第30話 次のステップ


 色々なことがあった弾丸草津旅行も終わり、早矢はその後始末に精を出していた。具体的に言えば、急に休みを貰ったことへの補填だ。

 二日ぶりとはいえ病院特有の匂いを嗅ぐと、仕事場に戻ってきた気がした。気持ちを切り替え、白衣に着替えた早矢の耳に背後から沼崎の低く嫌味な声が聞こえた。


「よお、急な休暇はどうだった?」

「お休みありがとうございました。お陰様でリフレッシュできました」


 予想通りの態度に早矢は素早く対応する。

 まず、持ってきていたお土産を渡す。包装紙の手触りがやけに新しく感じられた。

 現地ではなくネット注文して届いたものだったのだけれど、中身が同じなのだから誰も気づかないだろう。


「へぇ、草津。呑気に良い場所に行ったもんだなぁ」


 沼崎はわざとらしくお土産を受け取ると、表裏と確認するように包装紙を眺める。

 休み中にどこに行こうと勝手だろうと毒づくも、ある程度ニヤニヤさせたままの方が得策だ。言われたところで、早矢の中に何の影響もないのだから。

 早矢は作り笑顔を貼り付けて定型文を口にする。


「初めて行きましたけど、良い場所ですね」

「そりゃ良かった。こっちはひたすら仕事してたけど」

「ご迷惑おかけしました」


 仕事していたのは沼崎さんだけじゃないですけどね、と思いながらもぺこりと頭を下げる。この後も、職場の人たちにお土産を配る予定だ。

 仕事が始まる前に終わらせておきたい。スマホの画面を確認する。そろそろ次の場所に移動しないとぎりぎりになりそうだ。


「あの幼馴染と行ったの?」

「そうですね」


 だけども、沼崎さんはまだ会話を続ける気らしい。

 気分としては後輩を弄れて楽しいのだろうけど、まったく意義のない会話をよく続けるものだ。

 早矢は呆れを表に出さないように注意した。


「やっぱり変だと思うなぁ」


 わかりやすい棘だ。チクチクしてとても不快。そのうえ、一度刺さると中々抜けてくれないのだ。

 面倒くさい絡みが来た。覚悟していたとはいえ、陽菜との関係を弄られるのは心地よいものではない。

 早矢は深く静かに息を吐き、気持ちを抑え込む。


「……何がですか?」

「女二人で旅行なんて行かないでしょ?」

「今は女子旅も多いですし、一人の人も多いですけど」


 沼崎さんの発言はときおり主語が大きすぎて困ってしまう。

 早矢だけに限定するならまだしも、普通に何でも押し込めようとして来る。その普通の定義がたくさんあるのに気づいていない。

 常識はその人が18歳までに身に着けた偏見のコレクションだ。なんて言葉もあるくらいだ。

 沼崎さんは早矢の反応を楽しむようにじろじろと視線を送ったあと、唇を歪めた。


「ほんとは好きなんじゃないの?」


 湿った視線が身体に絡みつく。ニヤついた表情がぞっとするほど不快だ。

 相手をするだけ無駄。と、早矢は内心で切り捨てた。

 わざとらしく小さく鼻で笑ってみせる。


「好きでも沼崎さんには言わないので安心してください」

「何だとっ」

「では失礼します。ちなみに、それ、セクハラですからね」


 指摘するのは忘れない。

 早矢は沼崎さんとの会話を切り上げると足早に立ち去る。

 言い返せたことに少しすっきりしつつ、これからもこの手のことが増えるのだろうなと思った。


 *


 コーヒーの香りが漂う休憩室で武田を見つけ、早矢はこれ幸いと武田に声をかけた。片側には患者の血圧や酸素飽和濃度が映し出されたモニターがずらりと並んでいた。

 無機質な部屋。患者の様子を見るためだけにある部屋だが、早矢たちにとっては心休まる場所の一つだ。

 早矢に気づくと武田は軽く手を上げた。彼女の手の中で質素なカップコーヒーが湯気を立てている。


「武田、ちょっとお願いがあるんだけど」

「おー、珍しいね。小野寺がお願いなんて」


 武田が座る机の端に早矢は近づいた。

 コーヒーに口をつけながら武田は早矢を見上げるとシニカルな笑みを浮かべる。

 陽菜がいるとわかってから、武田は隙あればからかおうとしてくるのだ。

 ちょっと面倒くさい。それでも、早矢は頼まないわけにもいかなかった。


「陽菜の旦那さんについて、瑠衣菜に調べて欲しいの」

「なーるー……瑠衣菜だったら、調べやすいか」


 武田がモニターに視線を一度向けたあと、にやっと愉快そうに口の端を吊り上げる。

 早矢の反応を楽しむようにコーヒーを一口飲んでから、ゆっくりと目を細めた。


「でも、一応あいつ医者だけど?」


 知っている。さすがに個人情報を横流ししろなんて言うわけがない。

 芸能界にツテがない早矢はどんな情報でも欲しかった。

 モニターから流れる規則的な音だけが、二人の間に存在していた。


「患者の個人情報を教えろなんて言ってないから。患者の中で回っている噂くらいなら聞いても良いでしょ」

「ま、元々商売柄、芸能界の話を集めるのも好きだからねぇ」


 そう、松本は元々噂好きのミーハーだ。美容医療に行くにはぴったりの性格とも言える。

 何も知らないはずなのに、武田が意味ありげにニヤリと笑う。

 こういう何もかもお見通しのような表情が武田には似合う。


「なに、ついに本気になったの?」


 早矢は軽く首を振る。答えにもならない動作だった。

 本気というか、ただ陽菜のためにできることをしているだけだ。

 コーヒーの苦い香りが鼻をくすぐり、早矢は表情を整えた。


「陽菜のためにできることはしておきたいし、話聞くと、結構ヤバそうだから」


 沙羅ちゃんへの態度や陽菜をトロフィーワイフ扱いするところなど、基本的に早矢は陽菜の旦那を気に入らなかった。

 会ったこともない人であっても、嫌いになれるものだなと思う。同時に冷静な外からの目も必要だと感じていた。

 武田がまた一口コーヒーを飲み、肩を軽く竦めた。


「芸能界の社長にヤバくない奴なんていないでしょ」

「偏見」


 早矢は口では否定しつつも内心で同意していた。

 武田は微笑みながらじっと早矢を見つめる。


「まぁ、学生時代からの同期の頼みなら聞いてみるよ」

「ありがと」

「沼崎さんとかも色々うるさいから、気を付けてね」

「わかってる……いざとなったら」


 早矢は喉元で言葉を飲み込む。病院を辞める覚悟はもう出来ていた。

 武田はそれを見透かしたように、静かに微笑んだ。


「陽菜ちゃんへの愛は偉大だねぇ」


 早矢は何も答えず、微かに口元だけで笑った。

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最愛の可愛い幼馴染が子連れで出戻ってきました~アラサーまで引きずった私には生殺しの状態です~ 藤之恵 @teiritu

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