたんだ」


 つまりは連想ゲームみたいな感じかな?


「蜀黍ちゃんは想像力が豊かなんだね」


「バドミントンって戦略とかで頭を使うんだよ?」


「それで鍛えられたんだ」


「見得張っちゃったけど、あたしの場合は体が覚えるまでの反復練習だから違うかも」


「ふふ、そっちの方が蜀黍ちゃんって感じだ」


 笑う私から離れた蜀黍ちゃんは、むくれ顔を作っていた。


「あーちゃんまでコーチが言うようにあたしのこと脳筋って言うんだー?」


「ごめんね。お詫びじゃないけどさ、お昼ご馳走するからこの後家に来ない?」


「あーちゃんのお家って、青果店の叔母さんの家?」


 蜀黍ちゃんは野菜が苦手だ。反応を見るにおそらくメロンも苦手だ。

 だから誘いは断られるかもしれない。


「そう。お昼食べて、その後のデザートにメロンを食べない?」


「お昼は、あーちゃんが作ってくれるの? それって……やっぱり野菜入り?」


「私ね、野菜を使わない料理も一通り作れるから、蜀黍ちゃんにリクエストがあればなんでも言ってくれていいよ」


 野菜嫌いな人が野菜を克服する瞬間は好きだけど、だからって無理に勧めたりすることを私は絶対にしない。


「オムレツは? ベーコンとチーズ入りのやつ!」


「ふっふ~、私の得意料理だから任せて!」


 笑住えすむも好きだし、チーズ入りオムレツは菜花ちゃんの好物でもあるから、休日遊ぶ時のお昼によく振る舞っていた。


「……それならお邪魔しても、いいかな?」


 遠慮がちな目を向ける蜀黍ちゃんの両手を取り、私は当然に「もちろん!」と返事した。


 白菜ちゃんは断るだろうけど、一人だけ誘わないのは感じが悪い。

 そのため、未だ戻らない二人を昼食に誘うのに更衣室へ向け移動を開始する。


「ふん、ふ、ふ~。あーちゃんの手作りオムレツ楽しみだなぁ~!!」


「頑張って腕によりをかけて作るよ~!」


「やったー!! 今度は見るだけじゃなくて、あたしも頑張らなくっちゃ」


 お手伝いでもしてくれるのかな?


「蜀黍ちゃんはゆっくりしていても大丈夫だよ?」


「え~? けど、動かないとお腹空かないよ?」


 埃が舞うし火も危ないから、キッチンで激しい運動は禁物です。

 心でそんな突っ込みを入れつつ、おそるおそる訊ねる。


「体育館を出るまであと十分ちょっとしかないけど、1対3の試合ってできるのかな?」


 何だかんだ時間もないし、このまま着替えて帰る気満々でいたけど……まさか、ね?


「んー、お腹を空かせるにはちょっと厳しいかな」


 ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。


「あたしさ、好き嫌いも多くて料理もできないけどポリシーがあって。ご飯を美味しく食べるのにはお腹を空かせておくのが一番で、それは食べる側のマナーだって思うんだ。だから――――」


 結果的に頑張った。頑張って付いて行こうとした、けど!!


「――ラスト十分。今度はあたしもみんなと一緒に全力ステップトレーニングするよ!」


 本気を出した蜀黍ちゃんには付いて行けず、既に足プルな私たちは一人また一人と脱落して行き、汗と共に体育館床と一体化した。


 せっかく可愛くセットした、菜花ちゃんと左右対称にしたお揃いお団子ヘアも乱し、乙女らしからぬ醜態を晒す破目になってしまった。

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