怖いもの
虫十無
おひなさま
友達の家のおひなさまが羨ましかった。だって私の家のと違って怖くないから。
私の家のおひなさまは私が生まれたときにおばあちゃんが買ってくれたもの。だから毎年毎年両親が飾ってくれる。おひなさまをしまいっぱなしにするのはだめだからというのが一番の理由だったらしいけど。そのおひなさまがずっと怖かった。
おひなさまが怖いわけじゃなくて、私の家のおひなさまが怖いだけだということを知ったのは小学校にあがって友だちの家によく行くようになってから。おひなさまがある家は私の家と同じように時期には出していたから、最初は避けていた。けれど何かの折に一番仲のいい友達の家のおひなさまの前に立ったとき、これは怖くないということに気付いた。じっくり見ても睨み返されるような感覚はなく、空間がぼんやりと暗く見えるようなこともなかった。私が怖いと思っているおひなさまの前ではそういうことがあった。
自分の家のおひなさまは怖いからあんまりじっくり見ることはほとんどないけれど、見た目としてほかの家のと違うようなところはなかった。華やかな着物も、煌びやかな小物も、メーカーが違うのだろうなという程度の差異しかなかった。見た目のどこかに私が怖がるようなもの、例えば妙な染みがあるとか着物の端にほつれがあるとか髪が伸びるとか、そういったことはなかった。ただ、怖い。それは全て私の感覚が受け取っているもので、説明しても気のせいだと言われてしまうようなもの。確かに見ると睨み返されるような感覚があっても人形の目が動くわけではない。周囲が暗く見えても電気の明るさが変わるわけじゃない。まあ普段は何も置いてなくてすっきりしているところにおひなさまを置いてるんだから物があるというだけで暗く感じるというのはあるのかもしれないけれど。そういう風にこの怖さは気のせいという説明をつけられてしまうようなことしかない。小物が落ちた音がしても偶然で、何かわからない音がしても偶然で、普段なら私だって気にも留めない音が妙に気になって、おひなさまのせいに思えてしまう。ちゃんと原因を探せばわかるようなものでしかないのにそれがどうしてもおひなさまのたてた音に聞こえてしまう。おひなさまの出ていない期間ならそんな音に怯えることはないのに。
気のせいでしょと誰もが言った。私と同じものを見ているはずの両親だってそう言う。家に遊びに来た友人もそう言う。高校のときの友達で自分の家のおひなさまが怖いという子がいたけれど、私は彼女の家のおひなさまに自分の家のと同じ怖さは見えなかった。ただあの子は人形というものが基本的に怖いという感じらしいから私の家のおひなさまも怖いと言っていたけれど。
ひなまつりの少し前からひなまつりが終わってすぐくらいまで、ずっと出してあるおひなさま。そんなに広いわけではないこの家でそれを視界に入れずに生活することなんてできない。どうにか捨てたり買い替えたりできないかと親に交渉したこともある。買い替えるなんてことは値段からしても無理だろうと思っていたけれど、捨てるのがだめならという藁にも縋る気持ちだった。けれど捨てるのも買い替えるのもおばあちゃんに買ってもらったものだからと逆に説得された。確かに私だっておばあちゃんの気持ちを無視したいわけじゃない。それでもこのおひなさまだけが怖い。せめてしまいっぱなしにできたらいいのに。そうすれば私は忘れていられる。出ていない間はあの怖さをすっかり忘れている。
コトン、と箱から音が聞こえた。
怖いもの 虫十無 @musitomu
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